とうとうまた来た、フランス。

今、カルチエラタンにいるものの、
ちゃんとホテルのチェックをしてなくてごめんね、なんて言われて、
トイレもない、なんだか如何にも貧しい部屋に泊まる事になった。


2日前、パリの空港に着いたのが早朝6:00、
         それからすぐ車に乗り込んで、一路ブルゴーニュへ。

これは、パリ国立鉱物大学の
マルク・リュカという教授と武貞さん(通訳・准教授)が
10日間、南フランスの旅を計画し、俺を招いてくれたもので

この季節のフランスは寒いという話だったが、
強い陽ざしが照りつける異常気象で、じっとりと汗ばむなか、
ふたりとは、とても気があって、楽しく、中味の濃い旅となっている。

ハンドルを握りながらのメモ、教授の手振り身振りの質問がつづく

日本人の生き方、桜への意識、土や自然に対する意識。

西洋の考え方の根本にあるものは、人間が自然の頂点にたっている、
自然は人間が支配するもので、人間は自然をあやつれる、
        あやつるべきだという長い歴史の中で培われてきた意識。

自分(日本)とは、まったく違う考え方。

天は善で、地は悪だという西洋の絶対的根底にある感覚。

西洋は常に二分して、ふたつのコミュニケーション、つまり間がないという
それはキリスト教徒であるという、宗教の違いからくるのではないか?

太陽と月とか、闇をどう考えているのかとか・・・・

闇は、確かに恐ろしいけれど、恐ろしいぶんと同じだけ以上に美しい
と、答えると、西洋では怖いものを美しいとは思わず、
やがて不安になって、敵対してしまう。

死の意識も、肉体は、罪、罰として土になる、という考え方。

秀平の土の表現は、その意識を変えてゆける要素を持っている。
・・・・と、教授の話は止まらない。

パリ国立鉱物大学の教授は石キチガイで、
            旅は行き当たりばったりの予定変更の連続。

ブルゴーニュの農道ばかりを走り、
途中下車すると、教授は石を探して夢中になり、
俺たちは、ほかりっぱなしの時間がしばらく流れるから、

武貞さんも笑ながら呆れて、
秀平さんも好きにしてていいのよっていうので、
俺も、好きに、写真を気ままにとったり、土を探したり、・・・・・

シャブリの最高級のぶどう畑の土を採取し
その日のうちに泥団子にして見せると、
            教授はトレビアンの連続である。

しかし、自分が夢にまでみていた土が、
        どうやらフランスにある事がわかって大感激!

ほんの少し、その土を手に入れて、
どうにかして、この原風景をみたいと懇願すると、
   教授は、今度きた時までには、俺の為に探すと言って笑っている

そんな中で、わかって来た事・・・・

宗教とまた一歩離れた位置から見る自然観を、
                 自分流でもっと深めていきたい事

それが、日本で経済的に生きていけるか、どうかは別として・・・

全てが狂い、加速的に行き着いてしまうかのような現代の中で、
       世界がひとつに、良い方向に向かう為のキーワードは、
           あたらしい概念の自然観にあると思えていること。

キリスト教や、イスラム教や仏教、
宗教が我々全ての考え方や、文化の底辺にあるなかで
        この絶対的な違いをひとつにできる事が
           《自然》というキーワードにあるかもしれないこと

八百万の神も関係なく、一神教の神様でもなく、

目の前の自然に、感動したり、愛したり、守ったり、
   恐れたりしなければ人間は滅びてしまう事を知り、
    これに対して、ひとつになってゆける方向性があるとしたら・・・

自分の洋館を、この視線であらためて見直し、
      これからの方向を、より的確に定めていきたいと思えている。

移動中の車内では、素晴らしい通訳のもとで様々な話が飛び交う

エコロジストの、恐ろしさばかりを強調した、かたより過ぎている現実。

あれダメ、これもダメばかりの政策も、そのひとつ。

災害が起きるたびに、人間と自然の素晴らしい関係を、
            サッパリ、あっさりと捨ててしまう日本人。

平等に、快適で便利で清潔で、
それがやがて平均で無菌で無感情な日本人へと、変わってしまう不思議

色んな国の、色んな自然観を持っている人たちがいる。
そういう人達が出会う事、そして、助け合う必要がある。

変えられるとしたら、それはきっと小さな集団からはじまると・・・・

自然観を持っている人
それを話し伝えられる人・・・・・
けれど、慰めや、生ぬるいのでは、本物ではないこと。

我々職人社秀平組が、そんな集団になれることを、目指したい。

明日はブルターニュでの土の旅。

移動中の高速道路、流れる風から放牧の匂いがプーンと漂う
そんな田舎の空には、飛騨と、なんら変わりない月が浮かんでいる。