去年の12月の事だった。岐阜に戻った迫田幸一の様子がおかしいという・・・。
そんな風の便りに長年に渡り付き合って来たからこそ解る 
奴の性格から、なにか胸騒ぎめいたものを感じ、岐阜に車を走らせた。

相変わらず、改めて迫田の貸住宅の前に立っていつも感じるのは “今時、こんなにもボロボロの長屋が存在しているのか?”とため息が出る様な有様である。
ともあれ、玄関のドアを叩き「俺だ!」と呼ぶが返事はなく鍵がかかっている・・・
留守なのか? と思いながらも一応、居間側に廻り、古びたサッシ戸を開けてみるといきなり迫田のベッドが目の前に現れ、眠っていた迫田が驚きながら上半身を起こして
「おぅ!どうした・・・」っと こっちを向いた。

その時の迫田の風貌たるや、あまりの惨たんたる状態をどう表現してよいやら・・・


あの挾土組時代の最後の決別から4年・・・ここまで落ちぶれるかと情けなさなど、通り過ぎ腹立たしさだけが先にくるほど・・・まるで何かの映画のシーンのような状態であった。・・・つぎはぎの破れたふすま、真っ黒にすすけた布団、ゴミの様なちゃぶ台に1cm以上は伸びたぶしょうひげ、バリカンでまだらに刈った坊主頭・・・
その頭には、おそらく肝臓からくる湿疹がもり上がり、はびこっていて
かさぶたの様にゴボゴボとして頭中がふけに被われ粉をふいている。

自分はその場で靴を脱ぎ、迫田の横たわったベッドをまたいで部屋の中に入った。
まず気になったのは一瞬、異状に太っている・・・と感じたが、これは完全に病的にむくんでいることがすぐに解った。枕元には死んだ女房の位牌と線香が立てられていて、
その灰が枕元から布団までこぼれ落ちている。

まず一番に確かめなければいけないことがあった。
『酒は飲んでないだろうな!』・・・「飲んでない、一週間前になくなった。買う金もない。」・・・と言いながら子供のような声で笑っている。「足が痛くて(挟土時代に傷めた)立つこともままならない」という返事が返ってきた。俺は咄嗟にまだ治ってないのか・・・と感じながら、その足がどうなってると強引に布団をはぐって愕然とした。

両足のひざから下がムラサキ黒くむくんでいて、そのいたる所に何か白い斑点が全体に広がっていた・・・。
何だこれ!?腐ってるじゃないか!! 医者には行っているのか!
聞くまでもなく、そんな気配は何処にもなかった。
この時正直、生命にかかわる危機感さえ感じた事を忘れない。

やつぎ早に質問を浴びせかける。 
めしは食っているのか? 金はあるのか? 子供は?
話によると子供に金を渡しても自分たちで食べてしまい時々作ってくれる味噌汁とめしを食べているのだという。「あいつら、何もしやがらん」という迫田の言葉は、今この時も、
2人の子供が隣の部屋でゲームをしているという事で全てが象徴されている。

 俺は今この現状の中でどう対処していいのやら解らなかったが、まずは生活保護をどうやったら受けられるか、そうでもしない限りこいつは本当に終わってしまう・・・。
とにかく場当たり的に動くしかないと考え、岐阜市役所に向かった。ちょうど土曜日とあって、御役所は、休みである。それでも電話で当直の職員に、生命にかかわる人間がいると事情を説明し、まず病院に入院させる事が出来ないか? と頼み込んだが・・・・

岐阜市役所の対応は
“人命が最も大切なことは判りますが、責任を負えない、判断も出来ない”の一点張りで、まるで頼りにならず、言い合いの末、あきらめざるを得なかった。とりあえず缶詰や日持ちのする食料を買い、迫田の元へ戻り布団の下にその食料を隠すようにして、詰め込んだ。

そうして、部屋の中を物色してみると、病院の診察券と民生委員の連絡先が見つかり、その病院に訪問診察をして欲しいと事情を説明したところ、
最終的には救急車を呼んで下さいという返答であった。
迫田は救急車だけはやめて欲しいと頑なに拒んでいたが、あと数日で大晦日を迎える年の瀬であるだけに、病院側には何とか入院をさせたいと、もう一度連絡を取り、救急車を呼ぶ事にした。俺は迫田が救急車に運ばれる姿を見る事なく、車で移動しながら民生委員に連絡をとったが、民生委員との会話もまた、頼りに出来るような対応とは、
ほど遠い印象であった。
それから数日後、迫田が秀平組を訪れた。
土場の材料倉庫のコンクリート床面にゴザを敷き、眠っているというのだ。
会ってみると、金を借りに来たという・・・そして酒を飲んでいた。
「俺は、帰れ!」と一喝した。「一円の金もお前に貸す事は出来ない!俺とお前は4年前のあの晩に、完全にたもとを分けてしまったんだ。」カッと頭に血が昇っていた。
やつの真意が一体どこにあったのか、今は知るすべもないが・・・。
それでも、たとえ4年前に決別したとはいえ、自分の中にある奴への思い・・・
苦楽を共にし、一喜一憂してきた迫田は俺にとって悲しいほどに大切な存在である。
ただ今更ながらに、なぜこうなってしまったのか?
しかし、この変わり果てた姿にその半面にある天真爛漫、
弁慶のような強さを秘めた迫田のすごさを改めて垣間見ている様でもある。
4年という取り返せない時間が悔しく、元には戻れない現実に泣けて仕方が無かった。

改めて、とてつもなく強じんな職人を失ってしまったのだと、つくづく残念で、悲しく、今だ迫田を許せない自分もまた、人間の失格であり、つくづく惨めで情けない。