誰もがそうなのか、
そうでないのか知らないが・・・・

呆れ顔されるほど
気に入った映像や音楽を、繰り返し繰り返し。
それは自分でも
好きを超えた、癖の領域になっている。


その癖のひとつに
黒澤映画の【夢】がある。
見ているとその内、
映像を浴びている感覚のまま
どこに注目することもなく、終わっている。

浴びている映像のなかに
それとは別な
具体のない思考の世界に入り込んでいる。

先週の日曜日、【夢】をまた手に取ると
不思議な映像が、自分のイメージを呼び覚まして
見終わったとき、
そうだ、
そうだったと自分の夢を見終わっていた。

その夢は
日本海の砂浜で
ダグダグとゆがみ、揺れ沈む太陽。

座った自分を抱える大きさで沈む
溶岩のような、線香花火の火玉のような太陽。

そう言えば、海に立つとき
内面に、沈殿していたものが、
海の生々しさに
かき混ぜられる予兆に
むき出しにされる感覚に、いつも戸惑う。

しかしその海に
むき出しになろうとする自分がいた。

ダグダグと揺れる太陽は
自分の眼球の奥へ水平に
25ミリ行って、18ミリ上にある
蜘蛛のようなあやうさを
溶かすか
焦がしてくれるのではないか?

ダグダグとゆがむ 太陽の
溶岩のなかに揺れる真っ赤な赤が
眼からしか入れない心に
したたって緩めるのではないか。

そうして
波の光の道が終わるまで
紫の空が闇に変わるまで
黒波の反射が見えるまで

海に沈む太陽を浴びている。

それをしなければならない
急がなければ間に合わない

そんな夢の直感を
・・・【夢】のなかに見ていた。

どこへ行けば
その太陽に会えるのだろうか。

その太陽に自分のあやうさを
溶かさなければならない予感を見ていた。

(写真2枚はグーグル太陽検索から添付)