まず、宮城県石巻市雄勝地区の被災状況から、

雄勝地区は、東日本大震災で、町の8割が壊滅し、

被災前、4300人いた住民のうち、
     155人の死亡、81人が行方不明を数え、
        
現在、人口1300人となってしまった
深刻なダメージを受けた地区である。


3.11以降・・・

自分はいつか、
東北のどこかの被災地で、
      自分達流の何かを(できることを)

      きっと形にしているときがあるだろう・・・・と思ってきた。

そんな中で出合った被災地が雄勝町であった。

はじめて雄勝町へ行ったのは、今年の8月3日。

大型バスを貸切って
総勢20数名で飛騨を出発して、
雄勝の現状を、みんなの目で視察した・・・

家をのみ込み、町をのみ込んでしまった津波が、
人々の日常だった家族、仕事、自治体の繋がりを突然絶ち切り、

今、最も心配されている事のひとつは、
       生まれ育ったふるさとに、
           被災者が戻る気力を
なくし始めていることだという

そして今月、
19日、から始める雄勝応援プロジェクトに至るまで。

自分と自分の仲間たちは、
 幾度もこの町を訪ねて、若者達と話し合い、
  プロジェクトのあり方や中身について、 打ち合わせを重ねてきた。

そのプロジェクト、ざっくりと言うと、

雄勝地区の南に位置する荒浜という
海岸線を舞台にして、
  
高さ4m × 長さ40mの巨大な一枚壁を立ち上げてキャンバスとし
    陸から海に向かって想い想いのメッセージを放つ、というものだ。

我々飛騨部隊は、
   雄勝部隊と毎日のように連絡をとりあいながら、

    今まさに出発の直前。

以下、これまでの様々な局面、
そのやり取りを 前後左右に関係なく、

思い出すままに切り取って、記したいと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・

はじめまして、
僕らは、こんな発案を持って、この地に来ました、
     このプレゼンテーションに雄勝の皆さんは、どう思われますか?

まだ、実感としてイメージできなけれど、
やってみたい気持ちがあります。

仮に、どんな場所を想定していますか?
では雄勝地区を御案内しましょう。

まず、一番の前提にあるのは、

雄勝に対して、
この企画が俺たちの押し付けになるのは
絶対にダメだということです。

材料調達は、
できる限り雄勝にあるもので完結させよう・・・
そこに復活の意味がある、

骨組みは、塩害で立枯れしている杉を倒して使おう、
                ガレキもどうあっても使いたい。

雄勝のどこかに、
探せば必ずいい土があるはずだ!

ガレキは、管理者が決まっていて、
       地元の私達でも簡単には手が出せません。

でも、枯れている杉でしたら
こちらの予算で協力できるかもしれません。
どの道倒さなければならないもです
それは、役場に任せて下さい。

そんなもの作ってなんの意味があるんだ、
   ましてや、取り壊すのが前提なんて、もう、
          壊す物を見るのは、こりごりなんだ。

大自然の圧倒的な力を受けて、それを防ぐんじゃなくて、
    
結果的には向きあって行く、
折り合って行くしかない
        このプロジェクトは、それを考える舞台になりうると思う。

荒浜の海は沖縄に匹敵するくらい、
すごく綺麗だね、・・・はい。

日本の陸地で、震源地に最も近い所に位置しています、
けれど、これらとその他の海岸もすべて、
そう、全部。
   ・・・全部、高さ9メートルの防潮堤を築くことが決定しています。

高台移転をはじめ、あらゆることが決まらず、そこに、
     防潮堤を受け入れなければ、この町は存続できません、
                        塀の中みたいですね。

このプロジェクトは、
津波という自然のエネルギーを受けて、
今度は、40メートルという人間が作るエネルギーで
海に対峙することなんだ

海の側からきっと見ているであろう、
海に眠る人たちの目で陸をみる
それが、鎮魂であり復活を見せるということになる、
そんなふうに俺は思う。

海の側から、この巨大な壁を見る、映像に残す
それは、いつか大切な財産になる、ひとつのはじまりとして。

私たちは、
メディアに不信感を持っています、町が振り回されました
           子供たちをメディアにあまり出したくありません。

それはそうだと思う、
 けれど、こんなに厳しい状況下にあるこの町の事を、雄勝という名を、
     ひとりでも多くの人たちに知ってもらう事は、なにより重要だ。

報道ステーションサンデーのデレクターは
信頼できる人物だ、俺はそう思うよ。

作った物を壊す事への抵抗は、分かるけど
   でも今は、みんなの手や足や、知恵を出し合って、
           何でもいいから自分達のエネルギーを使ってみる、

無駄かもしれないけれど、
自分達でこんな大きなことが出来たという
実体験をしてみる、それが身体に刻まれる、
               
               復興って、そういうことなんじゃないか?

それにしても、思うんだけど、
     あの美しい海岸線からどこまでも、
          ずっ?と、9メートルの防潮堤を築くって・・・??

日本ほど自然との関わり合いから
感性を働かせて、言葉や、発酵や、美意識や
絶妙な塩梅を見わけたり、聴き分けたりしてきたはずなのに・・・・・・

俺たちに、意見する権利はないけれど、
そう思うほどに、住む者と海が区切られる前の、
このプロジェクトは意味深いと思う。

黛まどかです、
   あなたの雄勝の計画に、ユネスコを紹介したいんだけど、どう?

ユネスコは、雄勝の法院神楽の舞や、
       黒船太鼓の支援をしているからタイアップしてみたら?

私も、応援するわよ。
そのキャンバスに印す句を、2句、考えればいいのね

竹下景子です、
 雄勝町には関わりもあり、思い入れがあります、
          予定さえ合えば、お手伝いできればと思っています。

ユネスコです。
ユネスコでは、法印神楽の面や、衣装の支援をしていまして
衣装はコシノジュンコさんに制作していただいたのですが、
   そのお披露目の場という思いもありますがどうですか?

                     ただし12月初旬が限度です。
法印神楽の舞・・・素晴らしいものです
少しでも舞ができたらいいですね、相談してみます。

雄勝側としては、11・12月は、
いろんなイベントが立て込んでいて、
年明けでなければ難しい状況なんです。

法印神楽は、季節的にも演者の負担からも難しいです

年を越せば、気温は氷点下となり、
巨大土壁の真っ白な漆喰キャンバスの実現は遠のき、

いろんな人たちの熱は冷え、
ここに集まりつつあるベクトルの期が散ってしまう。

もし、自分が、みんなだったら、
         たとえ身を削っても全てを、受け入れるだろうと思う。

今日は本当にどうするのかを、決めないといけない、
      でも俺は皆さんに対して一歩引いてしまう、

普段ならもっと強くこうしようと、主張したい
でも、それを控えてしまう事を分かって欲しい。

それは、自分には家があること、
家族や仲間を失っていないから
        強く、訴えられない自分を、
あなた方もくみ取って欲しい。

とにかくぶれず、頑張ってみよう
細かなことは、飛騨の仲間たちが、
そちらに行ってすべて進めるよう、
手配しています。

ガレキの件なんだが、まず製材所がないこと、
あったとしても、ガレキに釘が刺さっていると刃がこぼれると言って
断られてしまう、・・・・・シュウヘイ、どうでもいるのか?

・・・いる!・・・

雄勝の中で話し合いました、
12月1日、2日の完成式で決定しましょう、僕らもやります。
日暮れに、 流木を松明にして黒船太鼓で閉めましょう。

決めていかなければ何も進まない、
だけど困った、相当に厳しい工程と環境だな、
当初の俺たちの想像を軽く超えて、現実は問題山積状態だ

作る上での考え方を、もう一度見直さないと、まずいと思う
飛騨からの人手は足りるだろうか?

思ったより風も強い、予算も心配になってきた、
   この際、荒浜の公民館を借りて泊まり込んでやろう、
       布団のリース1日6000円? じゃあいっそ買おう、いくつだ?
風呂まで40分だって、まあ、2?3日に一回だな。

レンタカー、材料、道具、のチェックもう一度、
ガレキの製材所、なんとかなりそうだ、いい人がいたぞ

石巻からも、左官3人、合流してくれることになった。

・・・・・・・・・・・・・・・

これから後も、
雄勝小学校のお別れ式が、12月1日に重なって
             動員の難しさが浮き彫りになったが
2日を濃密にすることで固まる。

飛騨からは、秀平組職人衆をはじめとした
                20数人が現地に向かう。

そして、

長さ40メートルの大壁面に、
去年知り合った、【 I 氏 】が登場
           その中心に、たぶん素晴らしい象徴を描く。

ただし、

その絵は、雄勝のみんなといろんな話をして、
そこで感じたものを持って
何を描くかを考えたいって言うあたり・・・さすがである。

いよいよ、実戦となるが、
思わぬ事態が起こらぬよう最善を尽くし

様々な人たちの協力に答えられるよう
なんとしても成功させなければならない。