東京渋谷、パルコ劇場にて
「影向」という舞台があった。

暗い床を一歩ずつ
踏みしめるような朗読。

膿を絞り出しているかのような踊り

影と影を縫うように通り過ぎる女性の影。

舞台は物語ではなく
切り替わってゆく場面場面に
観ている側も想像力を働かせるといった風の物で

暗がりの舞台は
鍵盤を叩く残響で幕を閉じた。


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その
暗がりの舞台が
閉じてゆく時の曲が
しばらく大音量で場内に流れたのだが・・・

そのピアノ音は
《軽やか》《美しい》とは違う

鍵盤を弾くというよりは、
打ち込むような音を響かせて
水面に投げ落とされた石が
深く深く沈んでゆくような

そんな響きに、
顎をあげて目を閉じると
身体がビーンと痺れるような
ハガネの秒針が震えているような感覚に陥っていた。

それはもともと
ピアノの音が好きだから引き寄せられたのか
この舞台が独特だったからか、わからない。

けれど、なにかその時
自分があらわになっていて
ただただ打たれていた。

鍵盤の一音一音に打たれるごとに
なにかが浮かびあがり
浮かんでいるものは、

果てしない背景にあって、空っぽに思えた。

そして打たれている中では
自分はあるが消えていて、
入り混ざったものが分けられて
判断したり覚悟できる領域にいるような気がしていた。

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それから知ったピアノのこと。

極めて弱い音色=《pp ピアニシモ》
その対極にあるのが=《ff フォルテシモ》

最近思うのは、
テクニックを磨いていくほど
伝わりにくくなっているものがあるということ。
今、震えたのは、テクニックではない。

ロシアの作曲家 ウラジミール・マルティノフ
強いフォルテシモと、弱いフォルテシモ

以来、
あの舞台で流れたピアノの響き
このフォルテシモを手に入れて聴いている

水の底から
光を見ているような感覚のなかで、
いつの間にか眠っている。