仮面          

1999,1,24,記 知らない街で・・・・ 知らないホテルのシングルルームにチェックインした後、 日も落ちて何も持たず、ジャケットのポケットに手を突っ込みただ一人歩いていると あらゆる物が溢れていて、ざわめいていて・・ […]

これからの左官としての考え方

2003,4,21,記 土壁を知りたくて、土壁を塗りたくて・・・ そうして解らないなりに積み重ねてきた、 自分流の考え方と,多様な泥の可能性と表情の世界。 最近では、この土を通して、様々な人達が訪れる様になり、 その都度 […]

紺色の心                    2001,4,20,記

夜道を歩いている 月の雲間。群雲の流れ・・・・。 しんと冷えた静けさにひとり 果てしなく、黒に近づく紺の果てを見つめ ただ、透けてゆくのを待っている 限りなく遠く澄みきった光と影に・・・。 心の底の、ガラスケースの一筋の […]

土の神の子供           1999.2.11 記

・・・・・・びっくりした。  「 こじつけ 」といわれるかもしれない・・・・・・                    それは偶然だと言われそうだが、 今の自分にとって、      驚くべき発見をしたのである。   とい […]

旅立ちの前に         2001.3.10 記

人のやさしさ、暖かさが身にしみている それがしみじみとして、痛くて苦しくてたまらない いたたまれなくなって、はじきれてしまいそうで、 小刻みに震える体が止まらない。 どうして、矛盾を受け入れる事など出きるだろう どうある […]

《 左官職人 迫田幸一 》 2002.7.18 記

《 左官職人 迫田幸一 》=左官請負グループ、 迫田班との決別について書き記しておかなければならない・・・。 そう思いながら、この文章に向かう度に、いつも息詰まってしまう事の連続で、もう3年という時間が過ぎてしまっている […]

迫田、去年の12月の事だった・・・

去年の12月の事だった。岐阜に戻った迫田幸一の様子がおかしいという・・・。 そんな風の便りに長年に渡り付き合って来たからこそ解る  奴の性格から、なにか胸騒ぎめいたものを感じ、岐阜に車を走らせた。 相変わらず、改めて迫田 […]

恩師 イスルギ常務   1999.9.13 記

9/7、あの、イスルギの常務〔石動治夫〕氏が、仕事中に金沢の本社で突然倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。(享年62歳)余りにも惜しまれる業界の顔の死である。 話によると次回、カナダに於いて開かれる技能五輪国際大会の […]

恩師 上内 丈光     1999.9.10 記

今こうして、自分が左官職として沢山の人と出会い、夢中になれる物があること。 そして、仕事面に於いて運良く勉強できるチャンスにも、恵まれ始めて来ていること。  熊本は上内工業?  社長〔上内 卓〕 そして専務〔上内 丈光〕 […]