あす出国。

最終日は、マンハッタンの、ホテルペンシルバニアの部屋で
ベットに横たわり、荷物を詰め込んだり、
こうしてブログを書いて、1日を過ごそうと思っている。


外は氷点下に冷え込んで、ホテル前はサンクスギビングという
大きなイベントで歩行者天国の人混み。

・・・・ひとりこの部屋で40日を振り返っている。

まずは、・・・・長かったなあ?・・・と、つぶやく。

ジャパンソサエティの後は、
ニューヨークの奥深さを直感して

このまま俺は、
表面をうろつき、NYの表層しか感じられないかもしれない?
そんな不安なあせりと、
手立ても探せない自分に、悶々とした20日以上を過ごした。

それと重ね合わせて、
ニューヨークまでの疲れ、
いや、それは職人社秀平組、結社から13年の疲れ。

ホテルで横になりながら、
それ以前の、あの苦すぎた挾土組の疲れまでもを
掘り下げていたようにも思う。

何度も頭をよぎったのは、
表層がどうこう以前に、もしもここにこなかったなら、
自分が壊れて、倒れていたかもしれないということ。

《 眠るためにきた?》

自分の部屋の電波が、途切れ途切れであったことも手伝って、
日本との交信も薄れ、NYというより、
考えても仕方がないと割り切った場所(時間)に救われている、

                     そうも思っていた。

それでも、試すという目的の40日、
ボヤ?っとは、していられない性分が
文化庁には14回の報告書を作れそうだから、

まあ、やることはやっていて
その間は、遊ぶ気分に全くなれず、
ホテルにまっすぐ戻り横になる、そんな生活。

終盤に、
数人の日本人と知り合い、
もっと楽しんでと、4、5回、
NYらしいところへ連れて行ってもらった程度である。

けれど、40日の日程に、引かれた線路がなかったぶん
あのパリの時のように、街の空気や、流れる人の気配や気質を
自分に早く、取り込んだようにも思う。

海外にきていつも感じるのは、
まったく、全然、英語の分からない俺は
言葉を失っているぶん、他の感覚が少し鋭くなっている感がある。

だから、テレビや雑誌に出ているようなスポットに
行きたいとは思わず
日常の雰囲気で腹がいっぱいになってしまうのである。

チェルシーでの2週間の展覧会は、言って見れば
ひたすら、ニューヨーカーを観察した時間であった。

そうして、残り10日になると、
ゆっくりなら、俺たちでもニューヨークでできる。
ARTであることも、職人であることも乗り越えた
新しい存在として・・・・

そんな野心的な震えが、
背すじから首に突き上がってくる感覚を、何度も覚えた。

そして直ぐ、
けれどそれは4人の弟子たちが固く結束すれば達成できることで、
俺はそれを繋ぐ役割なのだろうとも。

NYに立ってみて、また日本の左官にあって、
俺たちは確かに、独自のスタイルを考え方を持っていることを含めて。

10月19日に、ニューヨーク入りして、
11月14日までを過ごしたホテルは
マンハッタンから少し離れたクイーンズ地域で

暗い道を少し歩くと
なんとも都会の外れにある、言えば大衆食堂のような店があり、

胃が痛くなるような硬いステーキか、
白飯3杯分はあるかのような大きなハンバーガーをたべ、
毎日のようにホテルの前に現れるドブネズミを見ていた。

ドブネズミが不吉の化身のように思えたクイーンズ
やがてドブネズミを《Don’t burn the bridge 》
と捉えた後半のマンハッタン。

15日から、マンハッタンのホテルペンシルバニアに移動したのだが
              それが、このホテルがどうしようもなくダメ!

11階87号室。

じゅうたんは裸足で歩きたくないほど汚く、
         破れたカーテン、洗面はひび割れていて、

朝、風呂に入っていたら真っ赤な水が出てきて、
シャンプーで泡立ったところでぶっ止まってそのまま出ない。

ドライヤーは、2つ あってどっちも傷んでいる。
暖房に触ると、なぜか静電気が走る。

最悪なのは、この部屋にも
ホテル自体にもレンジも、お湯もないこと。

せっかく計算して大事に食べてきた
カップラーメンも、インスタント味噌汁も、
           サトウのごはんも、・・・タベラレズ・・・・。

ったく、どうしようもない。

けれど、この出国前夜。
ここで本当に良かったと思っている・・・・

窓いっぱいに、
突き上げるようにそびえ立つ
エンパイアーステートビルが、見えるのだ。

あの、はじめて東京で、

東京タワーの根元で、
     自分流に塗ったBARの夜桜の壁。

ここでダメになるのなら本望だと見上げた
東京タワーの角度と、そっくりにそそり立つ
エンパイアーステートビルを眺めながら眠っているのだ。

日々、刻々と
照明の色彩を移り変える窓を見続けたニューヨーク。

飛騨にいて、俺の帰りを待っているだろう職人衆
変わりなく過ごしていてくれたなら、それだけでありがたいと思う。

今日一日。

目覚めると窓のむこうは
氷点下の霞が流れていた。

灰色の曇り空から
青空へ、
夕陽が差し込み
日暮れてゆく青の時間
そして、
ふたたび薄い雲に覆われた夜空の紺に

窓いっぱいに、そそり立つエンパイアーステートビル。

なんとか終えたニューヨーク。そして日本へ。

NY・出国前夜の部屋の窓。