時折、気の利いた骨董屋をぶらっとのぞくことがある。
            木製のシャレた重箱、和洋折衷の洋燈・・・。

数年前、
漆塗りの皿8枚セットに出会い、
とても手技とは思えない銀の緻密な象眼と、

クドすぎず程よいデザイン、
  そのセンスに惚れ込んで買い入れてしまったことがある。


あなたのことだから、
 精一杯勉強させてもらって8万円也・・・これは値打ち! と、
               家に持ち帰ってまじまじ眺めてみると、

改めて、こんな粋な職人は、
   もういないだろうな?としみじみする。

今これを作ったなら、
( デザイン+技能 )で5倍の金額でも出来ないだろうと思いつつ、

この物から伝わって来る、
   作り手の新しい時代への挑戦、
         ギリギリのチャレンジ精神を感じてしまう。

昨今の日本は、早く安くの経済優先、
           全てが数値で計れる事。

そして、
補償が担保されていなければ認められない
           風潮となってしまった現状の中で、

これらに当てはまらない伝統的なもの、
           最も日本らしい近代以前の職人技は絶滅寸前。

ごくごく少数が、特別なものとして飾られる程度でしか残れない。

職人技は生きているというよりは、
消えることがない程度に、生かされている状態で
         今や、この先我々の感覚や生活から、
       
         加速的に離れてしまうことが安易に想像できてしまう。

・・・・と、こう言うと

「いやいや、まだまだ日本の物づくりの底力は、
            こんなものではないから大丈夫です」

「日本の伝統は、世界に誇るべきもので、
             簡単には消えることはありません」

こんな慰め的な事をいう現場を知らない発言者が、

        必ずどこの場にもいて、
             話はいつも何となく中和されてしまう。

そうして実に20年以上が過ぎ
目の前から消えてしまった職人を、どれだけ見てきたかわからない。

世界の情勢や、
どんどんと生活のスタイルが、どんどん変わりゆく現代の中で、

伝統的な文化は積極的に意識し、
     現実的な対策をとっていなければ維持することは難しい。

その為に、必要な条件のひとつに
   伝統を残す為には、そのもう一方で伝統の技と素材をもって
      時代に新しい現代的な表現を常に提案していることが大切で、

この新しい表現が時代に取りあげられたり、
         受け入れられていることで、
           その奥にある本質に世の中の目が向けられてゆく。

     この2点を両立させている必要性がとても重要だと思っている。

こうした状況を何とかしようと、
例えば一流のデザイナーやプロデユーサーが
           伝統的な技能者を使って

           現代に通じる表現をしようとする動きもある中で、

それ自体は素晴らしいことなのだが、
   意外にその機会がうまく展開出来てない矛盾を感じることが多い。

職人同士であれば、
たとえば職種が違ったとしても、

経験や技術の差があっても、
 ある仕上げを要求されたときに
  「それは無理だ」「それならできる可能性はある」という判断がつく。

しかし、要求している側に、
       それを説明しても、なかなか理解出来ないことが多いのだ。

このデザイン、
この意匠をどうしても実現したいという気持ちに執着しすぎて、

全体のバランスのなかでリスクを客観的にみられなくなっていて、

自分たちの説明から
「なるほどそのような材料・工法であれば、
           そういうリスクもあるだろうな」

              と考える、道理にそった想像力が足りない。

この不況のなか仕事を断るということもできず、
         ついつい引き受けてしまう職人がいると、

せっかくの挑戦の場が失敗となり、
     結果としてクレームになってしまう残念な場面を目にするのだ。

ここで、何が言いたいかというと、

作り手の隠れた能力を引出す、
    その技能を理解したうえで、
       技量をほんの少しだけ超えた要求を出すことができる人材。

その職種、職種の性質をつかみ、
     ギリギリの挑戦範囲を引き出す目利き的人物、
                   名伯楽とも言える存在が、

伝統を守るうえでとても重要なことで、
おそらく全国の技能者が新しい時代の提案を模索し苦しんでいる。

今、自分が取り組んでいるプロジェクトでは、
            75歳という無名の老大工の力を借りている。

引退して嫌がる老大工を1年かけて口説き落としたのだが、

一見、無口で気が弱そうで、やせ気味の風貌をしながら、

その仕事、身のこなし、その腕たるや絶品中の絶品で、
      自分達の取り組んでいる新しいチャレンジに成功しつつあり、

我々職人社秀平組一同、
見習うべきものが多いどころか 
神がかってさえ見え、いつも敬服させられてしまう。

しかし、老大工は生涯1職人として生き、弟子などいない。

あの使いに使って育ててきた刃物の切れ味、
老大工の技は、今まさに時代の中に埋もれ消えてしまう直前である。

日本の職人の技術というと、
大田区の町工場の技術が取り上げられることが多いが、

本来の日本の美しさの源に生きている技能者、腕のある、
  男気のある職人ほど、ある日何も言わずに身を引いている現実がある。

それが最後の職人の美学だという悲しい国になってしまうのだろうか。

*浴槽の既存ボディを取り外し、木工による曲げ木のリブ
 平面部は松板、双方に漆工による春慶塗り
 曲げ木リブの間は、天然砂鉄とラピスラズリの左官砂壁
 新しいチャレンジとして試作した風呂