以前から福島の色土を採取したい思いがあって、
              7月の終わり、福島へ行った。

その意味はいずれ語るとして、
ふたりの同行者の力を借りて郡山駅からレンタカーに乗り込み、

まずは、放射線測定器を貸してくれる人がいるからと、
             最低限の情報収集を兼ねて川内村へ向かった。


線量計の使い方は電源を入れるだけで数値が出る。

国の定める基準値は
〈0・23マイクロシーベルト毎時〉
これを元に判断して下さいと借り受けて出発した。

土を探すと言っても
目的地や行先があるわけでなく、
ひたすら県道や山道の風景をあてなく走る。

ときに、道から枝に別れた、
舗装されていない林道を、行き止まりまで登っては戻ったり・・・

土を見つけると、
ビニール袋に取り込む前に、
放射線量を測って写真に収める。

いわき市の街道沿いや、
あちこちの村々に野積みされている

黒く大きな土のう袋の大群は、汚染された表土で、
測定器を近づけると〈0.7?0.9〉を表示していた。

そのうちに我々は、
双葉郡を通り福島第二原発付近の、
最近まで立ち入り禁止だった区域に入り、
警察の検問を見て引き返したのだが

その体験を、まとめたり、
整理して伝えることは出来ないので、

この先は、見てきた状況と自分の思いを
           ただただ、書きつらねていきたい。

◆双葉郡を抜けて少し進むと、左に保育園が見えて、
もちろん子供はいない、その教室まえの広場の真ん中に
                ススキや雑草が伸びて風に揺れている。


 

◆暗くホコリをかぶったコンビニエンスストアー
バケツが転がったままのガソリンスタンド
道沿い、あいたままのカーテンの住宅、
タイヤを突き上げて倒れたままの三輪車

これらにはどれも草が生えていた、家の玄関にも
           
・・・・・なぜか草と太陽だけが自分に焼きついて

すぎて行く景色が、なにか違う・・・・
《 無人だから 》だけで腑に落ちない静けさ

◆視界が遠くなった
高架を走っていると山あいの原野ひろがりに
黒い土のうの数えきれないゴマ粒が、
積み木のように散らばる風景に変わる。

その、みどり隆々と茂った遠い景色を眺めていて、??

もしかして、

これ、本当は、水田がつづく風景だったんじゃないか?

《考える》までもなく
これは止まっているんじゃない、
終わっているという気配に思えた。

◆数台前を走っているパトカー、
パトランプをまわして立っている警察官。

2?30m先に検問が見えてストップする

ここで少しの間、
窓を開けて測定器の電源を入れると
警報が止まなかった、数値《26・3》・・・なに!?
もう一度、《24・6》の警報音。

土の採取なんて考えられなかった、ここから早く離れたい。

5キロくらい走ったろうか?
電源を入れると線量計は、警報を鳴らしてエラーを表示している、

この機械傷んでる?
それとも電池切れ?
何度計っても数値がエラーを示す。

まさか?・・・振り切ってたりして・・・・
そんなわけない、少なくとも人がいるんだから・・・・

その間、なんど計っても《20,18,14,》
いわき市内に入っても《11・45》を示し
警報が鳴って、そのあと《0・35》と数値が変わる。

??ホットスポット??
?一瞬吹き抜けた風??

信頼出来ない測定器が、いっそう恐怖をつのらせて
なにがなんだかわからない

頭によぎっていたのは
放射線を止める手だてはなく、今も漏れている現実。

安全だという情報も 機械も信じられない、
むしろ、機械や情報をうのみにすることが命取りになるのでは?

見えない、匂いも痛みもない、なんだかわからない。

わかるのは
もう、近寄ってはいけない
もう人は住めない、それは間違いないという畏れ・・・

・・・・・・・・・・・・・

2001年、子供の頃から、この会社をやってゆくんだ、
そう思っていた会社を、追われたように独立した時を思い出していた。

車もなければ、道具もない
それより、なにより一番苦労したのが土地だった。

人生を賭けた独立に、借地の出発なんて考えられなかった。
まず自分の場所が欲しい、生きる基盤がなければはじまらない。

ここだ!と見染めた休耕田の売買に
持ち主である老人は首を立てに振らず
夏の夕陽に照らされた畑で、一時間近く、土下座していたことを。

なけなしの金を払って
そうしてやっと、手に入れた300坪の休耕田に立って
仲間にこう呼びかけていた。

仕事はない、資材もない、
これからどうしてゆくかの手だてもない。
けれど、この300坪は俺たちの自由な場所としてある。

何でもいいからはじめよう、どうだ、畑を耕そう!

土地がどれだけ大切か、
不動産取得がどれだけ難しいか。

土地とは、
金だけで解決のつかない運を掴むようなもの、
独立以降、そんな事を体験してきた12年間であった。

≪ブログ 私の大地≫

それがいま走行した、数十分の視界すべての土地に
今も微細な放射線が降りそそぎ、
あの検問の先は、1時間なのか2時間なのか
見渡す全部が価値を失い、生きることとかけ離れてしまった。

戦争に負けるって、こういう雰囲気なんだろうか?

一度すり込まれた、恐怖心は膨らみつづける。

走行中、道路脇に咲いていた、
鬼ユリが狂い咲きしているように見え、
花壇に植えられているひまわりは=破裂している、を連想させた。

安全な区域だと言っても
あの広大な土地すべて除染できる訳はなく、
山林は不可能だと聞けば、土は、もう恐ろしいもの

まして川や水たまりは、土よりもっと放射線が集積している
風が吹き、方向が変わるたびに不安な気持ちになる。

土や水や風が危険なものに変わって
             どうして人が生きられるだろうか?

毎年、毎年、
最近は、季節が変わるたびに、雨、雪、光、風、が
観測史上最高を記録して、
海が大地が人間の計算をはるかに超えているのに
どうして、再稼働に安全性が確認できるのだろうか?

事故は日常にこんなにも溢れているのに
事故原因は必ず想定外なのに
もし、もう一度事故が起きたとき、この国どうなるのか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

福島からもどって・・・

数日前、関西の人気情報番組を見ていると

再稼働の是非について
大学教授で、野田民主党時代の閣僚が、こんな発言をしていた。

「 国民は選択しなかったんです。
そういう選択をしなかったから、民主党が負けたんです。

今回、参議院で自民党が勝ったんです。
          だから脱原発はやらない!」
【言葉そのまま】

平然とした顔で、当然のような口調でサラサラと、言い切っていた。

テレビを見ていて
こんなに憤りと許せない気持ちになったのは、はじめてだった。

一週間たっても、忘れられないところに

8月9日のニュースで
福島の女の子が、「お母さん、私、被曝したの?」と、
聞いているシーンに胃が痛むくらい息苦しくなった。

いくらバラエティーでも
どうしてあの言い方が、社会問題にならないのかと
苛立ちがおさまらない。

ただ、この人の言ったことは
この人の理屈では正しく、社会的に堂々としている。

なぜなら、
「改選議席が1つの福島で
        再稼働を公約としている自民党が勝ったのだから」

暗に、福島が再稼働を認めてるんだよ、
            それは民意だ!
と言いたいのだ。

すべては経済が未来を築くと、頭で考えているに違いない。
東京に原発を作るという議論になると黙っていた

そして

技術が確立されていれば
     安全も確立されているという論理に立っていて

そこに生きる、人間の不安定さは想定されていない

体験がないから、現場に潜む魔物を知らないのである。

実践や現場の矛盾を何も知らず、
      新品のヘルメットを用意され、
       準備された見学コースの現場を巡回してきたのだろう。

けれど我々は、

自然相手に人との関係の中で仕事をして
いつも、想定外をあたり前としてとらえているから

その時どう対処しようか?
現場での受け入れなければならない失敗を失敗とし、
           やり直しばかりを考え続けている。

両者は永遠に交わることはない。