ここ2年、秀平組の仕事内容、その県外でのパーセンテージが異常に膨らんでいる。
というのも、地元の仕事を避けているのではないのだが、やはり東京を中心とした仕事の中身はその舞台の大きさ、人間の豊かさ、自由さ共に比べものにはならない程に
魅力的であり、経営的な面から見ても十二分の結果も伴っている。


が、一方では、このまま県外に依存し続けて良いものだろうかという不安もまた大きくなっている。 これまで、よほどの事がない限り、地元の仕事を断ることなく、
この飛騨を大切にしようと心がけて来たのだが・・・・・
今年に入って・・・。3/7、NHKのプロフェッショナル放送以降、極端に地元の仕事が減ってしまっている。  耳を澄ますとそのほとんどが、「たぶん値段が高いのだろう・・・きっと我々庶民の仕事などもうしないだろう・・・」といった地域の勝手なイメージが相当強いようである。そんな予感もまるでなかった訳ではないが、この飛騨を基盤にと考えていた分、
地元に対する苛立ちと落胆がどんどん大きくなって仕方がない。

例えば一つの物を動かす力がある時、押し合ったり引き合ったりではなく押す力と引く力を同時に受けて自分達の行き先を飛騨から外へと力の流れが働いているといった状態なのだ。

淋しいと思う。しかし、賭けてもみたい。
もう行く所まで進むしかないのだろうか・・・・

それは、たとえ海外であっても関係なく、話がある限り受けて立つしかないのだと思う。
確かな直感として解るのは、飛騨は最後まで俺達を理解し、受け答えてはくれないだろうという、広がり続けるギャップ・・・
それが外へ外へと走らざるを得ない自分を取り巻く時代性なのかもしれない。
資本が美を育て、ロマンが美を生む・・・そのどちらかの一方でもあれば、地元にかける価値もあるだろう。しかし、ここにはそのどちらでもなく、飛騨の時代を支配し続ける形「しがらみ」を今またズシリと重く感じている

いくしかない   ただ進むしかない   そして  ・・・その結末も全く解らない。
 
めくるめく時代のスピードの中で、自分の左官が、この先一体どこまで通用するのか・・・
全てはまったくの未体験ゾーンといっていい。
今自分を押しているこの時代の流れは、まだ数年はおそらく変わらないだろうと思える。
東京と飛騨。  左官であって左官でなくなるような自分のありさま。
そして、左官とは何か?デザインとは何か?技能を尽くす事とそのまま自然である事の表と裏。
そんな光と影の点滅のような激しさの中でどこまで自分が立ち向かっていられるだろうか?
まさに、恍惚(こうこつ)と不安というにふさわしい。
震えるような高ぶりと、それと同じだけの労れの中、
【選ばれてある事の恍惚(うっとり)と不安、二つ我にあり】

ならばその流れの中で、翻弄されるがままに任せてみるしかないのかもしれない。