自分の高校時代というと、
もう古い話になってしまうが、

数日前、
地元の快挙を見ながら同時に、
自分たちの当時を思い出して懐かしくなった。

岐阜県立高山工業高校。

あの頃の雰囲気は、
「ああ、花の応援団」というアニメが
はちゃめちゃだった、厳しくもゆるい時代を象徴していた様に思う。


頭髪はリーゼントかパンチに、オールバック。
いろいろあっての青刈頭。
額にソリコミを入れ、眉を細く揃えて、

学生服は学ラン、中ラン、短ラン。ハイカラーの襟。

服のボタンをはずしてファスナーを開くと
薄ムラサキのシルクの生地の左右に、龍と虎の刺繍・・・

鉄線で縛ったペタンコのカバン。
エナメルの黒い靴。
全体を小さく破ってボロボロにつくろい、つばの芯を抜いた黒帽子。

高校2年の夏、18:30。

毎日のように立てなくなるまでシゴかれて、
下駄箱のすのこにしばらく仰向けになってのびていた。

その度に部員仲間に寄り添ってもらって家に帰る毎日。

・・・その夏、
いろいろトラブルもあって、
結局その部活を辞めてしまった俺だったが

そこに友人、奥原 茂から誘われて入部したのが、
高山工業高校ハンドボール部であった。

この【高工ハンド】は、

当時、学校のどうしようもない者どもが、伝統的に集まる部活だった。

今思い出すと、
俺達はそんなに根が腐っていたとは思えないが、

先生を殴って頭を青坊主に刈られた奴、
学生服などの校則違反を繰り返して謹慎処分になっていた奴、
毎日反省文(生活記録)の提出が義務付けられている奴 (奥原)

・・・ばかり。

授業が終わった放課後、
ハンド部専用のグランドでキャッチボールをしていると、

そこに先生が来る。

「おーい、集合」
声をかけられても全く無視して、
校外の神社に向かってランニングに出発。

神社の長い石階段を駆け上がって、
境内の縁の下で全員並んでひと涼み。

しかし、飛騨管内では
夏の地区総体で、いつも優勝してきた【高工ハンド】

・・・それはなぜか?

対戦相手が決まると、
選手を呼び出して試合前に威圧し、戦意喪失させる
そうして試合開始直前に、審判をはさんで並び立つと
短パンサイズは、全員一番大きいOサイズで
ユニホームの裾ギリギリまで下げて
前のめりに、斜に立って整列する。
そうする事で、ノーガードでシュートが決まり

そう言った形で、なんなく優勝する訳である。
そうして飛騨地区代表となって県大会へ。

県大会では
試合前に相手を威圧する、そんなことは全く出来ないので、
俺達の先輩達は、頭から負け試合と決め込んでの試合。

強引な体当たり等の反則の繰り返しで

プッシング=相手を押したり突いたりする行為
ホールディング=手を使って相手を捕まえて動けなくする行為
ハッキング=相手を叩く

ただ相手方にダメージを与える事のみが目的。
県下では、とてもたちの悪い評判の部活だったらしいのだ。

俺は、そんな部活に入部した。(それはそれで楽しかった・・・)

ちょうどその頃、
学校側では、学校の問題、 高工ハンド部を何とかする為だったか、

いつものように
好き勝手にキャッチボールをしていると、突然。

自らが国体優勝者で高工のスキー部の顧問として、
国体に選手を何人も送り出している、剛腕先生が現れて、
「今日からお前たちの指導をすることになった。」っと宣言。

俺達は毎日叱られ、
シゴかれ、走らされて、
ただ個々がシュートを打つだけのチームから、
はじめていくつかのフォーメーションを習った。

そうして、地区総体をはじめて正々堂々と優勝したのである。

ステージ変わって県大会へ。

覚えているのは、
県下一の乱暴者チームとして、
審判が異状に俺達を警戒していた事。

一回戦、正々堂々と試合をしていても
反則してないのに、
何度も反則を取られて苛立った事。
「ちゃんとやってるじゃないか!」

審判団は、問題が起きない内に、
早く高工ハンドの試合を片付け終わらせたい。
そんな暗黙の了解の雰囲気が露骨に実行されていたように思う。

俺はあと入りで下手だったので、
ただ必死だったことしか覚えていないが

学校の応援など全くないし、父兄だって誰一人としていない
ところが不思議にそんな状況で勝利したのだ。

俺達も「まさか勝った」と歓喜した・・・。

その時の剛腕でない方の先生の顏つき。

俺達が、まさかの勝った瞬間驚きで、口を茫然と開けて、
いかにもイヤそうに立ち尽くして、
迷惑そのものだった訳は

まさか宿なんて取っていない、
そんな資金も、もともと用意していない。
今何時だ、これからどこか宿を探さなければと、うろたえていた。

とりあえず何とかしなければならないが、
その金は、今後どう工面して行くのか?というような困惑顔。

そして、2回戦・・・なんと・・・??

また勝った

俺たちは、県下ベスト8に。

勝ったことを
怒るわけにもいかない先生が、だんだん無口になって行った。

3回戦、
初めて立った体育館の室内コートで負けた。
ハンドはマイナーな分野であることも手伝って、
それは誰も祝福しない快挙だった。

ここまでは
よく奥原と今でも語る笑い話だったが・・・

さて数日前の快挙には、地元が湧き上がった。

地元、斐太高校野球部が
3回戦を勝ち上がって岐阜県大会ベスト4に進出。
26年ぶりの事らしく
学校は全校あげて、バス移動し大応援団を送り込んだ。

今日勝ったら決勝の情報に、

準決勝をテレビで見てみると
スカウトしてきたような選手は一人もいない。

バッターボックスに入るたびに、画面表示される出身中学は、
皆、地元の普通の中学校で、
まして斐太高校は進学校、・・・・所詮、練習量は知れている。

対戦相手は、エースが故障して投げられないとは言え、
この春の甲子園【選抜ベスト8】に進出した
岐阜県高校野球の名門中の名門、【県立岐阜商業】(県岐商)である。

それが、まさかの4:3で、斐太高校が勝利したのである。

【明日、決勝】の号外が出た!

高校野球100年、斐太高校130年の歴史の中で、
地元飛騨が甲子園のキップへ、初めて王手をかけたのである。

テレビで勝利した瞬間、
縄文が弥生に勝った!
木棒が槍を折った、そんな風に思えて

腕から二の腕に、首筋に、
うなじを走って脳天まで、鳥肌が立って。
すぐ鼻の奥ツーンと泣けてきて、

聞いたこともないが校歌が流れて、また泣けて、
その歌詞にあった乗鞍 (のりくら=北アルプス)の文字に
周りが見えなくなるほど泣けてきた。

飛騨地区にとって甲子園とは・・・

甲子園がどれだけ遠い、
その向こうの、遠い夢のまた夢か!

それが、目の前に来た瞬間だった。

その興奮は、たぶん

・野球というチームプレイの中にあって、場面場面で個人にのしかかる
すべてを背負う時の重圧を、リアルに自分に重ねて想い。

・栄光と悲運、奇跡と伝説たっぷりの野球の伝統の深さは、
他のスポーツの比ではなく、人生を左右するほどの魔物がいるかもしれない事。

・まるで甲子園にいるかのような大応援が伝わってくること

・そして何より、
政治も経済もこんなにもどうしようもない社会情勢の中で、
余計なことに迷わず
若者が無心で真っ直ぐ、目の前のことに精一杯立ち向かっている姿。
それが何より、今の自分の心を打つ。

日増しに
地方色が薄れつつある地元では、
春慶会館や旭座の閉鎖、
昭和の映画シーンに使えそうな
簡素で味わいのあった駅舎も消えた中で・・・・

斐太高校野球部の決勝は、
9回最後まで奇跡を夢見れる展開で惜敗。

けれど甲子園を目前にした地元は、
     この数日間、誰もが色濃く湧いた。

タイトルに「ふたつの快挙」と書いた。
ま、俺達の快挙は、俺達だけの小さな快挙として懐かしく

この夏、斐太高校は、
まさかまさかの夢こそ叶わなかったが

久かたに【地域という】強烈な感覚を我々に与えた。

それは歴史に残る快挙であり、
奇跡的な真夏の出来事であった。