太陽の光を、
こんなに痛く浴びた夏はひさかたであった。

皮肉なほど、重なりに重なった仕事の打ち合わせ、
それらはどれも、プロジェクトの顔になる、運命を託されたものばかり
どうするどうしようの、秒読みのような時間。

そんなさなかの大河ドラマ、【真田丸】の、未知数の挑戦は
猛暑と並走して、限界以上のエネルギーを使った二ヶ月がつづく。

失敗は許されない
新しさを求めた試行錯誤の真っ只中、

8月、14・15日の2日間、スイッチインタビュー
舞踊家、田中泯さんとの対談収録があった。

まったくの初対面だった。


日が近づくにつれて
深夜、田中泯さんのドラマ、コメントなどを見る、考える。

ひとり向き合うたびに、対面する自信がなくなってゆく・・・

自分自身、
一徹な気質、本質を持った、
職人世界を渡って来たからこそわかる匂いがある。
噛み合わなければ噛み合わない。

田中泯さんの存在感は、=かたくな、ではなく

哲学、概念であり、明確であり
強く、しなやかでいて、
その奥にある哀しみを、いよいよ深くしているように思えた。

そんな直感から、
この対談にどうしても譲れない注文をつけた俺。

それは、
田中泯さんが自分を訪ねることから
はじめさせてもらいたいこと。

まずは、
自分の表現、自分の場所を、むき出しにすることで
田中泯の直感を受けて
話を始めて行きたいという想いがあったのだ。

つまり
自分だけで裸に接する自信がなかったのである。

それを
承諾してくれた田中泯さんと対面して、すぐ

僕は、この2日間
どう呼ばせてもらったらいいですか?
と聞くと、
普通に、泯さんで結構です。と、答えられた。

初日は、やはり緊張感が先行する。
お互いの感性を、話題も言葉も選びながら探り合うような
共通する、あるいは相反する部分を確認し溜め込んでゆくような・・・・・

ただ、泯さん自身が真っ直ぐ
対峙しようとしてくれていることが分かった。

何処かで堰が切れる。

時折、今の社会に対する苛立ちが、ギラッとこぼれる

泯さんのなかに、どうにもならない
湧き出るものがあって、
それを表さなければ静かになれないかのように思われた。

泯さんは、
踊ることで静かになろうとしているのではないか?

言葉以前の喜怒哀楽の衝動を昇華して
静かでいたいから踊ってしまうのでないか?

俺の過剰な和室を祭りだと表現してくれた泯さん。

つまり、祭りとは踊りであり
もっと踊っていたい・・・・
やがて誰もいない。

ひとり踊る祭りのあと・・・
その場所に残る余韻のこと
ほろ哀しい残響にいること。

月の壁を背景に踊って貰ったとき
真夏の白昼の和室に、深夜の冷気が漂った。
あの踊りが
祭りの後の静けさを表した踊りであったのなら
それは、この上ない泯さんからの勲章のように思えた。

踊り終わって、この壁は強いと、一礼している泯さんの姿に

俺こそが、もっと裸になって
体裁を捨てなければと思った瞬間であった。

初対面は知り合ったお互いを
感じあった程度だったと思う
明日、またお願いします・・・・泯さんと別れて

俺は、疲れと緊張で2時間半、そのまま倒れ込んで眠った。

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ひとつ、面白いことがあった。

自分は初日、ジーンズにセーターで、
素足で雪駄を履いていたのに対し
泯さんは、襟のある上着に、シッカリと結んだ革靴だった。

2日目、東京のスタジオへ、襟のあるシャツに革靴で訪ねると
泯さんは、Tシャツにスリッパ。

それが嬉しくて話すと、ニンマリした泯さんは
友人のように自分を出迎えてくれた。

今日は、自分の考えや、疑問を
こちら側から積極的にぶつけることになっていて
飾りひとつないスタジオで
泯さんと俺は、2時間以上ノンストップで話した。

堰は切れていた。
泯さんが前のめりになって

「そう、そうなんだよ」
「?なるほど、それ面白い話だね」

話題に尽きることがなかった。

本気で
笑い
考えている表情や
驚いた表情
子供のようなまなざし

目の前で、今ここに
70歳、泯さんが生き生きとして語ってくれる表情の豊かさ。
本当に人間味ある、いい顔で、向き合って貰った。

自分も体裁なく話せたこと
泯さんの言葉と表情を
少しでも受けて、話したい、その一心の2日目だった。
初日とは一転
話題が尽きることがない2日目だった。

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2時間以上
真剣に聞いて、
自分流に理解して
それをぶつけていたから

今を持って、その会話を断片的でしか、思い出せない。

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とても楽しかったよ、
またいずれ会いましょう
そんな声をかけてもらう。

ただ、番組で
あの時の、泯さんを、思い出すことはできなかった。

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こうして、怒涛の一ヶ月半が終わった。
まだ、クリア出来ていない課題を引きずっているが・・・

田中泯さんにあってから
確かに強く、見えてしまうものがある。

身体より、感受性より、感動より
それらの実感から離れてしまい
頭ですべてを動かしてしまっている姿

頭が優先している話は、言い訳でしかなく
すれ違い、通じ合うことはない。

かけがえのない実感は身体がさきに知るものなのだ

頭ですべてを動かしてしまっている姿
礼儀を尽くしていても、ただ礼儀としてそこに置いただけで
何も伝わって来ない
お互いの溝は、どんなに埋めても埋まらない。
近ごろは身近に、そんなことを思う。

ダラダラと書いたが
いまだ、田中泯さんを、どう、こう、とは表せない。

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さて今、
秋田県増田町という
蔵造り最高峰の町に招かれて、東北新幹線で移動中である。

泯さんに会う前の
8月のノートをめくっていたら
こんなメモを記していた

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意識があって身体を動かしている

それに対して
意識しないで身体が動いている・・・と、言うことは、

意識がつかめないほど大きなものに
先行きが分からないものに向かっている状態なのか

それは
その場に吹く風のような身体。

把握出来ない、たどり着けない向こうへの

願いとか祈りのような行為なのか

・・・・・それが踊りか?