前回《11分39秒、両者KO》というブログを書いた。

柴田勝頼と後藤洋央紀の紹介VTRは、
      ふたりの故郷である桑名駅と母校、
            三重県立桑名工業高校を舞台につくられていた。

≪ YouTube  後藤VS柴田 試合前PV ≫


この映像のなかの、ふたりの素顔や素朴なコメント。

柴田 コメント = 「新弟子たちが道場で・・・みんな潰れていって…」

ダンベル持って、スクワットを続けて・・・
過酷に肉体と精神力を延々と鍛えあげて、

そうしてやっとマットに上がって
 ・・・敗れて、怪我を克服して、
      生き様がにじみ出るレスラーに成長できなければ

     会場を沸かせことはできない。

職人もそうだが、

地道な努力を積み重ねてきた人間の言葉は、率直に染み込んでくる。

自分自身も九州へ、卒業してすぐ、ひとり修業に出ていた経験や
今は、他県から来た弟子たちもいるから
その痛みが、なおさら想像できて、
ひとことひとことが体の芯にずんと響いて熱くなってしまう。

このVTRを繰り返し見ていると、
   これからの新しいチャレンジや、めざす未来のその前に
       一度、あの不安で苦しかった原点に立ち返ることや

自分のはじまりの空気や、あの頃の匂いをどれだけリアルに
    思い出せるかが、ぶれない大きな力を引き出すように思えてくる。

戒められたり、かきたてられたり、このVTRに飽きることがない。

ところが、VTRにどうにも違和感が残ってしまう場面がある。

後藤 コメント = 「母校、変わっちゃいましたね、はあ?・・・
              もう・・・全然面影ないっすわ。

ここが道場だったんですよ
    こんな新しくなっちゃって・・・
    レスリング部自体が廃部になっちゃって。」
      (テロップ:レスリング部、2005年廃部)

後藤が指さしたかつての道場は、

シャッター付きの駐車場になっていて
映像で見ると、サビひとつない、新しい真っ白なペンキが、
無機質に整然と並び建っている。

柴田  コメント = 「そういうの、淋しいですね。」

ふたりが15年ぶりに訪れた高校は、すっかり様変わりしていた
共に汗をながし、夢を語ったレスリング部の道場は跡形もない。

変わり果てた学校には、

かつての匂いの欠片もなく、
あの頃を思い出す手がかりすら奪われてしまった、
そんなふたりの心もようが見えてくる場面であった。

実は、俺自身にも同じ経験があり、思いが重なる。

昭和56年、岐阜県立高山工業高等学校を卒業。

高工(タカコウ)は、典型的な男子校で
最初っから大学に行くつもりなんて、さっぱりない連中の集まりだったから
学生服というよりは学ランのいでたち、田舎者の硬派の競い合い。

俺たちの時代は、昔ながらの黒い詰襟、

首元4・5センチのハイカラー、
とんがった袖先に4つの金ボタン(普通は、2つ)
ウエストを絞り込んだサイドステッチ、
学生服の胸のボタンをはずして縦のファスナーを下げる、
     開くと、薄紫の裏地に一方は龍、一方は虎の刺繍が自慢だった。

ズボンは太ももで膨らんで足首ですぼまったボンタンスタイルに、
靴先とんがった黒のエナメル。頭、アイロンパーマのオールバック。

黒革のカバンは、教科書やノートを入れるものではなく、
針金でペタンコにしてブラブラさせて歩く形だけのもの。

先生に殴られる、のびてしまうまでシゴかれる、
夏休みの前日、突然、進路指導部に呼ばれると、
自慢のオールバックを、その場でバリカンで丸坊主にされて
便所の蛇口で水をかぶった時の鏡に映った青頭。

個性の強い先生たちがゴツゴツいて、
取っ組み合いしたとしても勝てない

全校のスポーツリーグ戦では
教職員チームが必ず決勝まで勝ち上がってくる。

高工の前身は、飛騨実業高校。

飛騨実業と言えば、頭より先に身体を動かす、実践力、現場タイプの
少々の事ではへこたれない人間を社会に送り出している、
              そんな伝統意識と自負が漂う学校であった。

母校には飛騨実業から続く唯一無二の象徴があった。

校舎から続くグランドには、
   隆々としたポプラの大樹がそびえ立ち
              ぐるり取り囲んでいるのである。

校舎の4階の目線で堂々と揺れるポプラの群列は、
丸坊主にもオールバックにも
          高工の絶対的な誇りとして映っていた。

当時、工業高校から進学を考える者はほとんどいなかったから
学年を上がるごとに、つまり学生生活が終わる日が近いとの思いが
子ども心に色濃くなった強い記憶。

ポプラは、無防備にはしゃいでいられる短い青春の象徴だった。

校歌

愛染山下風薫(あいぜんさんか かぜかおり
ポプラは天に光撒く
眉根凛々しき若人が
科学の夢に結ばれて
この学舎に集い来ぬ
おお高山工業希望(のぞみ)あれ

ポプラの群列は、
俺の卒業の年、
わずか1メートルの道路拡張で、すべて切り倒された。
 

今、高工の制服はブレザーに変わって、
確かに母校であることに違いはないが・・・・

東京から名古屋へ
ワイドビューひだに乗って、故郷高山に戻るとき、

線路沿いの高工のポプラは、高山駅到着一分前の、故郷の象徴でもあった。

故郷=母校・・・とは・・・その土地に生まれた者の、唯一無二のもの。

校舎も変わり、学生服も変わり、
         象徴のポプラもない母校

この場所に立っても、あの頃の匂いは少しも・・・蘇らない。