熊本は自分にとって第二の故郷である。

高校を出て直ぐの自分を
左官見習いとして受け入れてくれた地。

子供の頃から出不精だった自分が
はじめてひとりで旅した場所、熊本。


懐深い、上内卓社長
知性的な情熱の上内丈光専務、両氏の
指導の下で技能五輪優勝へ導いてくれた。

当時、その会社には5人の技能五輪優勝者がいた。

毎年、夏前の2ヶ月間は
仕事が終わったあと、19:00頃から
技能五輪予選となる技能検定課題の練習を徹底的にする。
こうした会社の伝統があった。

開放した倉庫内にいくつもの裸電球をつけて
熱気と蒸し暑さが入り混じった練習の毎日
ねっとりした首にまとわりつく虫を気にする暇もなく
きっと全国には同じような努力をしている者がいる
そして憧れの優勝者達に一言でも褒められたい。
そんな思いで
毎夜、終わるのは22:00を過ぎる。

上内丈光氏は、
とても厳しい指導者で
過去の優勝者の、
それぞれの逸話をよく我がことのように誇り高く話した。

【鼻歌まじりの野村】
【天才筋の緒方】
【悲運の成松】
【根性の岡部】
【史上最年少の市原】

そして
【高卒初の挾土】
【同期の丹波】

競技大会以外に
会社には、現場で一線級の腕前を持つ
地味だが、いわゆる金筋と呼ばれる職人がゴロゴロいた。

夜の練習場の倉庫には
5人の優勝者や上位入賞者が代わる代わるに現れて
後輩の指導にあたる。
そんな視線を背中に感じると
緊張で手が動かなくなった事をよく覚えている。

皆に、よく叱られ、
からかわれ、可愛いがられた。

職人の哀しみも、喜びも、
厳しさも、我慢も、

同じ釜の飯を食った絆は今も
様々な経験と、礼儀と道理、
なにより
技能より重要な職人気質を叩き込んでもらった。

飛騨に戻ったその後も
熊本に立ち寄ると、
『友、遠方より来たる、また楽しからずや、
明日試験なんぞや二日酔い』

そう言いながら酒好きな丈光氏が、こう付け加えた。
『お前は、ほんなこつ、本当の左官の道ば見つけたごたんね』

優勝者や金筋達が皆、いつも集まってくれて
いったいどの家に泊まったらいいのかと、迷うほど愛情深い熊本

一度結んだ繋がりは、
自分も熊本も断ち切ることはない。

上内工業、 熊大前の居酒屋、熊本新市街、水前寺、

健軍、熊本城、植木、大津、阿蘇、高千穂峡、

八代、菊池、天草、球磨、えびの高原、 人吉、

ドンドン亭、ニコニコ堂、ぼした祭り、寝台特急はやぶさ号・・・・

思い出は語れぬほどある。

そんな折、旅の部屋で
今回の最初の地震が起きる1時間ほど前だった
ほんの一秒、ぐらっと揺れた錯覚のようなものがあり、
それでテレビを注視していた。

その後、
熊本の地震のニュース速報を見る。

結構揺れた震度が気になって
テレビをつけたまま浅い眠りに着いた
深夜に流れる警報音に目覚めて、
画面に表示される大きい震度に、
何か不吉な直感を感じていた。

しかし、
何かができる訳でもない。

それからも続く大きな震度に
兄弟子達、優勝者に電話すると
家の中は、ぐじゃぐじゃだが大丈夫だという。

その後も
落ち着く気配のない大きな震度に
皆に電話をして
何かしてほしいことがあれば言ってくれと伝えると

『お前も今はいろいろ大変かろ、お前の頑張りをいつも
皆誇りに思って、見よっとばい、
大丈夫心配せんちゃよかよ、
でも揺れが凄かけん、寝るのは車の中よ』緒方。

『なんとか家族で集まって、飢えん程度に食べてるよ、
こればっかりは、どぎゃんもならんけんが、
そげんこつ、お前は心配せんちゃよか!』市原。

『お前がこうして連絡してくれるだけで、ほんなこつ嬉しかよ
何もいらんばってんか、揺れが収まったら
お前の元気な顔ば、見せてくれたら皆、それが一番良かったい』丹波。

伝わってくる、熊本らしい愛情と気丈な心。

そしてひとりの金筋は

『な?ん、家のなかのもんは、みな倒れてしもうてからね
何から、かたずけたらいいか、分からんごつ酷かよ
それで、お前が世界大会から帰って来た時にくれた(30年前)
何処か外国の土産の、小さか、木の時計もバラバラになって壊れてしもうてね
それでそれば、探して拾ってボンドで貼りよっとたい』藤本。

俺はその時計を覚えていなかった。

これには正直・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・ポロポロ泣けた。

なんだか分からない
どうしようもない異常な反省に包まれた。
もっと、しっかりしなければ
敏感でない自分の情けなさも重なって泣けた。

今の自分があるのは
このような熊本があるからこそ。

兄弟子達や、可愛がってくれた金筋職人たちのいる
熊本との絆がどれだけ大切なものか。

どうにかして時間を作り、熊本へ足を運び
第二の故郷の、皆に会わなければならない。