洋館の移築を夢見て、
       11年目の春が過ぎようとしている。

廃墟同前だった
ボロボロの大正の洋館を手に入れたときから、

自分の頭の中に一瞬のうちに浮かびあがった映像を追いかけてきた。

・・・深い森へ続く道をゆくと、
        葉緑がポッカリと開かれた先に館はある。

そんな理想にぴったりな場所を探して、
               巡り合った100年の森。

森の中ではじまった移築は、
   同時に、この森=自然をじっと見続けてきた月日でもあった。


そもそもの目的は、
まず何より洋館を復元したいという執着が、一番だったものの、

手つかずの土地を削ったり、
     樹を倒したりするたびに、思わぬ試練に悩まされて、

自分達(人間)のみで、
   大きな自然を相手にして扱ってゆくことの
            大変さと難しさをいつも痛感させられてきた。

埋め立てた大量の土砂がくずれそうになった、土石流直前の台風23号、

          季節はずれの雪に突然、倒れてしまった樹々・・・

自然の漠然とした大きなうねりのような、
                思いもよらぬ現象に、

自分達は、
あまりにも無知で、非力であることを実感して、
腰砕けになってしまった日々。

・・・けれど、その反面には、

心や頭の芯までもを、
   緩ませてくれる美しさと豊かさに、計り知れない喜びで
                    包み込まれている自分

いつの間にか自分は、

洋館の心臓部になるマントルピース8.4tを据えれば、
          樹林の中にも、それ以上の石組みを組み上げ、

柱を立てる建前が出来上がると、
          同じだけのエネルギーで野草を植え込んだり、

この厳しさと豊かさと、移築という3つの体験の中で、

目指すものが、人間と自然を、どこまで自分流に
            調和させられるかに変わっていったように思う。

そんな年月を経て今、

自分の中には、この森の微妙な変化や、

ここに吹く風や光や、土の渇きや固さや、
      植え込んできた草花のことを感じることがなんとなくできる。

・・・・ずっと見続けてきたから働く直感めいたものが、
                     ふっと頭の中に描かれる。

ざわざわとした
    野生的不安を伴う察知のようなものもある・・・

生き生きとした樹々の新芽や、
         株立って勢いのある花の声のようなものを感じるのだ。

ところが6年ほど前、
思わずムッとするような、聞き捨てならない会話の瞬間が2度あった。

この森を見上げながら、こう言うのである。

ああ・・・このコナラの樹林は、そろそろ寿命だなぁ・・・

それを聞いて
( 目がカッと開き、なに!テメエ?っと、身体中に電流が走る )

しかし、その明確な答えは知りようもなく

それからというもの、

なにか頭の隅に、致命的な悲しみを背負って、
              この森を見上げ続けてきた自分。

確かに100年。

自然のままに競争し合い、
    光を求めて伸びつづけた樹林は、
          考えればどこかに限界があるように思え、

少し強い風が吹き抜けると
     森全体が弓のように揺れ動き
        
それは言葉にならないほどの、ざわめきに襲われて
           身体がすくみ、震えが止まらない。

ああ・・・確かに・・・。

そして、野生の自分の直感がビリビリと働く
           ・・・・やっぱりダメか?!
                   この森は全滅するのだろうか?

けれど!
  そんなことになってたまるか!と、
       今度は人間の自分が、打ち消そうとする繰り返し。

それから数年、

いつものように、
  森の中のアプローチから高く伸びた樹林を見上げていると、
    太い樹皮から、いくつかの小さな芽が出ているのに気が付いた。

・・・・そして、

一年一年、その小さな芽は、小さな枝となり成長しているのである。

・・・・もしかしたら、いける!!

この森を圧縮できるんじゃないか?

風に強く、樹に負担がかからない高さに調節できれば、
                  この森はまだ100年は生きる!!

3年前。そう信じて
枯れる覚悟で3本の樹をバッサリと切り落としてみた。

すると、小さな芽が無数に伸び出したのである。

しかし、これは光の受け方や、その樹の枝ぶりや、
 隣り合う樹との関係から、一様にはいかないことも何となくわかる…。

都会のイチョウやケヤキのように
    小さなときから管理されてきた樹ではないこと

自然のままに伸び放題になった樹を、突然、切る。
そこにまた思わぬ、なにかは、きっと誰にもわからず
                    その自然の声を聞くのは難しい。

けれど、最近の異常気象から考えても、このままにはしておけない・・・。

すると、それを予感するかように、
    この春、全国を縦断した爆弾低気圧が、暴風雨となって
                 この森にも強く吹き抜けたのである。

自分は、
その最も強く吹く瞬間を、どうか倒れないでくれ!
         遠くから手を合わせるような心持ちで、見守っていた。

森全体が、炎のように揺れ動くさまに背筋が寒くなって・・・
               その時、決断した。とにかくやろう!!

森の圧縮作業に手を付けよう。
いわば1000坪の盆栽化計画とあえて名づけたい。

4月、まだ芽吹き手前の飛騨の春
     大チャレンジを実行することにした。
        これは、いずれ< 左官西遊記 >で詳しく記したいが。

作業当日は土砂降りの雨、
    26tクレーンでの作業は、
           精神的に命がけそのもの、
       
ここは、自分が乗るしかない。

いくら大きなクレーンと、一流のオペレーターと一緒とはいえ、
               その高さは35メートルぐらいだろうか?

 一般の建築作業からすれば、すべてが禁止作業のムリな態勢の連続。

ドンドンと高くクレーンが斜めに傾斜する、
樹の先端が風に揺れているのに相対して、クレーンの先端が
                揺れて倒れるような錯覚にみまわれると

足の指が、
   これ以上力が入らないほどに固くなり、
               土ふまずが究極、反り返って、

なんだか、ヒザの力が、ふわ?っと抜けて、
          冗談抜きに、尻から水がチョロリこぼれそうになる。

             命をはって、およそ半分の枝打ちが完了した。

この森をどこまで生かせるか。
土地の人に聞いても、庭師に聞いても、誰も答えてはくれない。

この場所と、この時を一番知っている自分の勘に賭けるしかないのだ。

人間と自然のあいだで・・・・

      自然にない、自然だけではない

             自分流の自然の美しさへの、大仕事が始まった。