ニューヨークから戻っていきなり・・・

ただでさえ、あわただしい年末年始に重なって、

抜き差しならぬ事柄が集中して、うろたえたり、
       
少し空いてボヤーンとしたり。

そうそうない
 
緊張の打ち合わせが終わったかと思うと、
   
    数百円の領収書と、
        請求書の整理に追われたり、


年明けからの仕事が空いてしまい、
日々の、職人衆の段取りに悩んでいたかと思うと、

   新しい仕事の提案を、来週までにと急な依頼が来たり、

・・・東京行ったり、
・・・大阪行ったり、

忘れ物したり、突然のキャンセルにあったり・・・

良いこと悪いことが、
    ごっちゃになって絡み合う毎日に

いやはや、はあ?っっと、何ともいやはやで、

神様、

もう少し平穏な時間をお与えくださいと、空を仰いでしまう。

         

そんな年のはじまり、
少し日常から離れた、うれしい出来事をあえて書きたい。

数日前から、机の上に置かれてあった包み箱がひとつ

昼弁当を持って
事務所にあがってきた、職人と若い衆に

『ほら、そこに包み箱があるだろう、それを開いて』
『俺はいいから、食べられるものなら、みんなで分けてくれ』

そう声をかけて、座椅子を倒し眼を閉じていた。

すると、

『親方これ、額に入った絵ですねえ・・・』という。

一緒に入っていた手紙を渡されて
座椅子にもたれて、目を通した瞬間、
              『わあっ』と起きあがった

     送り主は、以前仕事をさせてもらった人物からだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ご無沙汰しております、

・・・こちらは来場者も徐々に増え
御社の壁も、人々が立ち止まる人気スポットとなっており、
とても喜んでおります。

それで、かねてより、

貴殿にプレゼントしたく思っていたものが
ようやく見つかりました、大変時間がかかりましたが
色の発色もとても良いと思います、

              どうぞお受け取りください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

嘉永6(1853)?安政3(1856)

歌川広重【六十余州名所図会】
その、24番目 【飛騨 籠わたし】と題されて
描かれたものであった。

浮世絵に詳しい訳ではないが、

籠わたしという、
飛騨の秘境を描いたものがあって
それが簡単には、
市場に出回らない絵図だと聞いていたからビックリ仰天

送り主から考えても、
    絶対本物に違いない事に、またドッキリ。

どんなにささいでも、
それが細く遠くても、

自分と歴史に、
 なにがしかのよすがを感じられるっていうのは

   うれしく、なにか気が引き締まる心持ちになれるもの。

早速、【籠わたし】と調べてみると。

当時の俗語を集めた辞書
    【俚言集覧(リゲンシュウラン)】には、

籠わたしの条に
飛騨国、荒城郡の籠渡し。《加賀へ超ユル山谷二アル》
               という説明がされてあるほどで、

当時、「籠わたし」といえば
    江戸時代には著名だったようで、
          この図の場所を指したらしい。

しかし実際は、

飛騨と越中の間に流れる、神通川を渡る場面。

さらに調べる

川幅約26m。

装置は、断崖絶壁の谷の対岸に杭をたて、

ノブドウのつるで2尺まわりくらいの太縄とし、
       これを杭に結びつけて両岸に張りかける。

これを命綱といい、
籠の前後に綱を両岸にひっぱって渡す。

渡る人は、籠の中に立って、
身体を固めてブランコのように前後にふり動かし、

それは籠が、ぶらんぶらんと、命綱にふれるほどである。

このとき、あらかじめたずさえていた輪を
たぐっては進んでゆくという仕掛けであり、
命綱の長さは30間ないし60間である。

綱はたるんでいて、
岸から中間地点までは、なんなく進むが、

中間地点から終点までは、
高きにのぼるようで、容易なわざではないという

日本一有名な矢切の渡しのような
のどかな渡しではなく、

飛騨の籠の渡しは、
深山幽谷にたった一本の 綱を渡し、
そこを小さな籠にただ一人乗って、
自らが、ひたすらに綱をたぐるという命がけの渡し。

神様、
どうか無事にたどり着けますように、と願いながら

怖い・心細い・とても疲れる、という

なんともいやはや、
          泣けてしまう渡しであったに違いない。

なーるほど、と納得しながら
マジマジとこの浮世絵を眺めて思う。

飛騨から東京へ
飛騨から全国へ

これまで夢中に進んできたけれど
もちろん、ますますそうして行きたいけれど

飛騨は四季がこんなにもハッキリと移ろい
時折、澄みきった空気の中で、
あたりがクッキリと見えすぎて、怖くなるほど美しい場所

けれど排他的な土地柄に孤立したり
飛騨だけでは生きられない現実もある。

俺たちは、

飛騨にいる以上、一本の命綱と
対岸から引っ張ってくれる綱(東京?全国)と繋がって

      怖く・心細く・とても疲れる籠わたしのよう

それを、左官という不安な水仕事で
渡っているのだからとシミジミとする。

ネガティブでなければ、
生きている土もの水ものは、扱えない

この【飛騨 籠わたし】の絵図でいう中間地点が

職人社秀平組の第一期だとしたら

第二期の命綱は、登りとなって容易な技では進めない籠渡し

ただ喜んだ、この絵図が
今の俺を写しているようにも思えてくる。

2014年。
しょっぱなから、人に言えないこともある

・・・今、人生の分岐点・・・

まあ、とにかく、あれこれある
       人に話せば、愚痴になる。

腹を据えて、いろいろすみませんと
笑っているのも、簡単にできることではない。

それを象徴するようなプレゼント

【歌川広重】

【飛騨・籠わたし】の図=今から160年前。