もう打つ手立てはなく、戻れない。

そして、現状維持も出来なくなってゆくだろう景観は
地方にゆくほど変わっている。

自分の地元も、
もう戻ることが出来ない状況にまで
変わってしまった地域だと思う。

それに対する疑問の声は上がる、

けれど、

もう変化は止められない。


この10年
自分は地元の景観に関わることが、
ほとんど出来ていないが

最近は、手が加えられたものに
ますます違和感が生じている、

素材も、色合いも忠実にしていながら
なのに、ますます軽く薄くなってゆく

なぜか?
(ここに、すべてが詰まっている)

地域全体が、人の感覚も含めて地域ごと
徐々に徐々に、根本から変わってしまったのだと思う、

つまり
《根っこ》が違えば別のものが生まれる。

もはや変わる途中ではなく、
変わったことを受け入れるしかないのだ。

ここで、どう生きるか
それとも別の居場所を考えなければならないか

自分たちのひとつひとつを
考えなければならない。

以下は、ただ漠然と綴ってみる

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(師からの手紙)

3.11のあと、日本全体が、
本当の道を見つけかねて漂流をはじめている。

それもただ
上層の政策者か、指導者ばかりではなく、

一般庶民まで巻き込んで、迷って難破した船のように
一蓮托生の身をさらしているといったふうの、

たぶん

社会に於ける文化の在り方として

根本的にヴィジョンのない国策の、
        復興景気に乗るのでないとしたら、

職人の仕事は、
建築産業の工業的生産の工場労働者や
よくいってもエンジニア的管理的仕事の他は、

減りはすれ、
増えることはないと思うしかない。

職人社秀平組のような
野丁場左官のチームワークに、

職人主義に根をおいた仕事が要求されるような、
            そのような建築は百に一つもないだろう。

といっても、こうした時代の流れをボウカンし、
手をこまねいているだけでは、なにもはじまらない。

秀平の「日の丸弁当の詩」の段取りと戦略を、
この自由を失った管理と効率だけの時代に、
対峙し、あらためて深めてみなければならないだろう。

左官職人もまた、
工芸的、民芸的な著名のある
独り仕事に生き残ることは、
そこそこの才能があればできるだろう。

しかしそれは
空間として、景観としての背骨のない
本来の左官の本質を失ったものとなってしまう。

かつての、
その建物の見栄え(空間、外観)の品格を左右したという
野丁場左官の仕事を時代は要求せず、

一部著名な建築家やデザイナーの
コンピューターと超工業的技術で大量生産される建築、
原子力発電所をつくり出す先端技術で
超高速している戦闘機を設計デザインするように

建築も生産、製造されるのであろうから。

職人の身体的技術の熟練と
チームワークのそれぞれによって、
それらはたちうちすることは出来ないだろう。

それは、カマキリが戦車に、はむかうようなものだ。

そう、敵に勝つためには孫子の兵法にいうように、
敵のもっとも好むところ、弱点をせめるしかない。

ふたたび
日の丸弁当の話にもどるのだが、
腕のたつ野丁場左官が弁当のメシを食い終わったあと、
残った梅干しの種子の入った弁当箱にお茶をそそぎ、
それを飲みほしてから仕事していたように、
新しい戦略をあみださなければならない。

敵のもっとも弱いところ、それが脳である。
ソフトであり、魂なのだ。

敵の魂を撹乱すること。
たぶんその敵の生きることの価値観を変えること。
敵の社会や文化に対する価値観が変わらなければ、
職人の生きのびる道はあとこないだろう。

それであらためて
ふたたびのふたたび「日の丸弁当の唄」の
段取りと戦略を考えてみなければならない。

日の丸弁当を食うとは、
職人の最悪最低のドン底の状況といってよい。

そのドン底で、
職人の人間としての尊厳を失わず、
しかも美意識や人間らしい感情を
失わない梅干しへの感受性を持った食べ方、仕事の段取り・・・・。

いわばこの段取りと、
先にいった敵に勝つための左官職の復活の戦略とを、
いかに組み合わせていくかに
職人社秀平組の未来はあると思う。

そう、

秀平が十四年かけて生み出した
西洋館とまわりの山林こそは、
現代に生まれ変わった日の丸弁当であり、

人間の生き方の価値観をかえうる、新しい創造物である。

山林に自由在す、である。

あとは、戦略あるのみ。
深謀遠慮・・・

私は西洋館と
そのまわりの山を解放することで、
工業的民芸的世界とは別な、
もうひとつの職人世界が
今ここにあるということを示すことだと思う。

ゆっくりと、
これはと思う人物を招き、
歓待の西洋館に呼び寄せることだと思う。

戦略とは、
今、さしあたってどうするという戦術ではない。
遠い先に正しい目標をおいて
一つ一つ手を打っていくこと・・・・。

ふたたび、みたび、
日の丸弁当の唄にあるように、
端からゆっくりと梅干へと迫っていくこと・・・。

今の危機を条件反射的に
切り抜けるアクロバット的な技術ではなく、

《不変の人間の生き方》
《あり方の価値観》を目標に、

天の星をいただいた、段取りの組み立てのことであろう。

たぶん永遠に、
資本主義の市場経済が続かないにしても、

さしあたって、
この金の支配する社会では

西洋館の仕事の価値がわかる人間を、
まわりに呼び寄せることからはじめるしかない。

元々このような建物を、
実現できるようなオーナーがいないということで、
自らがオーナーになり西洋館は始めたのだから。

建築がおわれば、
それを実現したということで終わらすこともできる。

西洋館だけではなく
秀平組というたぐいまれな
チームワークの職人の世界を持続したいというのならば、

またふたたび
先の戦略の世界に戻らなければならない。

わたしにはわからない。
3.11のあと半年がたったが、
相も変わらず原発の再稼働と
安全保障の声のほかに何も聞こえてこないのだから

時代は変わらないかもしれない、
時代は変わらなくても、
時代を変えるための戦略を立て、
敵のもっとも弱いところを撃ち続けるしかない。

そう、わたしは思う。

ゆきゆきて、ゆきゆくことは、

己の生と、
己の自由の意思を通して
生き残るということを言っているのだ。

秀平の電話の問いかけの答えになっているか、
どうかわからないが、
今、私のいえるのは、そんなところだ。

山林の茶室を楽しみにしています。  草々

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(あるドキュメンタリーから)

このままいったら
背景はなくなってしまうのではないか、
という感を日増しに深くする

背景はなくなって、その代わりに
無機質な、空っぽな、ニュートラルな
中間色の富裕な、抜け目がない、
ただ経済が極東の一角に残るのであろう。

背景とは何だ
いったい背景とは経済繁栄だけなのか
我々は、もっと他の何者でもありうるんじゃないか
我々はなんなんだと言うことを絶えず考えて動いている
私は、私個人が、俺は何なんだという関心を失いたくない。

とにかく現象主義で
目の前に起こっている出来事に左右されて
それで、
時計の振り子のように振れている
どうして、そう言う事で生きられるのか
余りに空虚になり過ぎている背景。

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ついこの間
大丈夫だよ、1000年続いたものは1000年残るから
そんな言葉をかけられた。

今は、その長い線の先端ではあっても
点として分散しているように思う。

どんなに点を残し、
       守ったとしても
           その点は生きてはいない。

俺達は、遠い先に思いを巡らし
よくよくおもんばかる事が出来るだろうか

俺達らしい居場所を生み出せるだろうか。