(くちぬい 中表紙)

1月の終わり、
直木賞作家、坂東眞砂子さんが亡くなられた・・・。

坂東さんとは、2010年の8月、
六本木のBARで、はじめてお会いして

俺のバッグの中に
   ねじ込んで捨てなかった、
         ボロボロの新聞記事に、

ギョッと目を開いて
あなた、変わってるわね?っと、笑われた事を覚えている。


それから、
飛騨へ訪れてくれたり、メールをもらったりして

東京で何度か、
酒を酌み交わしたこともあったが

あって話せば、
こちらも腹を据えて
本音でなければ通じあえない、心裸な人だったなあと思う。

著書の『善魂宿』を読むと

こんなにも生々しく、
    ねっとりと深く、

湯気がたっているような、
  文字が臭うほどの、言葉の表現力は、

もう一方で、

書きながら、歯ぐきがきしんでいる情景さえ
      想像させるほど・・・何かをこっちに植え付けて

甘い唾を呑みこんだかと思うと
         すぐ、苦い唾が口に溜まってくる。

なんだろう?

命を使った術というような。

吐いた息を、すぐもう一度飲むような、
いま、そのままイメージ浮かぶ
生の血がこぼれているような力と凄みに溢れる文体。

一方向からの、まず自己防衛の
当たり障りのない綺麗ごととは、別世界、真逆な人で
美しいことの表と裏にあるものを直視する人だったように思う。

数回ではあったが、会話している時
例えば俺の、受け止めるべき現実の矛盾を
わしづかみ取り出されるような感覚があったが

そこに、自分と向き合う
キッカケの場を作ってくれている人でもあった。

そんな縁で、

著書【くちぬい】の題字装丁を
させてもらったことにも良い経験をさせて貰った。

訃報を聞いて、

   ・・・ただ、残念に思うしかできないが。

         真っ直ぐで、本当に人間臭い人、坂東眞砂子さん。

以下のようなことを、してよいのか分からないが、

素の坂東さんを、
   自分の知る範囲で、ここにあらわし
ご冥福をお祈りしたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

✳︎
先夜はお会いできてよかったです。
新鮮な驚きを覚えました。
あのゴミ箱とみまがうばかりのバッグといい、
その中に大切に、
くしゃくしゃになって突っこまれていた言葉の紙片
(新聞記事)の堆積といい……。
私にとって文字は、無形のまま、体内にあるものなのかもしれません。
これまで文字化した言葉を
ぞんざいに扱ってきたことを気づかされました。

✳︎
バヌアツに着いて、
静かな環境でしばらく執筆と、
敷地整備に専念したいと思っています。
またお会いできる日を楽しみにしています。

✳︎
散文、読みました
『青と琥珀』『運命の逆算』はとても詩的で、
惹きこまれました。
あとの二作は、狭土さんを知るのに役立ってくれました。
もっと、いっぱい書けばいいのに、と思いました。

私自身は、
物語を紡ぎださずにはいられない、という感覚です。
いらだっているとか、寂しいとか、
そんなものではないと思います。
それは、
そういう生地を持って生まれた人々にとっては、
生きることと同じ意味を持つからではないかなと思います。
空気を吸って、文字をはき出す……といったみたいな。

✳︎
『善魂宿』、二回半も読んでくれたって、すごい。ありがたいです。
しかも、何かを受けとめてもらえて、とっても嬉しいです。

私自身、書いている時は、
自分の中にあるものを探り、
それが何だかよくはわからないけど、
外に出しているという感じがしています。

意識と無意識、表層心理と深層心理の間を、
なんとかすくいとって、出しているような気がします。
だから、私自身、半分は自分の書いたものにすごく意識的だけれど、
あと半分は、自分でも把握していないと思っています。

だから、それを、
その人なりにどかんと受けとめてもらえたとしたら、
とてもありがたいし、作家冥利に尽きます。

それに、
秀平さん(と呼ばせてください)の表現の仕方は、
手垢にまみれた「感想」ではないので、
二重にも三重にも嬉しいです。

✳︎
写真、きれいですね。
ホームページの写真を見てても思っていたのですが、
すごく素敵な写真ばかりです。
写真とは、いかに、
現実に散らばっている無限の景色の中にフレームをあてて、
切り取っていくかということだと思います。
それには、芸術的なセンスが必要とされます。
また、その光景との共感も必要でしょう。

秀平さんのその力が、
左官の技術を土台にしての表現力に繋がっているのだと思います。

✳︎
こちらは今週頭、大荒れの天気で、
せっかく整備した海辺の一角が、大波でぐちゃぐちゃになり、
また、整備のやり直しです。

でも、ここは大波がきたら壊れるから、
石を持ってきても無駄だ、ここは大丈夫、
なんてことがわかったからいいや、と前向きに捉えて、

今日も朝からバケツを持って、石拾いをしていました。

✳︎
今夜というより、明日らしいけど、ほぼ満月です。
晴れ渡った夜空に満月が煌々と照り、
波が火山の溶岩のようにねっとりと打ちつけ、
磯に白い泡となって砕けるさまに見入っていたところでした。
家のすぐ前が海で、夜には、よく眺めています。

島に鎖国、という表現に、なるほどなぁと思いました。
ある人に、自主国外追放、といわれたことがあります。

私にとって今の日本社会は、

ものすごく肌合いのそぐわないところがあり、
かといって外国人にもなれず、どこにも属せずに、
ぷらんと中空に吊りさがっている気がしています。

✳︎
闇の中でナイフを振るって、
その切っ先の残像をふっと見たような感じ、という表現、
すごく、すとんときました。

ほんと、私たちが把握できる自己というのは、
何らかの反応に対する
刃の照り返し程度のものでしかないのでしょうね。

✳︎
キツイこと、いいます。
「日の丸弁当の唄」、私はあまりいいとは思いませんでした。
一人よがりです。昼食への個人的こだわり、
あまり多くの人は共感しません。
梅干しの食べ方から何かをつかんだのならば、
もう少し掘り下げるべきです。
これでは、日々の雑感。どーでもいいエッセイです。
いいたいことがあるならば、もう1歩、踏み込むべきです。
日の丸、日本をいいたいならば、そこまでいうべきだし、
そこまで考えてなかったならば、黙っているべき。
激しくいいたいことが見つからない時は、
無理せず、
ふつふつと湧きでるものが生まれてくるまで、待つべきだと思います。

こんな感想、送ったからって、落ち込まないでください。


私は秀平さんを、
なんとなく話し相手にしている感じです。
それにしても、私のことが酒亭の話題になるとは、
           光栄なような、怖いような……。

「歓待の西洋室」を読ませてくださって、ありがとう。
      どれだけの情熱と心がこもっているかと思って、
                        感動します。

その心を、言葉で表したものだなと感じます。
ひとつの家に、日本の伝統を詰め込み、
  それをバネにしようという意欲という
     意味合いもあるのではないかと考えてしまいました。

だからこそ、
言語化された「歓待の西洋室」が、遺言ともなっていくのでしょう。

でも、まだまだ遺言を書くには早い気がします。
            飛騨の酒亭の一献、楽しみにしています。

✳︎
ものを創るということは、自分は何だってできるぞ、
というような肥大したエゴと、だめだ、何もできない、
自分はゼロだという無力感の間をいったりきたりしながら、

なんとかバランスを取って、
        生みだしていくものではないかと思います。

私も、昂揚した気分で、
神さまみたいに世の中を生みだすような勢いで書いている時と、
自分の書くものなんか、まったく無価値だ、
こんなもの、誰が読むんだ、なんて気分に陥る時があります。

だけど、とにかく毎日、書き進めています。
結局、それが楽しいからなんだと思います。

✳︎
確かに、海辺の整備と、書くこと。

洋館と、左官。似てますよね。

私も、なんとなくそう感じてました。

体を動かすことと、夢を追うこと。 具体と理想。

そのどちらにも一生懸命になるところが、
私たちは似ているのかもしれないですね。

そして、話したみたいに、
現実世界と、自己感覚の距離感。遊離感、みたいなものが。

書きながら思ったのだけど、
私たちは、この自己と世界の遊離した感じがあるからこそ、
一生懸命、現実世界にしがみつこうとして、
体を使った具体的な行動に埋没しようとするのかもしれないですね。

一緒にお酒を飲むのが楽しみです。

✳︎
ブログは、「時の拡散」、とてもいいと思いました。
夢と茫漠とした想念とが混然となり、
一種、独特の雰囲気を出しています。
「最果ての風の中」、とても力強くて、
きりりとしていて、いいですね。
詩人としての秀平さんの感性が、よく現れていると思いますよ。

放射冷却の朝、リズム感がよく
歌にでもなりそうな文章です。
最後の三行が気に入りました。


それにしても、多忙な中で、
よく、コンスタントに書いていられると感心します。
秀平さんにとって、これらの文章は、
「書く」ことよりも、「呼吸する」ことと関係している気がします。

✳︎
今は東京ですか。あちこち移動するのは、
またそれで刺激になっていいですよね。
分身がいっぱいいて、
色んなことができればいいのに、と思います。
神は偏在する、という考え方が好きで、
自分も偏在できればいいなと思いつつ、
偏在する神の気分で小説を書いています。

✳︎
「くちぬい」の見本も、バヌアツに届きました。
とても迫力があり、かつ、表紙は素晴らしい出来だと思います
26日あたりに発売らしいです。
本は、中瀬さんにもお送りするように手配しておきました。
年内には再会したいですね。

以下は、くちぬいをイメージし、提案した写真と題字