去年の5月。
東京財団が企画する日本再発見塾という集いで、福島県飯館村役場を訪ねた。

その日は、村が全村避難するという前日で
    直接、村長の口から、今置かれている実情を聞く機会となった。

移動中のバスの中から見る山村は、
          放射能があるというだけで、

雑草がいっせいに芽吹きだした田畑は、
      
            むしろ、生き生きと感じられて・・・・。


でもこれから、この飯館の風景が、

日を追うごとに、人から離れた自然の姿になってゆく・・・
      ただ自然のように、変わりゆくのだと思って見直すと

人けのない風景と、透明にそそぐ光が、
             そら恐ろしいものに見えはじめてくる。

一方、都会では、

人と人が複雑化して入り組んでゆく進歩が、
     ますます人から離れたものに、進んでゆくように思えて・・・・

人間、一辺倒か、自然、一辺倒か。

どちらか一方でしか成立しない結果は、
             どちらも、ただ残酷だけが残る。

そんな旅を終えて、飛騨のいつもの森のなかに立っていた。

ポッカリとした午前。

日々、強くなってゆく乾いた陽射しが、
       なんだか、あの日の飯舘村と、
         見た目に全く変わりない不思議さに、重なっていると、

ハラハラと、目の前を繰り返し舞っている一羽の蝶を、
     気にすることもなく、育ててきた山野草の成長を確かめていた。

しばらくしてから・・・・ハッとして、

3年前から植え込んでいた≪あおい≫に振り向くと、
                そのあおいを中心に蝶が舞っている!

慌てて数枚の写真におさめると、蝶はどこかに消えてしまっていた。

まさかなぁ?

・・・っと調べると、
   
    まぎれもない、あのギフチョウが、
           この森の、目の前に舞っていたのである。

*ギフチョウ*

前翅長:30?35mm 出現期:4?5月
分布:本州  越冬態:蛹

春の女神と讃えられる鮮やかなギフチョウは、
サクラの開花に合わせて春の2週間だけ、カタクリやスミレ類などが
咲き競う野山を舞う。

四季の美しい日本での、自然界の最高傑作ともいえる。

芽吹いたばかりのカンアオイの葉に卵を産み、幼虫は若葉を食べて成長し、
初夏には、地面に近い場所で蛹になり、翌春まで眠りにつく。

ギフチョウは雑木林のシンボル。

伐採などで森林に太陽の光が差し込み、
そのすきまを渡り歩いてギフチョウの分布が広がった。
一方で、大規模な土砂崩れや洪水が起こらないように、治山が進められてきたため、すきまが失われ、代償生息地である里山にのみ生き残った。

その結果、ギフチョウは人が里山に手を加えなければ絶滅してしまうため、
絶滅から守るためには、林の維持管理が必要となっている。
そのため各地で保全活動も進められている。

ギフチョウ=絶滅危惧2類(VU)

奇跡と言えば、大げさだと言われそうだが、
            しかし、この小さな、確かな奇跡。

うっそうとした自然を、
   開くところから始めてきたこの森が、
            一瞬の夢の中に包まれたのである。

ドラマはここから始まった。

しばらくすると、あんなに元気な葉を広げていた
                 ≪あおい≫が消えてゆく・・・・。

せっかくの奇跡を呼び込んだあおいが、
           枯れてゆくのが残念で仕方なくて。

それからまた、しばらくして、
   日々消えてゆくあおいをのぞき込んで、その異変の理由がわかった。

見ると、真黒な毛虫が、あおいの葉をすごい勢いで食べているのだ。

なんだ!、こんな毛虫にやられていたんだと、
               殺そうとしたとき、手が止まった。

その手を止めた直感とは、ギフチョウの幼虫だったのである。

自分はあの時、おそらくギフチョウの産卵を見ていたに違いない。

やっぱりこれは小さな奇跡だと、
        仲間を集めて俺達は湧き上がった・・・・。

しかし、なにせ専門外、
   ヘタに地域の人間に聞けば、
        小さな新聞記事となるのも、

       めんどうばかりが増えて、喜ばしく無くなる可能性もある。

まずは、≪ さなぎ ≫になるまでに必要なエサ、
              あおいを与え続けて見守り、

自然に近い形で、その場所に15匹の幼虫に十分な巣箱を作った・・・・。

年が明けて・・・
今年の飛騨の15年ぶりの寒さの影響なのか?

なにか植物のリズムまで狂っているようで

森の中で植え込んできた、
   数十本のササユリの数本が、
      芽を出しグングンと伸びてつぼみをふくらませているのに、

        残りの数本が、今ようやく地表から目を出し始めている。

なかには、
去年、あんなに元気な花を咲かせていた数本が、
                どうやら消えてしまっている・・・

これが自然淘汰なのか?
自分が敏感になりすぎているのか?

やはり自然が変容しているのか、わからないが、

この数年の季節の微妙な変化に、
   口では表せない不吉な予感めいたものを感じ、
           そんな中で、突然吹き荒れた春の爆弾低気圧。

               それにダメを押すような竜巻のニュース。

これをきっかけに、前回書いたブログの、
             【 森の圧縮 】を実行したのである。

飛騨の山々の芽吹きは遅く、
   森全体を、あちらこちらで枝を切り落とした、冬枯れの森の状態は、
           やはり痛々しく、美しさも半減という印象である。

切り落とした大量の枝々は、
   片付けるといっても、とても一日や二日で終わるものではなく、

そんな作業も、ようやく目途がたちはじめた午後であった。

あちこちに散在する小枝を拾い集めていると・・・・
         
    自分の肩越しから向こうにスッと小さな影が走った。
                  そしてまた、戻ってくる・・・・。

ギフチョウが舞っているのである。

すぐ巣箱を見ると、別の一羽が羽化している。

それから数日かけて、今、5羽が、この森を飛び廻っているのだ。

5月の晴れ渡った休日。
     飛騨の山々がようやく、さわやかな葉みどりに覆われ

俺達は6月に計画している、
   もてなしのイベントの準備の為に、
          この森の中で石積みの作業に取り掛かっていた。

ああだこうだと集まっている仲間の廻りを、
   数羽のギフチョウが、からかうように行ったり来たりと舞っている。

最初は珍しがっていた仲間も、
   いつの間にか、気にすることもなく、
           それが当たり前のように作業に夢中になっている。

・・・春は華やかで美しいもの・・・
      けれど、一方で、春は生まれたての命が、
             むき出しになって突き付けられて息苦しく、

うかうかしていると
  自分の底にある力まで吸いとられそうな気持になって、
                      身構えてしまう・・・・。

けれど、

いま目の前にある、不思議な光景の中に、
                夢の中にいる自分・・・・

ギフチョウの奇跡は、さらに続く、
        この森の中に100を超える卵が
                   また産み落とされているのだ。

人間は自然をあやつる事はできない。 
               ・・・あやつれない。

・・・・泣きこそしないが、
        ・・・・叶っていることが、ポカンとして泣けた。