ここのところ、いろいろ憤慨することが多くて困ってしまう。

そのストレスの因果で、どうしても愚痴めいた始まりになってしまうが、

最終的には、
    素敵な話に変わる展開になっているので、
          このブログの序盤、しばし暗い話に辛抱ねがいたい。


最近、自分達に知らされる情報が、
       本当に信頼性が高いものなのか?  
                 
                  そんな会話をよく耳にする。

「 まさかウソはないだろう? 」と返すと、
    「 実際は微妙に操作されてるんだぞ 」
                  と真顔で忠告されることがある。

これまで自分は、
新聞、テレビから得る情報やニュースは、
絶対的真実だと思い込んできた。

そのすべてを受け入れてきた視聴者だったのだが、
   なんだか最近はウム?っと、その情報に対する不信感が、
             自分の中にも腑におちて、芽生え始めている。

メディアは、

いくら広告で成り立っているとはいえ、
      もしも報道に作為が少しでも感じられれば、その価値はない。

【 日本 】は、

なんだかんだ言っても、
   世界の国の中で最も公平公正で、堅実な精神性の高い国、
    そんな唯一の誇りあるイメージが、いま変わりつつあるようだ。

例えば、地検特捜部の度重なる事件の出し方や、伝え方・・・・。

もうひとつは、官邸前のデモのこと。

まず賛否はともかく、原発は、国を左右すること間違いのない一大事。

自分達の子孫や未来を考えば、
   これほどに重く、人間から動植物まで、
        あらゆる全ての存在に関わる最大最高の関心事として、

                 常にトップニュースのなりうるもの。

もう、巷では持ちきりだった6.29デモ運動の官邸前。

その日、自分はちょうど東京にいて、
        現場の声を肌で感じようと衝動的に現地へ向かっていた。

地下鉄に乗って国会議事堂前から、しばらく列の流れのひとりとして、
              時間の許す限りの1時間ほどを歩いてみた。

切れ間なく続く人々は、きっと普段、
    このような行動はとらないだろう、ごく普通の人達がほとんどで、

素朴な小さな大集団の姿と声は、
 胸がぐっと熱くなるような雰囲気で、どんどんと膨れ上がり、

    やがて隙間なく、埋め尽くされてゆく大群衆を目の当たりにした。

聞くところによると、

その日のテレビ報道の首都圏ニュースでは、
こんな空前の一大騒動が、日常的なデモ程度で流されたという・・・・???

しかも、これじゃあダメだなあ・・・と決定づけてしまうのは、
         デモ参加者の15万人を1.7万人と発表する不思議さ?

子供の頃からテレビで育ってきた自分だが、そういう目で見始めると、

切り取っている映像も、そのコメントも何となく、
       薄い霞がかかって伝えられているように加速的に思えだす。

今や、テレビではなく、

ネットにあふれる中から拾い出して知る情報の方が、
                確信をついていたり驚かされたりする。

テレビチャンネルのどこを廻しても、
   代わり映えしない同じような番組構成は、
      コピーのコピーというか、ちょっとだけ形の違うパクリ合戦、

すべてがマニュアルの枠組みで、
同じタレントばかりのバラエティーは、効果音の笑い声と、
              ええ?という驚き声が耳に付き出したあと、

      笑っている芸人の目の玉の色を見てしまい、笑うに笑えない。

思うに、メディアのレベル、たとえバラエティーであっても、

その番組の作り方やニュースの切り取り方、
   伝え方がその国の質を表していると言えて、
     この先テレビは、その存在感をますます失ってゆくに違いない。

そんなテレビの中にあった、去年のこと・・・

スゴイというか、エライというか、すばらしいというか、
               これを考えた人、携わった人達を称賛し、

そのスタッフ達に、
     様々な苦労話を聞かせてもらいたくなる感動的なCMがあった。

その映像・・・

【 NTTドコモ 森の木琴 】と【 九州新幹線全線開業 】

この何度でも見ていたい映像に、

自分たちの1000年の歴史から進化し続ける、
  やっぱり日本人にしかできない、新しい日本人の知恵と、
               その受け継がれてきた魂を感じるのだ。

発想が良くて、

綿密な計画と一発勝負の努力と不安があって、
         一致結束した製作者の真剣勝負が、
                緊張感が、ビリビリと伝わってくる。

(同じ、ものをつくる人間として、
       製作スタッフの並々ならぬ努力まで爽やかに見えてくる。)

画面は、

技能を尽くしていて、
心温まる愛があって、
豊かで自然で、かつ素朴で、
いろんな味方ができて、深くて、爽やかで
考えに考え抜かれている。

憎いというか、一本取られたというか

それがトータルでとても日本らしいなあ・・と、
        思わず最高級と讃えたいセンスの良さにうなってしまう。

これぞさすが日本人だと、自分が誇り高くなって、
                  うれしくて仕方がないのだ。

それから、この映像をずーっと考え続けているうちに、
   

自分にも、ひとつやふたつの発想ぐらいできるんじゃないかと、
                  なんだか悔しくなってきはじめた。

たぶん、彼等の創造的なチャレンジが、うらやましくなったのだ。

去年11月。
そうして、とうとう思いついた、ある発想。
その舞台は、≪ 北アルプス乗鞍岳を真正面に控えた、田んぼの斜面 ≫ 
                     ・・・・これならいける!!

・・・1月。

膝上まで積もった雪をかき分けて、
      ひとり、飛騨の集落を、数日歩き回って、
             なんとか見つけた理想の舞台風景。

この風景を写真におさめて、
   この写真をもとにさっそく、
不慣れな絵コンテを自分で作成し、
      

これを映像にしたいと、
   東京に行く度、つてをたどって様々な人に相談し、
                 いくつかの企業関係者に話してみた。

・・・皆、一応おもしろいね、とは言うものの、
                 世の中はそうそう単純には動かない。

2月が過ぎ、諦めかけていた・・・・

そんな折、

ダイワリースという企業の≪森田社長≫という人物に出逢った。

この社長がすごかった。

二度目に会った時、
『ヨシ、お前の言うように、やろうじゃないか!』と、その場で決断。

         即、トップダウンの直接指示を目の前で部下に下した。

そうして、およそ3か月かかって出来たのが、この映像。 【・・・以下】

しかし、この仕事、いざやるとなったら大たいへん。

地主を探して頭を下げて、
こんなことをやらせてください、と、
         説明するも、なかなか真意が伝わらない。

しかし、ここは地の利、なんとか承諾してもらうことができた。

そして、いざ実践。

本当に自然は自分の狙い通りの現象を起こしてくれるのだろうか?
この水田の土壁全体に、平均に草が芽吹き、生い茂ってくれるだろうか?
天候は俺に味方してくれるだろうか?

現象をねらう難しさは、やり直しのきかない、前例のない、
         これは、一度限りの一発真剣勝負そのものだったから、

思わぬ落とし穴、
何か考えたりぬ見落としがあるのではないかと、不安にさいなまれ、

秀平組職人衆が、毎日毎日、
       現地へ何度も足を運び、
            管理しながら草の芽引きを注視した日々。

大口を叩いて提案した、自分の責任は重い!
もちろん、金だってかかっている!

あの社長に、もう一度、
      『ヨシ、よくやった』と言ってもらわなければ意味がない。

3/16から始まって6/16まで、
        ・・・時に夜、眠れない日が何度もあった・・・。

撮影の間、飛騨には雪が降り、
       積もり、溶け、鳥が鳴き、桜が咲き、カエルが跳ねた。

こうして、人間と自然の移ろいが主役の広告ができたわけだが、

日本人の自然観と技能が、
   重なり合っているという意味では、
       
前述のふたつの作品に属するものができたと自負している。

大和リース株式会社と森田社長に、
  このようなチャレンジの場を与えてもらったことに、
       心からの感謝と企業の目指す姿勢を尊敬したいと思う。

ただ、完成した映像を見た時、

もっともっと、主役たる自然に
       寄り添うことが出来たのではないか?
   

もっともっと、

自然に対峙する人間の
    真剣なまなざしの切り取り方や構成があったのではと、
                     惜しまれてならない。

自分は、これ以上、澄みきれない突き抜けた青空に、
目に痛いほどに浮き上がった北アルプスの冠雪が浮き立った絶景を、
薄紅の夕日の空に、神がかって見える山々の稜線に・・・

伸び行く新緑が、
    もっと陽の光にキラキラと輝くことを知っているからだろうか?

もしまた次に

自分のプレゼンによる何かの広告を作るチャンスがあれば、

もっともっと、もっと、
       踏み込んでやりたい、
                 
                 そう密かに決意している。