去年の夏だったと思う。

ある友人から、

秀平さんになんとか引き合わせたい人物がいます。
    でも、とても忙しい人なのでダメかもしれませんが・・・

ヘェ?どんな人?

12月1日、職人社秀平組の事務所に
     その引き合わせたいという人物《 井上雄彦氏 》がやってきた。


ここで、話を戻して

身の廻りの人達に
井上雄彦氏のことを聞いてみると

自分より年上では、
あまり反応がないことが多く、
自分より年下に聞くと、
そのほとんどが目を点にするほどの表情で、

秀平さんマジっすか! と、
その驚き方が皆一様に半端ではなかった。

さっそく代表作のバガボンド2冊を買ってみた
まず一番に、これ、CMで巨大な墨絵を書いていた人だ。
                      
俺もちょっと知ってる?

2冊の本を読むわけでもなく、
パラパラと見ている内に、
その絵の雰囲気にしだいに引き込まれてゆく・・・

構図、表情、下から突き上げる眼、
上から斜め下に見おろす眼。
尖った顎と冷たい瞳。

何より魅了されるのは、
垂れさがる数本の髪、風に流れる髪の線・・・線、線。

線は、切れているというか、抜けているというか
柔らかで、生粋で、せつなく、・・・・激しく、鋭く生きている。

ただ、言葉を並べたわけではない

その感覚は、
自分がそうありたいと願ってきた憧れというか
いつも、自分が意識していたものが、
たくさん詰まっていたのだ。

それは、

誰にもは与えられていない、
与えられていたとしても、

簡単には掘り出せない、深い深いところにあるもの。

自分自身がずっと、この事について考えてきたから
それを、体現している井上雄彦氏がやってくるのが
とても直感的、刺激的で
自分の皮膚感覚が望んでいるような気持ちに変わっていく。

はじめましてと挨拶をして、
最初の印象は、結構地味な感じの人だと思った。

いまにすると、

俺が一方的にしゃべりすぎたと思うし、
    井上さんも多分遠慮していて、
聞き役に廻ってくれていたのだろう。

しかし今日を、めったにない機会として、

良い悪いに関係なく
自分の全部をどれだけでも早くさらけ出そうと
                    俺は慌ただしい。

井上さんに、今の俺を少しでも多く知らせて、
感じたこと、考えている事を聞き出したい、そんな思いがあった。

・・・・12月の冬枯れの洋館を案内する・・・・

あまり喋らぬ井上さん、
その表情は終始、ふんわりと穏やかだった。

樹林の中に、組み込んである割れた石組みに立ち止る
              (たぶん線)石の割れ肌を静かに見ている。

もちろん洋館の細かな細工まで・・・・

大きなたき火をして、
インスタントの塩ラーメンをふるまうと、
井上さんは、ここにいると、
自分が携帯を持っているのが不思議になってきて

一瞬、今がいつなのか、時代がわからなくなる、と言う。
     また、『のたうつ者』と、『左官礼讃』を読んでいたら、
                     付箋だらけになった、とも。

実は、バガボンドの本から、

ブルーのインクを使った
   秀平流独特の土壁を考案し、
この日のために備えておいた。

もし良かったら
なんでもいいので、自由に描いて見ませんか?と、投げかけると、
『 いいんですか? 』と笑いながら・・・

数歩、後ずさりして斜めに身体をふり、筆を取る前に
わずかに膝を折って首を前後左右に、幾何学的な雰囲気になって数秒・・・

20分とかからず、さらりと書きあげて、相手が土壁だったからか
    ボソっと、『まだ修行がたりん』と呟いた・・・これには笑った。

ブログより【背景となること】

半年後・・・

【雄勝、希望の壁プロジェクト】の発想を伝えて、

もし、このような事が叶ったなら、
その象徴を描いてくれませんか?とメールしてみた。

11月、東京で会って飲みあかし、
『僕でいいのならやりましょう』と、
こころ良い返事をしてくれた。

数日後、もし、秀平さんがいるなら洋館も見たいし、と
飛騨円空の取材がてら、ふたたび飛騨まで来てくれた・・・・

その後、井上さんは、
俺達のいる雄勝に二度訪れる。

一度目は、現地の視察と、
雄勝の若者達と話すことで描くものをイメージするため。

名古屋にいく予定だった俺は、一泊して東京へ帰る井上さんの
レンタカーの助手席に乗せてもらい、仙台までいろんな事を話した。

二度目は、4メートル四方に、巨大な絵を描くため、
      雄勝荒浜に見事な絵が、海に向かって対峙し、
                   希望の壁は皆の手で完成をみた。
 

はじめて井上さんと会ってから、
ちょうど丸一年たった12月1日であった。

さすがに、お互いの人間も、考えてきた事もなんとなくわかって

気を使うのも少しづつ溶けたのか、
ある程度なんでも話せる
          良い友人になれたことを、とても光栄に思う。

ただ俺には、
できないかもしれないが見習うべき点がいくつかある。

その内の、ひとつだけいうと

井上氏がキャンパスを前にして、
描きはじめるまでの姿というか、そのわずかな時間、
思わず魅入ってしまう、誰も立ち入れない幾何学的なあの動作だ。

彼はそれを、空気に書いていると言うが、
なにか、不思議な指揮者のような、
空手でも合気道でもない【形】とでもいうか
全身で掴もうとしている入り方は、はじめて見る獣のようでもあった。

それは強烈な本人の現れであり、
切れているのであり
    まわりなど見えなくなる程の集中力だと思うのだ。

自分にそれがないとは思わないが、比べるには値しないだろう。

この年になって
久しぶりに、強烈に納得のゆく、凄い奴に会えて

それがこんなにも嬉しい自分
嬉しいと思っている自分にも、また、うれしくなれるのだ。

雄勝が終わって、俺は間もなく東京、
表参道でハンバーガーショップの壁を作っていた。

さすがにぐったり疲れた帰路の途中、
神宮前のホームに立つと

あれは武蔵か!

大きなカラーの看板が線路を挟んだ目の前にあった。
しばらく見ていたかったが、数分で電車がきてしまった。

・・・あの眼。

自分の中にあの眼のような顔を持ちたい、
そんな風に思えて、こんなに疲れている時に見るのは、

残量の少なくなったエネルギーを
    さらに燃やしてしまいそうになる、危ない絵。

『 井上さん、こうしてメールを打つことも含め、
              神宮前で力もらいました 』
                           
と、送信すると。

新幹線の中・・・・
『 そんな秀平さんの言葉にこっちが元気付けられてます 』
                 眠りながら、ありがたいとおもった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さていま、

俺は12月13日から始まった、
ホノルル、ワイキキからダイヤモンドヘッドを一望する
バルコニー付のペントハウスの仕事をようやく終え、あす帰国する。

職人社秀平組は、まだまだ発展途上
           もっともっと仕事をしていかなければならない。

そうして、再び井上氏を招き、壁と絵の現代壁画をつくる
                  そんな夢もすこし語り合った。

             井上雄彦氏に、あらためて御礼申し上げたい。

届け、殺気!
ブログ 【 遠笛 】・・・・一年の終りに。