朝、目覚めてまず、

西洋室の山林をくまなく散策するのは、毎日の日課、

海抜700m、ゆるやかな南斜面の、
       樹齢100年の小ナラの林は、

             探し続けた理想の地である。


2005年から植え込んできた山野草達は、

自分で言うのもなんだが、
人より枯らすこと少なく何とか定着して、

最近では、

野草を移動させたり新たに植え込んでも、
           枯れてしまうその前に、

その場を拒否しているか、受け入れているかが、
           何となくわかるような気がしている。

原生林だった下草刈りからはじめて、

はびこっていたクマザサなどの
     根を引き抜くのに2年と半年。

      ・・・それからカタクリを植えて5年がたった。

去年よりも今年と、勢いを増し
反り返って咲く、薄むらさきの花は愛らしく美しい。

けれどそれよりも嬉しくて、見入ってしまうのは、

花の廻りに1?にも満たない、小さな
     実生の一葉をつんと立てている、
              カタクリの新しい芽。

斜面にこぼれ落ちて、散らばる芽を数えながら、

数年後の群生の姿を、イメージして眺めているだけで、
             あっという間に時が過ぎてしまう・・・

3年前の5月には、

順調に育っているカタクリ、
   ショウジョバカマ、ミツバツツジ、自生のスミレ、
                  アオイの組み合わせに、

【春の女神】と呼ばれる、
  絶滅危惧、第2種の蝶が一羽、舞い訪れて、
          この山林で繁殖していることに、

俺達は感激を通り過ぎて、
この自然を守ってゆく使命を与えられたと思うくらい、
                とおとい誇りとなっている。

飛騨にいる限り、毎日行う散策は、

ひとり歩く寡黙な時間。

よく耳にする言葉【自然との対話】とは、

同じ繰り返しのコースであるほど、
   葉の色つやの微妙な変化の観察が、
        おしゃべりな時間を深くさせてくれる・・・・。

『あっっ!・・・オオルリ!!』

空を斬って飛ぶ、真っ青な羽を追いかける!

『あっちの枝だ!』 
   『向こうにまわった!』 
         あれっ『見失った!』と、

しばらく脱線しては、また元の道にもどる散策。

心の内、おしゃべりのポイントは、
      季節ごとに絶えず変わって、
         途中でタイムアップになることもしばしば、

朝、8:00をまわると!

そこから急ぎ足で、最後のポイントを通って仕事場へ向かう

そんな散策最後のポイントが、
山林を切り開いた土砂を埋め立ててから作った、

                  手掘りの湿地。

最初は畳2枚ぐらいの大きさだったが、

コツコツ広げて今では、
     30?はある、立派な湿地帯になっている。

水苔を入れ、水芭蕉を2株、
クリンソウ、サンカヨウ、リュウキンカを手探りで植えた、最終地点。

すると、

これまで上手くいかなかった、
   あけぼの草が勝手に芽生えてきて

「 そうかぁ、おまえは湿地が好きだったんだなぁ 」
                    っと、黙って話しかける

そんなある日。

湿地を取り囲む、若いコナラの枝に、
    握り拳くらいの黄色い泡が≪ぶらん≫と、
               ふたつ垂れ下がっている。

待てよ、これテレビだったか、見た覚えあり・・・・・
        【モリアオガエル】がやってきたのである。

やがて、水面に落ちた泡を広げると、
         5ミリほどのオタマジャクシが散ってゆく・・・

一昨年は、その産卵現場に出くわして、

急きょ、仕事に行っている仲間を
        呼び寄せたこともあるくらい、心躍って。

・・・≪なんだろう、このどうしようもなく、うれしい気持ちは≫・・・
・・・≪なんだろう、このどうしようもなく、腑におちる温かさは≫・・・

たぶん、

これが目指す【歓待の西洋室の魅力】だと、
         あらためて師の言葉を読み返してみると、

歓待の風景・・・・。
神々を迎えたり、鬼を迎えたり、獣を迎えたり、人を迎えたり・・・・。
歓待するのは到来するものへなのだ。

あらかじめ招待したものをだけを、迎えるのではない。
到来するものは、あらかじめわからないもの、予期せぬものなのだ。
予期せぬものが時間をざわめかせ、風景をひらく。
歓待の風景とは、到来するものへとひらかれた風景のことだ。

到来するなにか・・・
風の音、ひびきと声、楽の音、物音、広場の喧騒、市場のざわめき・・・
鳥はその空の羽音で、その鳴き声でやがて到来するものの到来を告げる。

人と人との、
あらかじめ大枠のある感情の広がりに対して、

到来とは、
  人と自然と人にあって、
     無限の感情が生まれると師は言っているのだろう。

確かに、
この山林で味わう到来への喜怒哀楽は、
             騒がしく、美しく、純度が高い。

最近夢見ているのは、

山林の下に流れる、川に飛ぶホタルを湿地に連れてきたくて、

地元のホタル研究者に、
とりあえず、近くの水路から採ってきたカワニナを
湿地に放しているのですが、どうしたら良いものでしょうか?と聞くと、

『素人だから仕方がないが、自然は簡単なものではない!』
                    
                  と、けげんな声で叱られて、

ならば、自己流だと、

夜、川に舞うホタルを採っては、湿地で放すのくりかえし。
              するとホタルはみな川に帰ってしまう・・・

そんな挑戦を続けていたものの、全くダメ。

よく調べると、

あの川にいるホタルは、ヒメホタルで、
        カワニナは、ゲンジボタルのエサだって。

            ありゃりゃで・・・ガックリ。

しばらく、諦めていた。
ところが去年、あの真っ暗な山林に
        4匹のゲンジホタルが飛んでいる!

              ・・・けれど、湿地にはいない?

どこかから舞い込んできただけかぁ。

と、思いきや、秋

7匹ほどのホタルの幼虫が低木にのぼって
             光っているのを見つけた。

上手くいけば、
   【ゲンジホタル】が棲みつくかもしれない兆しに、また心踊る。

【台風】
【春一番の突風】
【季節はずれの雪】の到来に

【倒木】の不安に震え、
【カシノナカキクイ虫】の恐怖を抱えて

去年は、【イノシシ】の到来にあい
大事なササユリの根を、ほとんど食い尽くされてしまった
かたくりの斜面も、踏み荒らされていた、あまりの残念。

もう、いま、
春が待ち遠しいのは、そのダメージをいち早く知り
              諦めたくないから。

ニューヨークに行く前。

仲間の一人が、親方よ?、
あの、西洋室の左斜面に
清水が湧き出るからって、積んだ石垣のところ見てみろ、

あそこによ?
たぶん、【沢蟹】が棲みついているぞ・・・
よくわからないが、あの石垣は沢蟹団地になるぞ。

見てみると、一匹の親分カニと10匹の子ガニを見つけた!

2001年、結社したばかりの頃の秀平組のようなサワガニ達。

いつだったか、一番弟子が、
山野草に枯葉の腐葉土を蒔こうとしたとき、

親方?!
落ち葉の中に、大きいウジ虫がいるんですけど?と言う

見てみると、

『バカ!これ、【カブトムシ】の幼虫じゃないか?』
      『お前、知らないのか?』っと、喜び叱って。

『エ?・・これっすか!』と、苦笑いしている。

本当に、なんだろう、このこころ豊かさは、

             この到来の仲間達。

それがうれしくて、うれしくて、
       言葉に出来ないほど、うれしくて

今の俺が、

頑張っていられるのは
俺の仲間たちと、到来の仲間たちが

自然で、目の前にある真実だから。

皆が、同じように大切な仲間として
         共有できていることにあるのだ。

今朝の飛騨は、マイナス12度の真冬だが
             それでも、散策はつづく・・・・