12月31日、
師から手紙が届いていた。

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秀平様
小林澄夫

今年も終わりだが、
月日の経つのは早いもの・・・。

背景となった真田丸の件、
たぶん西洋室のはじまりから
すべてがひとつの糸で、繋がっているのだろう。

熱のあるところに、ものみなは集まる。

もともとの始まりは
八ヶ岳の《松ぼっくりの小屋》
飛騨の民家の屋根の、古いくれ板を集め、
それを泥で結いのように人を集め完成したことにある。

私は思うのだが
職人社秀平組が左官の仕事のための
結社であるとするならば、

秀平の結社は、
はじめから職人と職人の、
人と人との結社を超えて
水や泥や木ぎれや

生きとし生きるものへと開かれた結社だったのだ。

いわば

物たちと、
生きとし生けるものを結ぶ結社なのだ。

人と人を結ぶ結社の向こうに
《西洋室》があるのだと私は思う。

そう、

松ぼっくりから
いまの山の中の
西洋室までの必至の時の流れは

縄文の記憶の残映する
山深い飛騨で生まれ育った
秀平の持って生まれたサガなのだと。

その逃れがたいサガが
西洋室という歓待の結社の
創造をうながすのだと私は思う。

さあれ
疲れたら休めばいい。

今年もよろしく。
秋、法事で田舎に帰った時の写真と詩を集めて
冊子にしたので送る

草々。

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この手紙で師は、
【必至】の時の流れを断ち切ることなく行き行けと
そう、言っているのだろうと思う。

「必死」とは、
「失敗すると終わりになるという気持ちでやる」という意味で

「必至」は、
必ずその事がやってくる。
そうなるのことが避けられないこと。そのさまだとある。

師は、唯一無二の左官の編集者として
左官に生き、塗り壁の悦楽に震え、
その悦楽と、時代の悲しみの摩擦を言葉に変えて生きた人。
そうして左官の運命の、悲しみの器を抱えた詩人となり、
自ら空虚になって時代を俯瞰し
今や言葉をも捨てようとしている。

そんな師が、ふたたび左官の今を超越して、
いつも静かに、俺をうながし
言葉のある手紙をくれる。
俺は、師の言葉を信じて生き、
形づくることで、なんとかここまで来た。

師は鬼の到来をも受け入れる歓待の精神と
時代の風を受け、行き行きて行き行けと言う。
疲れたら、休めばいいと言う。

ともあれ結社から15年、
職人衆と左官らしく生きるのは、必死であった。

必至を疑う者は、
その糸を断ち切って消え
信じられない者となって去って行った。

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はじめから職人と職人の、
人と人との結社を超えて
水や泥や木ぎれや

生きとし生きるものへと開かれた結社だったのだ。

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この先も左官らしく生きるには
師の言う、
必至の時を形にする
職人と人との開かれた結社を
いかに現実にしてゆくかを実戦することなのだと思っている。

そんな2016年の幕開けに
早速、この開かれた結社をはじめる機会がある
10日11日と佐渡から
鍛え抜かれた若い芸能集団がやってくるのだ。

丸一日のその晩
秀平組も交えた十数人で座談会を開き
たぶん、話はテクニックではない
単純素朴ではあるけど単一で均質ではなく
美しさとか心に響くことを、一緒になって考えてみたい。

師も賛同して駆けつけてくれる
場所は【黒◼︎の間】
座長は俺、秀平座=それは開かれた結社の第一回になるのかも知れない。

今後、もし
このブログ遠笛を深く読み、想いある人が
6人程集まってくれたなら
それを第二回としてみたいとも思う。

が、しかし、いるだろうか?
行うとすれば、4月2日・3日。 席料30.000として

連絡はホームページのアドレスへ。