12月1日から、
勝どき橋の近く「@btf」という
倉庫を利用したギャラリーで、個展を開く事となった。

ことの経緯は、
【キリンの焼酎白水】で、
出会ったプロデューサー(清本久美氏・東本三朗氏)
そしてギャラリーのオーナー青木氏と、
広告業界の大御所と言われる枡岡 秀樹といった人達が、
挾土秀平の表現をもっと多くの人達に見てもらおうと、
             無償で動き、実現させてくれたものであった。


この4名の人脈の幅、
東京の地中の底に広がっているネットワークの働きは俊敏で、

個展の実現は、
いざやろうという話を決めたのが11月10日
・・・・開催は12月1日。
というスピードで進められて、
「土と水陽」のとても気に入ったタイトルは、
         東本三朗氏が名づけてくれたものである。

世界経済の急激な変化の中で、
さらに時代の大きな変わり目の歯車がゆっくりと動き出したいま、

次に訪れる時代には、
職人的な手作りと一般の生活は、かけ離れてしまい、
      もう置き去りになってしまうのかも知れない。

そうした一抹の不安は、地方にいるほど肌で伝わり、

懐かしさを色濃く残した山村に、
スピード優先の典型的無機質な住宅が並び建ってゆく風景が、

その不安をあまりにも
     鮮明な映像としてうつし、
           まるで想像力を必要としない。

今回の個展は、
これから先の自分を計り、新しい出会いの中で
もう一度自分の進むべき方向性を考える、
          絶妙な機会となるに違いない・・・・。

そんな思いが、
  個展を行うにあたって、どこかでまだ、
     ためらいのある自分の心を後押ししたように思う。

12月2日。
この土と水陽の、オープニングのセレモニーの夜は満月で、

およそ120人の様々な業界の人達が、
           プロデューサー達の繋がりで集まり、
自分は初めて、
自分の作った「物」と「この姿と声」を
              直接さらけ出す機会を得た。

オープニングセレモニーの夜は、
とても和やかで、自分は誰が誰だかさっぱりわからないでいたが、

この中の誰かと、
  きっとどこかで繋がりがもてる、
       そんな予感を感じさせて、
           久し振りに興奮した時間であった。

今回の個展の目的は、

広く一般に訪れてもらいたいというものではなく、
次なる物づくりへの期待といった気持ちのほうが強かったから

自分は、この会場に張りついて、
自分のスタイルや、相手の考え方を、
じっくりと話し、聞くことを大切にして
        10日以上を会場で過ごしていた。

そんな、12月11日頃だったと思う。

ポツポツとした来場者の中に2人の子供達を連れた、
                 若い女性が現れた。

ひとりは小学2年生くらいの女の子、
           男の子は4年生くらいの兄弟で、

子供たちは、最初、母親から離れ、
このギャラリーの入口の雰囲気や、
    常設されているぬいぐるみや人形に、
      楽しそうに反応して小走りに、はしゃいでいた。

「土と水陽」の会場は、
ブロックを破った入口をくぐった奥の空間に広がっていて、

そこに、25点の作品を飾り、
そのひとつひとつに、
    詩のような散文をつけて展示をしていたのだが・・・・

母親は、ひとりゆったりとしたおももちで、
じっくりと時間をかけてこの展示を見たあと、
              子供達を呼び寄せた。

そして、作品の下に2人を並ばせると、

左側に立つ女の子の左足から、
    右側に立つ男の子の右足までを、
         すぐ後ろから包むような大股を広げて、

手を後ろで組み、
  体をくの字に折って、
      並んだ2人の耳元に、
           自分の顔を同じ高さに置くと、

その散文を子供達だけに聞こえる小声で読み始めたのである。

【たき火】・・・・樹林の中で拾い集めた小枝と落ち葉が、
              まっ白な煙をあげると・・・・・・・・

読み終えて少し話すと次へ。

子供達は顔を上げて無心に、
目を作品に、耳を母親に、いかにも集中した表情で、
           ポカンと口を開けて聞いている。

男の子が言う。
「次も読んでみて・・・・」

母親はまた子供達を自分の前に並ばせ、
           ささやくように読みつづけて・・・・。

親子3人だけとなった会場内では、

そのささやきと
   BGMとが入り混じって、かすかに自分に届いていた。

【林の中で】

残雪と木漏れ日・・・・
泥まじりのざらめに消えかかった足跡。

まだ芽吹かぬカラ松の、林の中にひとり、
あおられて揺れる樹々と空を、重ねて見上げている。

ただ黙って立つ、ひとりの時間・・・・・・
真っ白自分。カラッポの心と陽の光り
ぬかるんだ地面、折れて尚立つ、枯れたススキ
ただ、樹皮に手をあてては根の事を思い、
          遠い鳥と、枝先と、この皮膚は風。

やがて夕暮れ、逆光に、
まばゆい無数の斜光を受けてそのまま・・・・・
木立のざわめき。

サラサラと落ちる繊細な松葉が、
   まるで光と影に割れながら、流れて・・・
           消えてゆくように見えている・・・。

光影の移ろい、めぐる血。
何かが自分に注がれている様で、
両手で顔をつかんでこすり、
 その手を胸元に止めて開いた指に・・・
   今、此処に自分が在るという実感と、
     あと、どれだけ残っているのかと、自分に問う。

陰と陽の・・・
別々の意思を持つ片目と片目。

全てが二重にずれ出して・・・茜と紺が溶け合って・・・
風は前後に吹き変わるたび
       ちぎれて体が歩き出す。

西方、杉の一列が、真黒にとがって空を指し、
               夜陰の影に染まる時。

バラバラ体が集まって
      ひとつに冷えて、立ち返る。

また明日も、激しく、強く、悲しんで笑う・・・

握るハンドル・・・・ズブ濡れの靴。

・・・・母親がこの詩を読み終えたときであった。

少女が振り向いて、
    母親の耳元で・・・・
           それは小さな声で・・・・

「ママ!今ね、お話を聞いて、目を閉じて
もう一度目を開けたらね、本当の林が見えたの!!」

             ・・・・そう、良かったね。

親子は、2時間以上をこの会場で過ごし、
子供達が、またじゃれて遊んでいる時間を、

母親はひとり、詩と作品を響かせて、
          また一巡しているのであった。

その後ろ姿は、すこし首をかしげて
   遠くをうつろに眺めているような
      なにか身を投げ出しているようにさえみえて…

ふんわりとした母親の放つ姿勢に
自分が穏やかな気持ちにさせられたような感覚に包まれていた。

そんな光景をまのあたりにして・・・・

土壁の意味であるとか、作品のこととか、
 会場の設営のあり方・・・・を語ろうという思いは何もない。

今回の個展を、
様々な人達の協力のもとで行う事が出来き、新たな出会いと、
           今の自分の一部分をさらけ出せたこと。

そして、
   あの親子の奇跡のような場面が、
            ここで生まれていたこと・・・・

運営をしていただいた方々と、
  御来場していただいた方々に
     2009年の最後のブログにあたって、
               感謝申し上げたい。