飛騨高山を
素晴らしい土地だと思っている。


梅、桃、桜が山菜が、一斉に目覚めてゆく三春。

【マンガ日本昔ばなし】のような山々が
ぼっこり盛りあがって揺れている真夏の緑。

秋のなかに
もうひとつの四季があるような、哀愁と紅葉の移ろい。
厳しい氷点下が見せる、青哀しい冬の美しさと怖さ。

12月から5月まで冠雪した神々しい北アルプス。
新緑の透明な透明な、緑の大気と淡いひかり。

夏でも寝冷えしてしまう寒暖の差。
どこまでも深く続く山々、闇、星、水。

蝉が鳴く鳴く千光寺山で、下保、桐山、良いと鳴く。
縄文からつづく独自多様な文化。
一年を通していつでも出会える凛とした空気。

激しい喜怒哀楽の表情を抱えた
飛騨の自然は、ほんとうに素晴らしい。

けれど・・・俺たちは・・・

今や地域との接点はほとんどなく
人との関係は年々薄れて
こころ許せる人も徐々に少なくなっている。

その訳のひとつに
飛騨は職人が暮らせる町ではもうなくなっていること。
見えないしがらみで決められていること。

ここで言う職人とは
もともと地域に根ざしていた職人を言って
工業的技能職人とは、まったく違う。

塗り壁と言っても
石膏ボードを下地にした表面仕上げのみの
漆喰や珪藻土塗りがあればいいところで

元々の土地柄の気風を持った大工や左官仕事は、
ほぼ消え

飛騨に住み、飛騨に拠点を置いてはいても
東京をはじめとした
県外の仕事が大方で
地域との関わりを実感出来ることは、ほとんどない。

そこにメディア等で露出すると
もう飛騨にはいないんでしょ
全国区だから地元の仕事は相手にしないなどと聞こえてくる。
テレビ出演で高額なギャラがあるという(ない。)
先週は行政から理解できない苦情電話に、
それはあんまりだと
地元と自分の意識は離れるばかり。

この7?8年、地元の取材は出来る限り断っていた。
仕事でない限りは極力表にでないようにしていた。

一ヶ月前、
地元情報誌【さるぼぼ】からの取材依頼があって
ゆっくり断るつもりでいた。

度重なる連絡に話を聞いていると
今回、あの渡辺克則さん(ドライチャンネル)が
表紙をデザインすると言う。

『この取材、僕というより、
我が職人社秀平組の職人衆を全面に出してもらえるなら・・・・』

というやりとりの末、引き気味な気持ちで
取材を受けることとなった。

・・・・出来上がって

編集長の手際のよい段取り
書かれてあるライターの文章が
深く調べ考えられたもので
芯をついて素晴らしかったこと

そして
なによりやっぱり、渡辺克則さんの
絶妙なユーモアの奥に込められている
読み解ける者は読み解け、読み解けないものは誤解して理解する
やじろべえのような知性がたっぷり。

その後
いつもの酒場に行くと、常連仲間が皆口々に
秀平、あのさるぼぼ、愛情たっぷりで
お前におもねることなくしっかりと芯をついた
いい記事だったぞ。

そんな言葉に頷いた。

それで渡辺さん
俺は犬、動物扱いになっていましたね・・・・
けれど、あんまり吠えると獲物を落とすので
ご教示どうり、これについてはここまでにしておきます。

さて
これまで取材は数々受けてきたが、
その内容と取材魂において
【さるぼぼ】全国に通じる一流の力あり。

久しぶりに
落としかけていた飛騨に
ほんのり灯りがともった、あたたかな取材であった。


月刊さるぼぼ3月号 記事