『旅をする泥の詩人』こと、小林編集長が15日の昼、高山駅に到着した。
今回の目的は、真っ白な雪の中にたたずむ東家土蔵の景色を、『月刊、左官教室』2月号の表紙に飾りたいとの事で、わざわざ東京から訪ねて来てくれるのであるが、この一年間数回にわたり接してきた中で、自分にとって何より嬉しい事は、小林さん自身の人となりもさることながら、彼から出てくる一言一句が、今の一般社会の考え方や流行などとは全く違い、もっと遠くかけ離れた自然の風景の中にあるという事だ。


小さな頃に誰もが見て来た何気なくて、当たり前の物・・・、体験し感じとっていたにもかかわらず、
忘れ去られた記憶を、詩的に切り取り膨らませ、蘇らせる事が出来る。

例えば、何代にも渡り塗り替えられる事も無いまま、
黒く錆びた土壁に当時の人々の生活や時代背景を知り。
完成する事無く、風雨に晒されたままの状態でたたずむ泥壁に
素朴な美しさや自然の繰り返しを思い。

土蔵に積み上げられた不規則なリズムを持つ泥団子や、子供たちが描くクレヨン画の様な雰囲気を持つ漆喰彫刻を見て、これが人間の持つ本来のおおらかさや豊かさなのだと感動している。

そんな姿を見ていると、小林さんの内に秘めた思いの深さみたいなものに、
改めて気付くというか凄く新鮮で当たり前で嬉しくなってくるのだ。
 
『旅をする泥の詩人』は・・・まるで地霊を鎮める為に呼ばれている様な・・・と、本気でそう思えてしまう。
 そして訪れる度に何かしらの種を自分の中に蒔いていく。

彼の旅は諸国を回る巡礼の様で、その御詠歌は写真と文字という形で表され、何と言うか、ある意味、左官という枠を飛び越えた、
   ― 無名の哲学者のようである。―

自分は、長い間この『左官教室』の単なる読者の一人として、誌に登場する人達に憧れて、自分には、それを試す実力も仕事も無ければ、
考え方の方向さえ分からず、悔しさと同時に羨ましくて羨ましくて仕方がなかった。
この飛騨高山という土地柄、山々に囲まれ閉ざされた田舎が妨げになっている様にさえ思えた。 何も知らない分からない自分に対して卑屈になった。 それは逆に憧れの人達に会う機会があっても、敢えて避けてしまう程に悔しいものだった。
 それが、全国技能競技大会をきっかけに、宮沢喜一郎氏、イスルギの常務、小林編集長によって、溶かされたというか、開かれた様な気がする。小林編集長が自分を訪ねてきては、沢山の話を聞くたびに、その度、吹っ切れるというか、このままでいいと・・・
〔何も知らないからこそ影響されず、自分流を重ねられる〕と確認できる様な・・・
とにかく、会話の中で自分に何かが残り、そして反応が起きているのは事実である。
 誰が名付けたか? 『旅をする泥の詩人』 とは、よく言ったもの。 ・・・あまりにぴったりである。

しかし、今の自分の境遇は、あまりに真逆な位置にあり、いまだに於いてどう進んでいくのか分からない。
それでも定期的に現れては、静かに、知的に、何となく、おぼろげに伝わる雰囲気に今はただただ救われている自分。まるで、あのアニメの「ムーミン谷」に訪れる『スナフキン』のように、接してくれている。