挾土秀平のブログ
太陽の光を、 こんなに痛く浴びた夏はひさかたであった。 皮肉なほど、重なりに重な
2016年度、NHK大河ドラマ 「 真田丸 」の題字を書くこととなった。 8月2
今、いろいろ一気に重なって、追い込まれている。 コンセプトを伝えられたあと、 で
自分の高校時代というと、 もう古い話になってしまうが、 数日前、 地元の快挙を見
数日前、 ある相談を受けて名古屋に向かった。 今、名古屋駅周辺は、 3つの超高層
最初に決めたことを徹底して貫く 最初に決めたことを 心にいつでも取り出せる場所に
それは、 《ひとりひとりの感性と、ひとつひとつの素材》から 《ひとつに繋がった集
✳︎蝶が来たのは、 震災から2ヶ月が経った2011年
九州の頃の20代、その後の30代と、 俺は セメント一色の世界で ただ壁を塗るこ
ようやく、本が出来上がり 手元に届いた。
自分は修業時代からよく叱られてきた。 叱られながら 最もガンコな職人から可愛がら
もう打つ手立てはなく、戻れない。 そして、現状維持も出来なくなってゆくだろう景観
4月24日 本が出来あがるという、知らせが入った。。 以下、目次
広漠な地平を眺めている 遠い向こうまで雲が立ち込めている。 長い旅の車窓は 見下
建築家、隈研吾氏と出会ったのは3?4年前。 東京、芝にある 個人のゲストハウスの
3月中旬、 ようやく雪が溶けて、春の気配を実感したのも束の間。 22日、23日と
厳しい冬が嫌いじゃなかった。 青白い夜の サラサラと乾いた粉雪の広がりは 遠く見
この今 穏やかな一瞬の今 変わりない日常の今 なんの変哲もない時のなかで さく
去年、本を出版するといいながら、 なかなか出来上がらず 自分自身も待ちつづけてい
職人社秀平組は 15年前、40年ほど経ったボロボロの鉄骨倉庫に ベニア板を打った