この夏・・・・疲れに疲れた。

あの猛暑だった暑さを・・・
確か暑かったなぁ、と、
しばし記憶を
たどるように振り返りながら

ひと段落した今、
ちょっと怖いくらい疲労した自分が残っている。


身体中を強く固めたまま、
いまだに気を放出しているようで
自分を緩められないでいる。

カラッとした陽射しを受けて
晴天の水色の空にうすく流れている雲の流れに、
溜りに溜まった息を何度も吐いて
ただ、いる。
いつの間にか秋なんだと思う。

斜面に揺れあっている樹々の葉のさわさわとした響き。
からっぽの空に
スーっと風が抜ける

すっかり冷たくなっている風に
まだ真夏のままの自分の熱と
身体の奥にある濃密な息を少しでも吐きだす。

あちこちで始まっている
稲刈りの光景を眺めながら
頬や首元の皮膚が、風にくまなく包まれて、また息を吐く。

息を吐いても吐いても
真夏の自分ままで立っている。

ふと、思い出したように思う

・・・・そういえば、

あんなに日常的だった夕暮れも、星も月も忘れていた。
育ててきたユウスゲやフジグロセンノウの花も、
あけぼの草の花々も、みんな終わっている。

足元のトリカブトの紫の花びらが
異様に目に焼きついて

そこには
なにかわからない怖さが
足元に散っていた。

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仕事はなんでもする。

新しい挑戦、
求められることの喜び、
それらひとつ一つに美意識を持って応えたい、

それは同時に、
仲間たちと毎日仕事に集中出来ることなのだ。

毎日があるということ。

この夏、十分に充実していた。
どれも良くやったと思う。
本当にありがたく
心からありがたいと思う、感謝以外ない。

けれど、あの散っていたトリカブトの花片に

ものすごく大切な・・・・
うまく言えない、
大事なものを落としてしまったような
喪失感がこの疲労なのだと分かるのだ。

たぶん毎日あるということの中の

朝の空気とか、
雨に濡れた地面とか、
蕾とか
その時今の、遠い景色とか

今という実感をまったく意識せず
目の前だけに集中して擦り切れたのかもしれない。

それは贅沢なことだと、言われかねないが

そうではなく

やはり、人間と自然のあいだにいなければ
もったいない、もったいなかった。

それに気づいた喪失感と消耗が
こんなにも疲れた根底にあるのかもしれない。

人と自然の間こそ
これが自分という形、価値観なのかもしれない。

都会と自然の間を行き交い
その両方の実感から、俺は発酵し充電し
たぶんそれが自分流のクリエイトに繋がっている。

文字を書き記すことも
振り返ったり、未来を描いたり、
これも大切な行き交う行為なのに
長くブログをあげることも出来なかった。

このブログは
ひとり草の道を歩いていて、遠くから聞こえる笛の音
そんな意味で名づけた【遠笛】。

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今、23:22。
山の樹林の中の、小さな机でこの文を
書き上げようとしている。

誰もいない樹林の静かな夜

好きな音楽、
煙草の青い煙
このブログでまたひとつ息を吐く。

けれど、

まだ身体の奥に真夏の息が残っている。

この疲れが抜けるまで、
もう少しかかりそうだが

この次からは、
もっと連続性のある環境をつくり
自分流のクリエイトをして行きたい。