✳︎蝶が来たのは、
震災から2ヶ月が経った2011年の5月だった。


この蝶を見守って5年が経った
蝶の到来は、ただ偶然だったのではなく、
ここを、この場所を、
《人間と自然のあいだ》にあることを教えてくれている。

自分にとって、この蝶は
自然愛護でも生態系の研究でもなく

それは
いつかこのブログに書いた、
《左官メタモルフォシス》から・・・・

一枚の壁からはじまって

四面の壁に囲まれた空気へ
空気から空間の壁へ
外壁を塗った存在の壁へと次元が変わり

樹林や草花や、石組み、水路と一体化した風景は
    《人間と自然のあいだ》なのであるという考え方へ。

蝶が舞う姿は、
自分が進んできた今日までを
それでいいと、安心させてくれる。

・・・そしていつか・・・

《もてなし》となったり
《ホスピタリティー》まで広がるとしたら。

それも夢ではないと思わせてくれるのだ。

この蝶は
《人間と自然のあいだ》へと
ここからの先行きを導いてくれる
未来からの使者としてやって来たような気がして・・・

これまで自分は
《縁起》や《げん》を担ぐとか、一定の対象に思い入れることを
あまりしてこなかったが

いま、この蝶に、未来を願っている

思いを託して、
見守り見守られるような心持ちで見つめている。

この先も左官であり続けるためには
まったく違う新しい左官概念が、たぶん必要なのだ。

自分たちの生き方と
様変わりしてゆく世の中とのズレ
職人と現代が、そぐわなくなってしまった道筋を
どう受け入れてゆくか・・・・
受け入れるためにどうすべきか

この蝶を見守ることは

蝶と自分を
次の春へと繋げてゆく、
希望として、進む方向を探す、

薄っすらとした映像を見ることなのだ。

今年、蝶は
4月20日頃から数日、華やかに舞った。

けれど
その後の天候不順から、
その姿を見ることがなかった。

蝶は5月10日を過ぎると徐々にその命を終える。

蝶はちゃんと次の春へと、
繋げることが出来ているだろうか?

1ミリにも満たない卵を
あちこちかがみ込んでは探し、50程の卵を葉裏に見つける

《・・・でも50では、とても心もとない。》

案の定、小さな、とても小さな幼虫を見つけるたび
およそ3割が干からびた死骸になっていて
この先、まず幼虫として何羽が大きく育つだろうか

蛹から蝶となって再び舞うとなると
このままでは10羽が舞えるかどうか。

飛び立った蝶は、
気候や天敵に耐えて
その命を終えるまでに、無事、産卵し
次への春へ繋げることができるだろうか?

数日たって幼虫の姿が2?30程しか見えなくなった。
何処かに潜んでいるのか、それとも死んでしまったか?

半日這いつくばって願うように探して
潜んでいたんだと安心したり。。

3日前の時点で
4センチに成長した幼虫は
やがて蛹になり、春まで眠る。

さなぎ直前の幼虫を80匹程を確認して
(そのうち羽化出来るのを5割として)
これでたぶん、次の春へと繋がると、

自分のことのようにホッとした後
今度は餌はあるだろうかと気が気でならない俺。

この春を舞う蝶は
鬱蒼とした自然に住むことが出来ず
開かれた街に住むことも出来ず
絶滅の危機に瀕しながら生きている

そんな蝶が
この場所を選び
多くてもわずか30羽で、

この場所の空を舞い
自然の厳しさに生きて命を繋いでいる。

1羽1羽が小さな集団の一員として命を助け合っているのだ。

先週の土曜日、
大きくなった幼虫の姿が見つけられず
幾つものトカゲの姿に、・・・・まさかと、不安が襲った。

居ても立っても居られず
日曜、月曜と、朝6:00から
見守りながら、少しでもと外敵の駆除で日が暮れた。

一枚の壁からはじまった俺たち。

それは、

《ひとりひとりの感性と、ひとつひとつの素材》から
《ひとつに繋がった集団》となった。

その集団は、物を作り続けるグループというだけでなく
その集団という《サイト、場所》に変わりうるんじゃないか

その場所は、
物を作る以上に、強い発信力を持てるのではないか。

未来からの使者は、
俺達に、ここにしかない場所という意味を伝えようとしているのか
つまり、技能や感性を場所と考える。

蝶を見守りながら、ふっと、そう思った。