1/8?1/22まで、
NHKBSの≪ 旅のチカラ ≫という番組で、
キプロス島へ行っていた。
実は、この番組企画の話を持ちかけられたのは、計4回。
番組の制作会社は
いずれもまだ企画段階なのですが、と前置きのうえ、
「 挾土さん、世界のどこでもいいのですが、
何か目的や、何かの想いの元に行ってみたい場所や
見てみたいものはありませんか? 」
という話から始まる。
一昨年、
フォンテンヌブローの森や
ブルゴーニュ、ブルターニュを旅したことがあった。
パリ大学の教授が、
フランスの土や石そして自然を、
お前に見せたいと、企画し案内してくれたのである。
そんな旅の中で、たしか陶器の原土を精製しているところを訪ねた。
そこでは天然顔料などが販売されていて、
なにげなく見ていると、
小さな容器にPigment Naturelと表示している
緑色の土系顔料が陳列されているのに目が止まった。
・・・もしや!!!・・・
長年、土を探し求めてきた自分にとって、
こんなに鮮やかな天然の緑があるのだろうか?
それは超自然に出会う直前の、
ドキドキしてくるような驚き。
けれど、
平気でウソがまかり通ってしまう時代、
とかく世の中はまがい物が多く、
天然の青というと、
ラピスラズリなどの宝石を砕いたものなどがあって、
緑は鉱物系のマラカイトという宝石があるものの、
残念なことに、鉱物系には粘性がほとんど無く、
左官塗りとしてコテで伸びやかに塗るわけにはゆかず、
用途も限られてしまう。
無理を言って少し手にとらせてもらい、
プッと唾をはいて混ぜてみると
・・・なんと粘りがある。
これが本当の天然なのなら、おそらく粘土に違いなく、
それは夢にまで見た≪ 緑土 ≫であった。
すぐ質問をする、
この販売元はどこなのか?
この原料はどこから来たものか?
いろいろ聞きだそうとしたが、
外国人特有の両手を広げて首をかしげた表情で
≪ わからない ≫と返ってくるだけ・・・
通訳を介してわかりやすくこの気持ちを伝えても、
シークレットになっているとか、
聞けば聞くほどに訳がわからなくなり、
煙に巻かれるような答えばかりが返ってくる。
結局、幻の緑土への手がかりはなく・・・
想いを募らせたまま帰国せざるを得なかった。
そこに、この番組企画の話が持ちかけられたのである。
「 もし、あの緑土を探す旅なら、どこへでも行くよ! 」
「 だけど、ヨーロッパのどこかにあることが
わかっているだけで、何もわからないけどね。 」
と答えておいた。
すると、1か月ほどたって連絡が来た。
「 秀平さん、いや?苦労しましたけど、
緑土の件、何とか探し出すことができました。
よろしくお願いします・・・・ 」
こうしてキプロスの旅が始まったのである。
紀元前から緑土は、ヨーロッパの希少な顔料として、
特に、宗教的なフレスコ画やイコン画に使われていたようで、
世界に採掘可能な場所は、
数えるほどしかないのだという。
ではなぜ緑土のことが、こんなにもわからなかったのか?
今やキプロスでは、
宗教画の緑は、ほとんど化学顔料にとって代わり、
緑土があることさえ、忘れ去られていたのだ。
その手掛かりは、
キプロスに住むイコン画家で、
あるひとりの司祭から紐解かれていく。
その司祭が、
昔ながらの技法を貫き、
天然緑土を採取してイコン画を描いてることを知る。
そうして、たどり着いたある山村。
日本の地方などにもよくみる旧道に面した、
さびれた、それはさびれた喫茶店に入ると、
杖をついた4?5人の老人達が
自分を待ち受けてくれていた。
平均年齢80歳を超えたこの人達は、
今から50年前まで、緑土を掘ることで生計を立てていたのだが
やがて時代と共に緑土は不要になり
・・・老人たちは職を失う。
以降、農業をしながらの隠居生活をしてきたのだというのだ。
「 俺はあなた達の知っている緑土を求めて、はるばる日本から来た!
どうか緑土をこの目の前に、この手に握らせてほしい。 」
と懇願すると、
老人達の顔が、少し誇らしげに沸き立つように見えた。
「 では、ついて来なさい。 」
老人達に案内された場所は、見渡す限り草原地帯とオリーブ畑。
そんな大風景の一斜面のここら辺りだと、
そのピンポイントを指さした。
岩と岩の裂け目に、小さく深く現れている緑土があった!
・・・・・興奮した俺は、その裂け目をむさぼり掘った・・・・・
くわえたタバコのことさえ忘れていた数時間。
足腰の痛みも、
傷だらけになってゆく手の事さえも忘れ、
醜くさえ見えたかもしれず掘りつづけた。
そんな自分に老人達は、
「 そうじゃない、掘り方があるんだよ。 」と笑いながら、
「 俺たちがもう少し若かったなら、お前に教えたいものだよ。 」
陽が沈みかけて
残念だが、もうひざが痛くて立っていられないと
淋しげに帰っていった。
同行しているディレクターが望む
プログラムを精一杯こなして、
余っている時間を緑土採取にあててもらい、
500gでも1�でも手に入れたい一心で、時を惜しんで掘り続けた。
・・・キプロスでの最終日・・・
ディレクターから
「 これが最後の収録になります。 」と言われ、
草原地帯に座ると、
「 さて今回のキプロスですが、
秀平さんのあの緑土への執念は何だったのですか? 」
たしか、そんなコメントを求められた。
・・・・このような意味合いを答えたと思う・・・・・
デフレ経済の話で、
よく失われた20年という言葉を耳にする。
安く早くが求められ、社会保障の話題ばかりの影で
その社会保障さえ出来ない現実で
我々職人世界はもっと深刻を極めていて、
自分達の廻りから、腕のある職人たちがどんどんと廃業に追い込まれ、
集団を維持する事さえ困難で、
腕や技を目利きしてくれる人々も消え、
政治の政策もほとんどない状態だと感じている。
失われたどころか
消えゆく20年と言っていい現状なのだ。
自分がそう嘆くと、どこでもいつでも
必ずこう発言する人が、決まって現れる。
いやいや、
日本のものづくりは世界に負けない底力があり、
必ず本物は生き残りますよ。
逆に本物でなければ生き残ることはできません。
だから大丈夫ですよ、
日本はものづくり大国ですから
と、表面的な慰めのことばを
聞き続けて続けて20年が過ぎた。
数えきれぬ人たちから、まるで判を押したような同じことばを聞き続けた。
正直、もうそんな話はうんざりで、
逆に現実直視を避ける為の、あて言葉にしか
自分には聞こえなくなっている。
そういう人の言う≪ものづくり≫は、
手工芸的な職人技と、
建築的な伝統技能と、
大田区の町工場の近代技術とが、
ごっちゃになっていて、何も分かってない
単なるきれいな一般論を言っているだけ、聞くに耐えない。
それで今、自分が親方と呼ばれるようになって。
自分の元で
素直に努力している、秀平組若い衆に、
現実的な左官の夢を、
どう語り、実践していけばいいのだろうか?
それを考え続けている毎日なのだ・・・・
・・・・今回、この緑土を強欲にむさぼり掘ったのは・・・・
もちろん自分自身が幻の緑土を塗ってみたい、
使ってみたいという思いはあるけれど。
けれど、この強欲は自分のための強欲ではない。
この一生に一度かもしれないキプロスの原野で
持てるだけの緑土を探し、
持てるだけの緑土を持ち帰り、
若い衆に言いたかった!
これは、お前達の夢として、
お前達がいつか、
お前達の考えで、
ここにあるほとんどの緑土を使う日が
必ず来ると信じてがんばれ、
ただ、それを言いたくて俺はむさぼり掘っていた・・・・
そう話し終える直前に
感情がこみ上がって
泣きそうになって踏みとどまった・・・・
「 旅のチカラ 」
今回この番組のキプロスの旅によって、得た緑土は
ローマ帝国の緑であり
敬虔なギリシャ正教のイコン画の中心的、緑であり
まさに、地球のエキス、大地の緑なのである。
今、職人社秀平組は、いつかの未来に、緑土を塗る夢を持てたこと、
これからの若い者へ、どうだ!と、
ひとつでも親方として、緑土を持ち帰り、託せることができたこと。
そのために、たとえ醜くとも、俺はむさぼり掘った。