《 このブログを読んでいる、皆様へ 》

子供の頃から本も読まなければ、
学校の作文さえ、まともに書いたことがなかった俺。

そんな俺が、200回ものブログを書き続けた事に
                自分でも驚いてしまう。

ブログ【遠笛】のアクセスは、
           1ヶ月に、おおよそ5000回。


きっとその中には、
一度も会った事のない人がいるんだろうな〜っと思うと
どんな人が読んでくれているのだろう?
どんな風に感じているのだろうか?
と、とても興味深い気持ちになる。

いくつか聞いてきた感想は・・・

◼︎ てにおはによく詰まるが、秀平独自の文体の流れがあるとか
◼︎ 長くて面倒くさいけれど・・・写真だけはいいねとか
◼︎【遠笛】は、ひとり深夜にじっくり読むブログ
◼︎ 映像的でロマンチストだけど、ちょっと臭いね

などなどで・・・(苦笑だが)

これでも、いつも真面目に書いている
ときには、手ばなしにほめてくれる人もいる。

書いたり書かなかったりの、
1日4〜5行の日記を付けはじめのは
昭和56年、熊本の修行時代だった。

飛騨に戻って、
あまりに理不尽な会社運営と、二代目であることの矛盾
悔しさと苛立ちを吐きだすように文字にした30代。

それから
【職人社秀平組】を立ち上げげるまでの14年間は、
『このままでいい訳がない』と、
バイブルのように、繰り返し読んだ《左官礼讃》

それは著者である小林編集長との、
        長い会話と、旅の時間でもあった。

小林氏が語る一行一行を紐解くように聞き、
       言葉のひとつを、空想に膨らませたり
            言葉のひとつを、掘り下げて旅したり。

「 地 」「 水 」「 火 」「 風 」「 空 」
「 人間の自然とは、
      我々を取り巻く、たえざる流れを絶ち切らないこと」

俺は、いわゆる小林哲学をゆっくり身体に取り込み、

そこから生まれた
新しい塗り壁の物語りを、
     まず言葉に置き替えて、
           置き替えた言葉を体現して壁に表してみる。

出来上がった壁を前にした小林氏は、
いつもそれに、新しい想像を加えた文字で解説してくれる。

俺の壁は、

言葉から生まれて、
    言葉によって締めくくられる
          <あいだ>にあったのだと思う。

当時、建設現場におけるしがらみと、
金額交渉のみの複雑な人間関係のあいだで
セメントの壁は無感情な数値でしかなかったから、
土壁の言葉は、とてもあたたかく、満たされる充実感があった。

第1回《夢を語ろう・・・ 2003.4.21 記》で、
      はじまった【遠笛】は、これで200回となるが、

これらは
小林哲学を種として、この俺のなかに生まれた
【歓待の西洋室】への、夢の記録。

自分の根底になにが流れているか。
なにを大事にしたいと思っているか。
信じる力、ぶれない心を強くもって

それを、しっかりさせて
言葉を身体から紡ぎだせていれば

何処かの誰かに、必ず伝わっているはずで
次への出逢いに届くはずだと、
       信じて書いてきた遠い笛の音。

歓待の西洋室は
土や石や水を、結んでは解き、
木や虫や花の声を、ざわめきを聴く
そうした体験から得た知識。

西洋室を取り巻く景色こそが、
         究極の左官ではないか?

ひとつひとつの素材を愛して扱い、
景観や空間をもって人をもてなすことで
新しい左官の姿が見えてくると
自分のなかの哲学も育っているのだ。

《 歓待の西洋室は一般に公開することはない 》

けれど、

これまでの拙文のなかには、
見えない鍵が散りばめられている。

その鍵を両手いっぱいに持って、いつか訪れてくれる人、

そしてその
   両手のいっぱいの鍵を
       この俺たちに見せてくれる人を待っている

その時、【歓待の西洋室】の扉をひらき、 語り合いたい。

このブログを読んでいる、皆様へ
         200回目の【遠笛】 夢を語ろう。