2016年が明けて元日の早朝、

友人から送られた
写真付きメールの
着信音でうっすら目覚めた。


あけましておめでとう。
そこに添付されていた写真を
寝返りを打ちながら開くと

うむ?
なに、なに、なに?っと目が開いた。

高山市民時報の右隅の
ドライチャンネルに、また俺が《風刺》されていたのである。

また書かれたと思いながら

ぱっと見て
この馬だか申だかわからない、似顔絵が
似ていると言えば俺に似ていて

おいおい、これで2度目である。
あの渡辺氏のしたり顔が浮かんできた・・・・

・・・ったく、
元日目覚めた、そうそうから
新年の希望にしたる間もなく
このブラックユーモアを
真剣に読み解かなければならなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まずは
この顔の輪郭の
長方形の一方が三角になっている形状は、
左官の道具である鏝を表していて
顔には、白い鏝に黒い鏝が重なった
コテコテの顔。

新年、第一食の雑煮の湯気もあとにして見入る。

これは
光と影、陰と陽、つまり賛否だと思うのだが、
たぶん影が、冷ややかな地元を、意味しているように思えてくる。
自分が見る地元と、地元が自分を見る目のあいだは
とても開いていて、
地元では、いまや塗り壁文化が消えてしまっていることもあって
工務店の仕事以外には、交流の機会も話しをする場もない
疑心暗鬼の影と、世の中が当てている光を
表しているのだろうか?

なんだか意味深な毒が感じられる。

そんな折の真田丸、
これからの地元の賛否を
このドライチャンネルが先んじ
アナグラムして遊んでいる。

その風刺の推理は

まず

さ-な-だ-ま-る=1-2-3-4-5 として
左から

《黙るさな》は=3-4-5-1-2で
またお前のことだから地元に落胆して、黙り込んでしまうのでは?

《なだまるさ》は=2-3-4-5-1で
落胆しなくても、お前の足元の批判も少しはおさまるかな?

《なにさまだ》は=2-5-1-4-3で
いやいや、ますます批判は増すばかりかも知らないぞ!

《だまされるな》は=3-4-1-5-2で
お前、浮かれていると、また騙されるぞ!

そして右から

《まだ成るさ》は=4-3-2-5-1で
でもまあ、まだまだ行き着くとこまで行きましょう!

《定まるな》は=1-3-4-5-2で
もうこれからは、好きな場所で好きなようにやってみれば?

《まだ去るな》は=4-3-1-5-2で
ワッハッハ、こっちはネタがなくなるから、まだ去るなよ。

と、ここまで書いて読み返してみると
遊ばれながらも、見方によっては温かみを感じるような
そして最後に
《ま、申だな》=4-1-5-3-2で
今年も自問自答しながら頑張るさ。と俺が勝手にしゃべっている。

渡辺さん、
これドライチャンネルじゃなくて
ホットチャンネルですかっと聞きたくなった。
それで昨日、いつもの酒場に渡辺さんを誘ってみた。

ボヤ?と神妙そうに
酒場の引き戸を開けて現れた渡辺さんと、
カウンターに並んで座る。

一言も交わさず
まず、生ビールを片手にワッハッハと笑いあう。
俺としては、やはり手放しでは笑えず笑い
氏も、俺を観察、手探りしながら笑っている。

そこに店の主人が

「これ、さすがというか、いや?面白いね?」
「まさしくこれは、気の利いた秀平へのエールだよ」と
お品書きの下に飾った拡大コピーを指差している。

そうしてしばし
酒を酌み交わし、
「しかしまあ、今回も元旦早々からやられました」と
酒を傾けると、
「まあ、今回はこれで結構考えたね、
へへへ、実はあの顔は二度めなんだけどね」

うむ?っとしている俺に
「あ、そうそう、ちょうど良かった、これ先週の週刊朝日にも使ったんだよ」
と、その雑誌を差し出した。

ええ、っと
こんなとこでまで遊ばれている。

いつの間にか渡辺さんの
神妙だった態度は消えて
「だってそりゃあ、一言も言いませんよ」
「なんたって、こっちはドライチャンネルですから・・・・・」
と、笑っている。

「出来ればねえ、真田丸人気がガタ落ちなら
もう一度、いいネタが出来そうなんだが、
まあでも、あれは受けそうだから次はないね」

そして
「けれど、地元に対する風刺がちょっとあったかな」

「まあ、秀平さん大丈夫です
落ち目になったらこっちもネタになりませんから・・・・・」
と、どこまでもドライチャンネルな渡辺克則氏。

なんだか
地元が住み良いのやら、住みにくいのやら
複雑だが、

しかし、今回はいつもらしからぬ
ホットチャンネルな渡辺克則氏だったと
俺は思うことにしている。

過去ブログより
ウエットチャンネル1