2001,4,1,
誰の支えも無く、無謀とも言えた独立=職人社秀平組の立ち上げ。

そんな独立に至るまでの14年間は、
      働きづめの生活、悲しくも報われぬ日々・・・・・
       結果は、それら矛盾の積み重ねによる自立の決断であった。

当時の自分のスタートは、
今にも壊れそうなプレハブと、錆びた半鉄骨の事務所から始まって、
≪いけるとこまで行こう≫≪明日をも知れぬ日々≫
そんな心持ちで、実に8年を生きてきた。

時折、8年という時間が、今も継続出来ている現実に、
ふっと「夢なのでは?」と不思議な感覚から抜け出せなくなるくらい、
その独立・・・。5人からのスタートは、あての無いものであった。


振り返ると、
生きる為に、この8年間で我々が断った仕事は、
よほど工期的に無理なものや、値段的な折り合いの全くつかない、
根本的に無理なものでない限り、どんなに特殊なものでも、
何らかの表現を見つけ出し、
その相手に対して答えてきたように思う。

・・・・・こうして、今自分が此処にあるのは、
例えば、関東方面といった、外部から訪ねてきて、自分達に依頼をしてくれる、様々なクライアントとの出会い・・・・に尽きる。

自分はいつも、
最低限の出来る事と、出来ない事の説明をした上で、
最大限の要求に応えたいと、全員が思い悩み、張りつめた不安の中で、
逃げ出したくなるほどの緊張感を持って、
           いわば挑戦を続けてきたと自負している。

しかし実際、新しい発想は決して簡単には生まれず、
自分達を超えたチャレンジは、
安定的なポジションからは踏み切れない事・・・・・・。
(恐ろしき重圧)

そしてもう一つは、それらの成功を導くカギは、
そのクライアントに心から喜んで受け取って欲しいという、
我々の、願いの事であり、
       すなわち願いとは
          『自分達の為』をいつの間にか超えて、

『あの人の為に』という、思いの深さ・・・・・・
申し訳ないという精神の塊が、追い込まれた瀬戸際に、
                 新しい表現を引き出し、

自分達の実力以上の力を発揮出来ていたことを実感している。

職人社秀平組に名を連ねる職人衆は、
それぞれが、地味で、堅実で、
       ずば抜けたオールラウンドなタイプはいなくとも、
          堅実な基本技能を持ちつつ、皆、心優しい。

この自分の考え方に忠実に、乱れず、
お互いが足りない部分を補ってまとまってきた、自慢の職人衆である。

その分、俺は自分自身の生き様を、
より強烈に、激しく示し、裸のスタイルで時代に対して
     真正面からぶつかり・・・・・強い牽引力で突き進む、
                       というやり方

そうして・・・・これまでは、
それが結果的に良い方向に流れ、新たな出会いと、
             次なるチャンスを生み出していた。

この8年間。そうした素晴らしきクライアント、
応援してくれる人達と、広がっていく友人の輪に支えられることで、
疲れきった体も、心も、不思議に甦り、
               『あの人の為に』 が、

自分のエネルギーを沸きあがらせてくれる
           感覚を何度味わってきたか解らない。

ところがこの一年数ヶ月・・・・・・・・
一方では、その流れが急激に変わりつつある・・・・・。
理解不十分であった事から、思わぬ誹謗中傷を受けたり、
良い信頼関係を長く築けていたにも関わらず、

突如として権利であるとか、
言った言わないという主張のもとに、それら関係が壊れ、
断ち切れてしまったりという事に突き当たってしまう・・・・・。

それがこの不況のせいなのか?
自分自身の立ち振る舞いから、きているのかは解らない。

ただいずれも、自分には到底理解出来ない事ばかりで、
結局、その信頼が壊れれば、もう元に戻る事は、出来るはずもない。

争いを続ける事は、
ただ闇雲に傷つけあうだけで、後には何も残らないという、自分自身の14年間の経験が
『それならば、自分が退けば済む』という判断になり、
        争いを避けるような考え方で行動してきた。

最近、東京から数日間に及ぶ長い取材を受けた。

大東京を生き抜いてきた『つわもの』、というか『ベテラン』といった
人達と接する機会があり、この一年数ヶ月の状態と、
これまでの自分の事を、聞かれ、話してみると・・・・

取材集団の社長(親分のような雰囲気)は
『秀平さんの生き様は、言ってみれば、ボクシングで言う
        【ノーガードの打ち合い】って奴だなぁ。』

見ている観客は、そんな試合が一番面白い、
しかしその精神は失わず、やり方を考えてゆく必要がある…。

そしてもう1人の、プロデューサー的な女性は

『あなたの状態は、現状ではある種、仕方が無かった事なのかもしれない・・。でも、これからは、益々頑張ってゆく為に、もう少しガードを固めて、自分たちを守っていかないと、良い仕事に繋がらない。』
と・・・・。

笑いながらも、本音の言葉でのアドバイスを受け、
また、このような指摘は、実は様々な人達からも助言されていた。

確かに、この一年数ヶ月。思いもよらぬ悩みと、
葛藤を続けつつも、自分のスタイルは、簡単には変えられず、
結果として、それが異常な体調不良となって、
        精神的な不安も大きく膨らんでいる。

そんな中、一年前の大きな問題が、今頃になって浮上し、
       またも大きな壁に突き当たってしまった自分。

しかしこれだけは退けない中味だ。

これを最後の【ノーガードの打ち合い】として、
          向き合っていかなければならない。

そして更なる良い出逢いを見極めて、
     新たな自分のスタイルを求めていきたい・・・・。