子供の頃から、春が嫌いだった。

春になると、なにか息苦しくて、
   消耗してゆくような気持ちにさいなまれて

春とは=不安の匂いに包み込まれてしまう
         逃げ場のない季節、そんな感覚をいだいてきた。


ところが、ここ数年、春を心まちにしている自分。

冬から春への移り変わりが長い飛騨

          もどかしいほどの三寒四温

毎年、桜の満開は4月20日前後、
         新緑の樹林は5月5日あたり

・・・4月8日、1羽の蝶が空を舞った・・・

歓待の森は自然そのままでもなく、
     暮らしと直結した里山でもない
                不思議な森。

この蝶は、ゆっくりとした春が、
     ようやく本格的に動きはじめた合図なのである

あくる日・・・3羽
数日後 ・・・2羽
そして ・・・5羽、

2日前には・・・9羽が飛び立った。

今年は寒暖の差が不安定で、

トクワカソウ、ショウジョバカマ、カタクリの山野草が
              あわてて花を咲かせてしまったような。

続いて芽を出した
  クマガイソウやツバメオモトが

突然の雪や霜にせっかくのつぼみを
          壊してしまったりと

             自然はなんとも無情である。

ここしばらくの飛騨は、
      春とは思えぬ寒波が停滞し

蝶にとっては、
   蜜を吸う間もなく花が終わり
      卵を産みつける草も成長が遅れている

このままでは、来春に命を繋げる事が出来ないのではないか?
        
                と、心配で仕方がない。

4月28日。

久しぶりに暖かな陽ざしと気温16度に、
           恵まれるとの予報に・・・・

               早朝から歓待の森にでかける。

つやつやと開いたマイヅル草の葉、

ヒトリシズカ、ニリンソウ、
      リュウキンカ、イカリソウ、シュンランが咲いている

快晴のひかり

森の中では幾匹もの蝶が自分の足元に絡んだり、

スミレやミツバツツジに
     行ったり来たり舞い飛んでいる・・・・。

そんな光景に喜んで写真を撮っていると、

コアジサイの根元に、
   つがいの蝶が交尾をしている瞬間に立合い、

              感動的な美しさをとらえたり

地表に芽を出し始めた
       エビネ、サンカヨウ、ササユリ、トリカブト。

もう数日で、花を咲かせようとしている

ユキザサ、イワカガミ、ベニバナイチヤウソウのつぼみを、
                   かがみ込んで覗いていた

すると、

カサカサと音を立てて、
     枯葉の上をはんでいる黒い虫がいる・・・・。

なんだろうと見てみると、

羽をくしゃくしゃにした生まれたての蝶であった。

長い眠りから目覚めて必死に枝に登り、
   羽を伸ばし、飛び立ってゆこうとする蝶に
  
      また新たな瞬間に立ち会えると、じっと観察していた。

けれど何か不自然で、

一方の羽がうまく伸ばせずもがいているようにも見える・・・?

どうにも見ていられなくなって、
   細い枯枝をつまんで絡まった羽根を
         ほどこうとしたものの、うまくいかない。

まあ、いずれほどけるだろうと森の散策を続けた。

・・・ふたたび戻って探すが・・・・

            
             ・・・蝶はいない。

たしかここだったと

ベニバナイチヤクソウの葉を手で分けたそこに・・・・

あおむけになり枯葉の下に
     引き裂かれるようとしている羽根があった

  無数のアリが群がり、引きずり込んでいるのである。

春の命の危うさを目の当たりにして、
    1日1秒がどんなに大切かを思い知らされてしまう

翌日も汗ばむようなひかり注ぎ
  あと、一週間も生きられるかどうかの蝶が舞う・・・・・

歓待の森に舞う蝶の風景は

天国のようにも、あの世のようにも
美しさと、恐ろしさを漂わせ

風に揺れる樹林
岩を打つ水の泡の、ひかりと消えて流れる様が

刻々と進む秒針に見えだして、ただ、畏れを受けている

春の激しい移り変わりに、

また1年を始める自分に
       喝を入れられたような1日を過ごした。