この道に入ってもう、既に20年という長い月日が過ぎ様としている・・・・・。
今、目を閉じ、グーっと深い息を吐いてみる・・・・・、実に20年が経った。

振り返れば、それこそ一晩中、話しても話し尽せないほど苦しく、
ニガイ、重過ぎた20年であったと思う。

《誰でもみんな苦しくて当たり前、苦労は買ってでもしろ!》とは言う物の、この会社(高山)に、戻ってからの14年間は精神的に、肉体的に、
余りにも異常な状況がまかり通り、度を越え過ぎていた。
卑劣な行為、言葉に表せないほどの嫉妬、体裁と名誉、
欲望と金、虚栄、挫折、宿命、運命・・・・それらに翻弄され孤立してきた自分。


必死であった分だけ自分が本当に求めていたものは・・・
まさに真心、愛情に飢えて来た14年間であった。
大変だからとか、
苦しい事が嫌なのではない、ただ余りにも無情で悲し過ぎたと振り返る他にはない。

そんな耐え難き状況の中で、社内を動かしてきた上司達の人間関係から巻き起きる矛盾、矛盾、矛盾の連続。
自分は常に(お前は二代目だ!)と窮地に追い込まれ、圧し掛かる責任の重さから恐怖に対して激怒し、意地を張り、疲れ果ててきた。

・・・その間、自分が孤立しながらぼんやりというか、
ゆっくりと感じ、見え始めたのかもしれない事がある。

それは、過ぎ去ってしまった月日は、そしてその限られた時間は誰の物でもなく、確かに自分の物であると言う事。人間は如何に永らえるかではなく、その質に問うべきだと言う事。・・・だと思う。
金や名誉や権力となれば誰でもぐらつく、でも、ただその為のみに生きるのだろうか?それだけだろうか?
人を読み、立場や体裁を気にしながら面目を守り、否応無くシステムに縛られ、表面上は身のこなし軽やかに、争いを避け、取り繕いながら生きてゆく社内の幹部達を見ているうちに。

果たして自分もそう言った人生を進むのか?? ・・・・・湧き上がる疑問!!
そうじゃなくて、何というか、その時々に見つけ出した目標に向かい、定めて、場合によっては損得もあるだろうが、自分自身が本当に納得のゆく日々を精一杯の情熱を傾けチャレンジしたい。
おそらく、それはそれで苦しいに違いないと思うのだが・・・・・・、
しかし、安定の為に自分を殺し、いやいやでも仕方がないからやっているのでは、腐りきっている自分に、いつか必ず嫌気が差すに違いない。
そして、この体制の中で、人を憎んでいたのでは、もはや死んでいるのに等しい。
もうこれ以上、手足を押さえられ、打ちのめされていてばかりでは、
やがて力尽きるのを待つだけだ。

とにかく生き生きとした自分を取り戻す為に、自分を生かせる場を探さなければならない。
これから先の人生を、如何に納得し、気持の上で充実できるか、それこそが最も大切な事。
その為には、これまでのモンモンとした全てのしがらみを捨て去り、
もう一度裸になってスタートする意外に道はない。

でも一方では、恐くて恐くて仕方がない、
なにひとつ出来ないかもしれない恐怖心で一杯だ。

しかし、もう、自分がいるこの場所は、取り返しのつかない所まで変わり果ててしまった事も叉、事実として受け止めなければならない。
・・・・・・・心も体も限界だ。悲鳴を上げている。

その上で、悔いの無い人生をと考えるのなら、やはり今しかない! 奇しくも2001年のスタートは、いったい自分に何が出来て、何処まで進む事が出来るのか?
おそらく、相当な横槍を受ける事も覚悟しなければならない、人生の賭けとなる。

覚悟もしておかなければならない。
もし、立ち行かなくなった時は、飛騨を去り、左官を捨てようと思っている。