もともと俺は、
新しい土地へとか、どこかを旅したい。

そういうのがぜんぜんなくて
子供の頃から、家の前のグランドでいつも遊んでいる、
日常のちょっとした変化で、十分満足できるタイプである。


NY行きの話をもらった時、これがもし、5年後だったら
          たぶん俺は、行かなかっただろうと思う。

けれど今なら試してもいい、そんなふうに心が動いた。

2001年に結社し、飛騨に拠点をおいているとはいえ
その意味は年々薄らいでいる。

匠の町というキャッチフレーズとは裏腹に、
和風の造作大工は激減し、地場の左官塗り壁は、ほとんど消えて
伝統を観光にしながら、景観は極めて表面的、
住む人々の意識や世代も変わって、建つ建物も変わりきった。

景観を保護するという名目の行政がらみの仕事も
ないとは言わないが
数年に一度、接点があればいいところで
やるたびに、口を詰むんで、頭の中が??に埋もれる。

現実は、地元とかけ離れてしまっている俺たち。

《ニューヨークで試すということ=未来を計ること》

伝統の、我々の、数十年後の日本の、
      この先を、感じ取れるかもしれないという出発だった。

特に2週間のチェルシーの展覧会を、
      一番の試しやすい機会と位置づけて
準備を進めてきたNY・・・

その《試したい、知りたい》を感じる為に、
       適当かどうか分からないが、
ある決め事としていることがある。

1、私は日本の伝統的な技能者、職人であり、
       日本の文化を背景にしている、 と、言わないこと。

2、左官という言葉、プラスターワークという言葉を使わないこと。

3、DMにも、わずかに出した美術雑誌の広告にも、
                JAPANの活字を入れないこと。

さすがに日本人であることは、
     否が応にも、あらかじめ知られてしまうが
               でも、言わないところでは極力言わない。

なぜかは、
伝統、文化、職人技、日本。と情報を流した時点で、
そこには、そのような人達が集まり、
お決まりの概念でくくられてしまい

新鮮な評価や視点、NY社会の自然な感想が
聞けなくなってしまうだろう。

そして、日本とか伝統では、
職人衆を守ってはいけない現実からすると
俺たちが地元ではなく、東京で今までを生きてきたように

NYに日々現れるARTのように、
捨てられて、称賛されてゆくそのひとつとして
《ただ、表現だけを裸であらわし》、
NYがなんと言うか、どう見るか?試す、さらしてみる。

伝統とか文化という概念に頼らず、
裸のままで表した時、NY現代にどんなふうに響くのか?

そこに、俺たちの方向性や、
   未来を想像するヒントがあるかもしれないと直感して。

文化や、生活すスタイルは確かに違うかもしれないが
世界中の都市が、特に東京が、違うなりにNYを追いかけ
同じような感覚を持ってゆくに違いないからだ。

今回の文化交流使は、
    NYに入って4日目の、
        ジャパンソサエティーの講演が第一歩としてあったが

まあ後は、ほんとゼロからの自力って感じで、
      悶々としながら嗅覚に敏感に、糸をたぐり、
             人と接するチャンスにアグレッシブに

小さなレクチャーをキッカケに、次のレクチャーの場を求めてきた。
(こういうのは慣れないから、まったく、くたびれる)

レセプションパーティーの出会いから
       マンハッタンにある相当世界的な設計会社での
                ランチタイムレクチャーの場を得たり

働いている人間と話をすると、金は関係ない。
良いものを、無駄でもいくらでも想像しなさいという方針のようで、
図書館のようなフロアーや、
想像的活動のフロアがあったりと凄いところだった。

ここのスタイルは、
クラッシックの復活を超高層に現代的に取り入れて
ロンドンやロシアの物件の、凄い模型がフロアいっぱいにあって
最高な場を得たとゾクゾクし、レクチャーもいい感触があった。
(ただ、トップレベルがいなかったのは残念)

AIAという建築家グループへの早朝レクチャーに来ていた一人が、
私のアレンジで4?50人集めるので、
再度レクチャーをしてほしい、
26日に時間を作れるかと声をかけてきた。

・・・(喜んで!)

レセプションパーティーでの一夜は、
どうして150人以上もの人がきたのか、
撮影に来ていたクルーも、にわかに表情をこわばらせて。

得たものは、大きく
       初めての環境にしては、 十二分な好評を得た!

ここに来て、NYの深度の表面にやっと触れ始めている。
受けているのも確か。

なんとなくだがNYの社会を動かしている
           入り口付近にたどり着いたくらいか?

・・・・NYで。

ここで言えるのは
何年住んでいようが、どんな仕事をしていようが
皆がそれぞれの価値観で、強いメッセージを持って生きていること。

だからひとつの感想、ふたつの相反する感想なんて
          あまり意味がないって、わかってきたこと。

ましてや、NYとは、
こうした所です、なんていう
ひとくくりにした話は、それこそ意味がない。

ここは、いま誰と会っていて、
         そこに、どんな空気と風が流れているか?

                     ・・・だけである。・・・

それで今回、NYでも通じる、その感触はしっかりある。

出来そうだけど、
ゆっくり行けば、いけると思うけれど

・・・・・時間がかかる感触はもっと確か。

NYの強い人間、そして日本の強い人間、

ニューヨークで影響力を持つ人、
    そして、日本で影響力を持つ人、
          そんな人物が二人いてくれたら、話は早いが

             運命に仕組まれていなければ難しいと思う。

それで、未来は?

《伝統、文化では、生きられない。》

パーソンズ・ニュー・スクールオブデザインの学生たちに
あなたがたがデザインを本当に叶えたかったら、
必ず現場にいる専門の職人に会いなさいと言うと、先生が

NYにも10数年前までは、まだトラディショナルな職人がいたが
      みんな、消えてしまったからねえ、とフォローしていた。

一方で、トラディショナルなものが珍重されています
なんて、話も何度か聞いたが
まあ、わずかな事例のコメントであり、流行り廃りでしかなく

地方は薄っぺらく東京化し、東京は分厚く確実にNY化する。
それは、もう、止められない流れ・・・

左官から、新しい左官へ、
    左官から進化した新しい何かへ 、変わってゆく方向を
                これまで以上に強く持たねばならない。

しかし俺は、
このNYで小さな種を実らせたとも思う
            けれどそれは、まだ土のなか。