ニューヨークに入って。

今、宿泊しているホテルは、マンハッタンから少し離れた
                 クイーンズという地域である・・・


室内はすべて禁煙だから、喫煙はロビーを出たすぐ外。
10・19、21:00頃、空にはクッキリとした月。
ひとり煙草に火をつける。

目の前には古びたブリック(レンガ)の建物、
そしてその隣の建設工事現場をぼんやりと眺めていると
2匹のドブネズミがスルスルっと現れて
なにかこっちを見ているように動かない。・・・

朝方4:30、
同じ場所で煙草を取り出すと、
たぶん同じネズミがまた現れて、
目の前を行ったり来たりしていた。

さて、ニューヨークも中盤になり
20日以上が過ぎてしまった。

講演をすればどれもいい反響がある・・・・
・・・・・・けれど、なにか違う?・・・・・・

このブログ《 NYカオスのなか 》にも書いたように
そのフラストレーションは、日がたつほど膨らんで
俺はただ、NYの表層をウロウロとさまよっているだけ。

そんな自分が
日を追うごとに鮮明になって、やがて直感から、
このままではいけない実感に変わり、打つ手も探せないでいる。

自分を試したい。

けれどその前に破らなければならない、
深度あるNYまでには

分厚い皮があることは、どうやら間違いない。

それを、日本にいる知人にメールすると。
[そうだね、秀平さんの直感は当たってるかも。
でも、ニューヨーク。
ある殻を突き破れば、きっと、深度はある。
わたしも二回しか行ってないニューヨークだけど、そんな気がしました
なにか深度にかかわるヒントがどこかにある、秀平らしく。]

と、返ってくるから、
また焦る気持ちが、はやってしまう俺。

数日前、ニューヨークに住んで30年、

アメリカ国籍まで取得して
アーティスト活動をしてきた日本人に会い、
SOHOというアートの街を案内してもらった。

はじめましてと足早にあいさつをしながら、
まずは行きましょう・・・・

見聞きした話はザックリこうであった。

✳︎以前ここは、キャンパスを持ち歩く人々が行き交い、
 本当に夢のある街でした。

 けれど、華やぐほど家賃が上がって、
 ギャラリーのほとんどは維持できなくなり、
 力ある老舗がほそぼそと残っているだけです。

 今ギャラリーは、みなチェルシーに移ってしまいました。
 そしてチェルシーもまた同じ道をたどっていて、
 ブルックリンへ流れています。

✳︎いくつかギャラリーに入ってみましょう、どうです?

 なにが素晴らしいか、わからないでしょう?
 ある意味、アートは作品性というより、そのものを、どう価値付けるか。

 どうビズネスとして成立させるか、逆に成立できるなら、
 何でもいいのです。

✳︎ポートフォリオ?・・・ん?・・・どこにでもと出しても仕方がない。
 仮に置かしてもらったとしても、OK、いいじゃないか、また見ておくよ。

 けれど、一週間たって行ってみると、
        あきらかに見た形跡なんてないです
                   そのままあればいいところ。

 知っているそこそこの所、一冊だけ預けてみましょうか。
 後は僕でも無理です。

✳︎真っ向から行っても、まずダメ。
 可能性があるとしたら、ここに住むしかないでしょうね。

 住んで、何処かで画廊のオーナーと例えば酒場で出逢う、
 そうして世間話をするチャンスを待つことかなあ・・・

✳︎チェルシーですか、確かに主流ですけど
 自分で開いているんでしょ、全部じゃないですけど
 きたとしても、ほとんどはART鑑賞が趣味程度かなあ。
 レセプションなんか開くと、お腹が空いた人が来たり・・・

 話を聞いているだけで、この街から出たくなってしまう。

✳︎喫茶店に入って色々見せると、
 そうですね?・・・しかしこれ、もったいないなあ。

 建築的な方向からいった方が、爆発するかもしれない。
 まあ、ギャラリーというより、どう発信するかが大切です?
 ちょっと遅かったくらいだけど、なにが起きるかわからないのもNY。

 もっと情報を流しましょう、
          僕からもできることなんとかやってみます。

そういえばと、
ラガーディアで出会った新聞記者を頼りに、
日本人リサーチャーを紹介してもらい、情報収集をなんとかしたものの
送り先からの反応は欠片もなく、たぶん埋れてしまった
こりゃあ試すところじゃないなあと、ゲンナリである。

11日、朝からギャラリーの設営に向う、・・・気が重い。
その設営の手伝いとして頼んであった、40代の日本人と会う。

話すと、NYに来て3年、
なんとかアーティストとして食べていきたい、
生活は一杯一杯ですという。

✳︎いいですね? チェルシーでできるなんて
 うらやましいです。
 ここでは、簡単にはできないですからねえ・・・

 でも、評論するような人は来ないんでしょ。

✳︎いえいえそうとは限りません、中には必ずいます。

 まわっている人がいるんですよ、
 運もありますけど、そういう人がいるのです。

 これだったら、
    しっかりとした技術の上に成立してますから
                    面白いでしょうね。

と、まあ、NYは、
みんながみんなで、あれもこれも全員が違う事を言う。

ギャラリーの関係者、ここに至るまでの雰囲気も、
ハッキリ言ってビジネスとして動いているだけに思えて
〔人が来るとか、誰かと出会う〕

設営をしながら、感じるのは、
『くるんじない?』って、ボア?んとしたもの
良い悪いじゃなく、これがNYなんだと任せるしかないのか?

確実なものも、情報も、会う人もみんなバラバラなNY。

設営は無事終わって、
それはいい空間として、十分に様になっている。

けれど、今だ、NYカオスのなか。

ウロウロと、
マンハッタンを歩いたところで、ただ時間が過ぎているだけ
セントラルパークに少し行ってみたが、
スズメたちも全く人も怖がらないほど慣れ切っていて
洋館の森の方が、ぜんぜん自然に溢れている。

荷物だらけのホテルの室内で、まず1枚壁を完成させたが
ベットも部屋も、細かな砂でジャリジャリして、
いくらなんでも、掃除のおばさんに嫌われると
ガムテープで砂を拾ってから眠る数日。

竹下さんから『アグレッシブにね』と、送られてきた言葉。

もう1枚作るか、
やれることやらないと、
あとで後悔になると深夜に塗り出した2枚目。

(上の壁は、
ニューメキシコの赤土+タイムススクエアの道路工事の砂+ブルックリンの土管の黄土
で、仕上げたもの。)

タバコを持って外に出ると、
姿をみせるドブネズミにほぼ毎日会っている
はあ?ドブネズミと煙を吐く夜。

NYの建築家グループに講演を提案したり、集まってきた情報を送る。

すると、壁をワークショップで100m2 塗っていただけませんか。
という明らかにムリなメールに、いくらなんででも、
段取りがあるって説明も、わかりそうもないから
返信のなんとなく断りメール。

2日前、日本から
なぜか俺を応援してくれる人物がやって来た。
できる範囲の人を繋ぎにきましたというのだ。

その晩、NYに住んでいるという妹さんと、居酒屋へいった。

20日間の事。いつも姿をあらわす、
NYドブネズミは不吉か、アグレッシブの象徴か、
なんて話をさんざんして、
こっちに来てはじめて酒に酔って
言葉も手がかりも見つけられない自分を、
ジョン・万次郎みたいだと苦笑いすると

妹さんが、力強くこう言った。

シュウヘイ、
【Don’t burn the bridge 】 ドン・バーン・ザ・ブリッジ
どんな嫌な奴だろうが、
どんなにうさん臭い奴だろうが、
その橋を切るな!

なにが、どうなるのかワカラナイ、
それがニューヨーク。 という励まし。

自分が怒り狂いそうになった時、もういい!と、思ったとき
これを口走って私は立ち止まってきたのだという・・・

それから
〔cyg・森〕という人を紹介された。

かつては、日本の一線級の編集者、
今はNYの文化情報のパイオニア的存在で
このギャラリーを見つけてくれた人物でもある。

会うと、そんな雰囲気たっぷり
なにか妙な品のある人だった。

この人にも表層をさまよったNYを、
ドブネズミを感情的に話すと、

それでいいんです、
それこそが 『Welcome to NY』です。
どんなことが起きても不思議ではないこの場所、
『ようこそNYへ』=それがNYだとあなたは、気づいているよ。
という。

Don’t burn the bridge
Welcome to NY
NYドブネズミ

今のところ、きっと忘れられないだろうNYは、この3つ。

けれど、一番の体験的NYはドブネズミだけ。

実は少し撮影がついているのだが
俺がなんともネガティブだから・・・・
相手も辛いだろうなと思う毎日。

けれど、それを隠しきれず、表情に出ていようが
         明るく 抑えて、振る舞うほどの余裕はない。

と言ってダラダラと過ごすなんてあり得ない。
この俺がNYにいるなんて、
本当に1000分の1の現実が今なのだから。

けれど何が何だか、
どう、もがけばいいか、
イマダワカラズ。