はじめて竹下景子さんとあったのは、12年、13年前、

    【遠くへ行きたい】というNHKの番組の取材で
            まだ職人社秀平組が結社して間もない頃だった。


水道も電気もない、トイレもない、(水道は今もない、苦笑。)

軽量鉄骨の事務所を覆った波トタンが、
錆びてボロボロで、恥かしすぎて、

そんな事務所の向かいあって建っている倉庫は、もっとボロボロ、
   2?3人で押せば、倒せるほど傾いた昭和40年代のプレハブ
       雨が降れば腐った屋根から、ダラダラと漏れてくる状況で

その後、資材置き場として建てた倉庫があるところは、
当時、広いだけの原っぱで、

そこに八ヶ岳でつくった、
松ぼっくりの野菜蔵の試作が、雑草の中にポツンとひとつ。
これを、自慢げに竹下さんを案内したことを、鮮明に覚えている。

それをきっかけに、手紙をもらい、もちろんこちらも手紙のお返し
     
一度、世田谷で珈琲とケーキをご馳走してもらい、
 「秀平さん、東京は魅力ある反面、怖いところでもあるのよ」と

  やさしい忠告を受けて「さようなら」と乗った電車が方向違いだった。

あの頃、確かに無防備で、
東京にいること自体が不思議で不安な
        右も左も分からない、自分のはじまりだったように思う。

・・・5?6年が過ぎた、いやもっとか、
銀座や、東急文化村で個展を開くことになって
思い切って案内状を送ると

夫婦で訪れてくれたり。
入口にに竹下景子と置かれた、〈しだれ梅に福寿草の鉢〉
       そのお祝いの花が、訪れる人を驚かせ誇らしい自分がいた。

年に一度あるかないかの、手書きの簡単なハガキは
何処かきっと、芝居の旅先からで
お身体きおつけて、カンバって。
ほんの2行、手書きの言葉が添えてある

去年、そんな竹下さんの芝居が、
    飛騨高山にやってくることを知り、その舞台を見に行った。

楽屋前の通路で少しだけ話して

もし時間があるようでしたら、
案内したいところもあるし、
昼食でも一緒にしてください。

翌日の午前、迎えに行くと、
駅前のとても良いとはいえないところに宿泊していて

もっといい部屋なかったですか?

すると、
『主催側の手配だからね、旅って、こうしたものなのよ』
そして
『今日は金沢なの、大変だけど何かねえ・・・芝居は辞められないの 』
穏やかさの中に・・・・根っからの役者魂を強く感じる

【歓待の西洋室】を案内して、駅で見送る。

しばらくして

《あそこは秀平さんのユナイテッドキングダムだね、
                   すべてが美しかったよ》

                        そんなメールが届く。

しまった、あのしだれ梅。
西洋室の玄関先に植えたのを、見せるの忘れていたと気づく。

この13年、自分の生きてきた、幾つかのポイントで
         とても細く、けれど、ながーい線で、
           後押ししてくれているような竹下さんの存在がある。

その間、職人社秀平組は、ゆっくりと変わり
もちろん自分自身も、
いつの間にか、こんなに文を書くようになったことに驚いている。

どうやら、たま?に、(推測?)このブログを覗いてくれているようだ。
《日の丸弁当シリーズ》はホントに秀逸よって、
                関口さんに目の前で話していたから。

目の前にいたというのは
  去年の復興イベント、宮城県雄勝町での希望の壁プロジェクトで
竹下景子さんに
音声のメッセージを添えてもらい、お願いをした時の話。

細い線は、今も続いている・・・・・

9月13日、渋谷で行われた、
竹下景子さんの朗読会に行ったのだが
実は来年、ここで自分にも講演が組み込まれていて、
どんな会場だろうという確認を兼ねて行った。

同時に最近は、言葉を音で聴けたらと思っていて

竹下さんの朗読は一流。
竹下さんの朗読を音で聴いて、
俺流の音っぽい言葉を、イメージ出来るかもしれない。

片隅で聴いて、
そのまま帰ろうと会場に入ると、

参加者はわずか30人程度の、小さな朗読会だった、 あれ?

まさか出るわけにもいかず、
嫌がおうにも、秀平がいると丸わかり
こんな小さな会場だとは想像もしなかった

大舞台から小さな朗読会まで
なるほど竹下さんらしいなあと思う

いつもと変わらず、
まったく自然体で声をかけてくれる竹下景子さん
この朗読会は、水俣病患者を見続けた石牟礼道子さんの文章だった。

さて今、自分はNYにいる。

この22日には
ジャパンソサエティで隈研吾さんと一緒に講演させてもらい
満席の好評な会となって、
24日にはマンハッタンのピグミメント会社でワークショップを終えたが
日本で疲れ切って入ったダメージと、なんだか時差ボケが強く、
後はホテルで横たわってばかりいる俺。

一番の目的は、チェルシーでの個展で、
自分流の塗り壁を、ニューヨークの人々がどんなふうに反応するか?
良くも悪くも受け止めたいと思っている

そんな塗り壁の内面を伝えるための手段として、22の言葉を添える。

その英訳をしてくれたのは、
ロバートキャンベルさんなのだが、
キャンベルさんに繋いでくれたのも、

・・・・・竹下景子さんである。

・・・・こころより感謝したい・・・・

では、
渋谷の朗読会で最後に締めくくった、竹下景子さんの言葉。

・・・・・情報もどんなことでも、すぐ手に入れられる時代
            新しいものがどんどん生まれる一方で、
               忘れ去られて行くものもおなじだけある。

ある意味、人間はとても愚かです、でも、
どんな状況でも生きていかなければならない現実があります

そんな中にあって、それでも、
私は言葉の力を信じてる。