我々、職人社秀平組職人衆は、
      20数年の、分かりあってきた仲間である。

お互いを知り尽くし、
   それぞれが、役割りをわきまえて結社した
              気心の知れたチームワークで、

                 多くの挑戦的な仕事をこなしてきた。


しかし、しみじみと自分達が実感してきたことは、

水を扱う左官は、
    
どんなに計算しているつもりでも、
      いくらきちんと測っていても、
          
必ずと言って巻き起こる想定外に、
          いつも翻弄されているということ。

数週間に渡って進めてきた作業、
      慎重にかつ、真剣に作り上げてきた壁を、
                    完成直前で諦める。

・・・・【失敗】という決断のもとに、その壁を落とす、
       これまで何度、そんなやり直しをしてきたか解らない。

時には、その場に巻き起こった、想定外の展開に、

苦し紛れの一手に賭け、思いつきの勝負をした経験も一度や二度ではない。

我々は、ひとつの仕事を無事終えた時、いつもこう思う。

この成功に+アルファの、
    偶然と神様に助けられたと本気で思っている。

そして・・・・

とりあえずは、狙い通りに出来上がったものの、
       あと、どうか異変が起こらぬようにと、つぶやくしかない。

・・・呆然と、納得がいかなかった塗り壁を前にして、
        やっぱり現場には【 魔物 】が住んでいる

努力と結果は比例せず、
   自然は俺たちの思うように、なってくれないと思い知らされ、

行き場のない苛立ちのあと、
    その落ち込みは、つまるところ
        自分達で受け入れるしかないのだ。

土と藁と水で練った、天然自然の材料で、
        身の丈より大きな空間の壁を、息を合わせて塗りあげる。

水は、その場の光や、気温や湿度や風の、
       無限の組み合わせに、変幻自在だから、
              
               塗り壁が出来上がるまでに、
                    幾度とある微妙なタイミングは

その場、その場で直感するしかなく、
   むしろ、測るということ自体が油断となっていて、
              失敗の要因を高めているようにさえ思う。

我々の流儀は、
まず、小さな試作から始まって、実戦さながらの練習を数回繰り返す。

そうして、要となるタイミングを申し合わせながらも、
    現地では失敗が待っているような予感と不安にさいなまれる。

結局、左官の壁を塗る技は、
           周囲の環境を、察知する第六感にあるからだ。

命運がかかるほど、半丁バクチに3度同じ目が出る確率を疑う。

直感的な不安にさいなまれると、それが妙に的中するから恐ろしい。

左官は、
 
どんなに腕利きの職人をそろえても、
       こんなに気心の知れた仲間でも、
              数十年の熟練を重ねた者達でも

              成功できる【確約のない仕事】なのである。

6月8日。

そんな中で聞いた、野田総理の記者会見。

【 私の責任で、国論を二分している状況にひとつの結論を出す・・・ 】

という宣言の中で、

福島で起こったような地震、
       津波が起こっても、
          事故を防止できる体制と対策は、整っています。

これまでに得た知見を最大限に生かし、
   もし万が一、全ての電源が失われるような事態が起こっても、
             炉心損傷に至らないことが確認されています。

専門家による、
  40回以上における公開の議論を通じて得られた知見を、

        慎重には慎重を重ねて積み上げ、
              安全性を確認した結果であります・・・・。

左官的に言えば、

大飯原発の再稼働に、
   福島で起きた自然現象の対応をあてはめたところで

自然は、その場所や時によって、
       ひとつとして同じものはなく、
              いつも違うはずなのにと思ってしまう。

放射能による犠牲者、広島に刻まれた
 【 安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから 】

そんな歴史を持った日本は、
 世界で最も敏感な国であったはずなのに、
    また同じような犠牲を伴ってしまった福島。

この事故以来、
  原発は、これまでの原発とは、
     全く違う意味と意識を我々に、ふたたび刻んだ。

いま、日本中のだれもが
     原子力を良しとする者など、一人もいないだろう、その上で。

原発再稼働に、【賛成】か【反対】かは、

現代社会の中の、どの立ち位置にあるかで二分化され、

立ち位置の異りは、

悲しみを頭で理解する人と、
  悲しみを体で感じとっている人との差であったり、

現実の経済と、未来への創造力、その考え方の違いで
         たぶんどんなに議論をしたとしても、答えは出ない

しかし現実社会を、今すぐ簡単に変えられない事も事実だろう。

支持政党が違っても、
信じる宗教が違っても、

それなりに相手を受け入れて、共に生きることはできていたが、

この立ち位置が異なる者が、
   鮮明に分かれつつある状況は
      たぶん話し合うほどに、その溝は深まり、
               残された道は、この話題を避け、

                   ただ上辺だけの関係になるだけ。

相手の立ち位置がわからないときは

もし逆の考えだったとしたら
     取り返しのつかない決裂が、生じることを覚悟の上で

この話題を持ち出すか、
       あるいは黙って無難な関係を続けるしかない。

原発の影響は

人の身体を蝕み、
土壌と人を切り離し、
そのあらゆることが経済へ及び・・・すべてが恐ろしい。

けれど、それとは別に、もっとも危惧することは

【 国論を二分している状況に、ひとつの結論を出す 】

6.8、あの記者会見の決断と説明から始まった今が

日本中に埋められない溝をつくり、
     国民が、どうしても相容れられない
          人と人とを強烈な形で、二つに分けてしまった。

ひとつである日本国民を、ふたつに割ってしまった
            それが最も恐ろしいことに思えてならない。