フランスの旅から・・・3

ブルゴーニュ、石灰岩と採掘場の土、
フォンテーヌブローの城と砂岩、シリカの砂、
そして、ブルターニュの青い砂と、海岸線の岩めぐり、

そんなフランスでの、
    武貞智子、マルク・リュカ、挟土秀平の
三人の自由気ままな旅の6日目・・・・・。


通訳の武貞さんが、突然言い出した。

『 秀平さん、急にどうしても断れない仕事が入っちゃって、
    7日目の夜、9:00までには必ず戻るから、申し訳ないけど、
             明日一日、マルクと二人でいてくれない? 』

それを聞いて、

エエッ?ッ!!
ウソッ?!!
・・・・・それ!・・・って、無理でしょっ!!

どうにかならないですか? と、懇願したものの、
なんでも、日経新聞社長の訪問で
      フランス美術品の借り入れのセレモニーとかなんとか・・・

諦めざるを得ない内容の思わぬ展開に、絶句状態となった。

そもそも、自分がひとりで飛行機に乗り、
このフランスの地を踏んでいること自体、
大変な勇気をふりしぼっている訳で

それがなお、
ブルゴーニュ地方の片田舎で、
かつ、教授は、海岸線や山の岩場をめぐってばかりいるのだから、

そこで、丸一日、2人きりになる事は、
      考えもつかぬ凄まじい状態であり、
想像のしようも、どうしたらいいのかも解らない。

自分は・・・もちろん英語は話せない
教授の英語も極端なフランスなまりらしく、
          日本語なんてサッパリわからない。

どう考えたって、2人の意思の疎通は完全に無理。

すぐ、前回のフランスで知り合った別の通訳に
ここまで来てもらうしかないと連絡を取ると、早く言ってくれれば・・・・

            と、断わられ、結局、見つからずじまい・・・・

そうして、とうとう、信じられない朝を迎えた。

一日を演出できる、手だても、ヘッタクリもない俺は、
少しでも教授が爽やかな気分から、スタート出来るよう
6日目の夕刻の通訳による、

『 教授が、この砂が一番好きだから、
秀平さんに、難しいかもしれないけれど、
是非、この砂の泥団子が欲しいって言ってるよ!・・・・』

それでその晩、

頼まれていた砂団子を含め、
採取した4つの土の泥団子を作ることにした。

実際、砂で泥団子を作るのは、《 のり 》 で固めるしかなく、

考えた末、バッグに詰め込んである
      ( はごろもフーズ )の御飯を、
             つぶしてのりを作って、

その砂を固める、いびつな砂団子をなんとか作り
     2人っきりの朝を迎えた。

ホテルに迎えに来た教授に、顔を合わせてすぐ、
手招きをして、包んでおいた手ぬぐいから団子を

ひとつひとつ、

『 ウウ 』といって見せると『 トレビアン! 』

そして最後に、教授が望んでいた砂団子を見せて、

『 ライス、ライス 』と言いながら、ライスを潰して、
砂を丸めて固めたというジェスチャーをすると教授は

『 ウ・フン 』と、太い声で唸り、
          トレビアン、トレビアンだけを繰り返す。

こんどは教授が車に乗れ『 ウ・フン 』と、また唸る合図をする。

ひと声『 オニバー!(出発) 』のあと
しばらく2人っきりの車は、ただ沈黙が続き・・・・・
エルキーの海岸線にたどり着いた。

エンジンが切られ、
『 オオ 』って教授が言うから『 ウウ 』といって降り、

ただ後ろをついて、ひたすら海岸の岩場を歩く
                 ・・・・そして、誰もいない。

そのうち、
教授は相変わらずの石オタクの世界へ突入・・・・
まあ、俺も嫌いじゃないから、石を負けずにさがし、

お互いは100メートル離れたり、お互いの拾った石を見せ合って、

『 ウウ 』というと、『 オオ 』というしかない
それから俺に向かって大きなジェスチャーをし、
どうやら山全体の岩石の層が縦になっている事がわかるだけ。

あとは何かわからないから、
   まあ、適当に『 ウーウー 』とうなると、
            教授が、『 ウム 』と満足そうな、

もしかすると
諦めているかのような顔でうなずく。『 オオ! 』。

その先に、
 昨日聞いていた、とって置きの石の海岸、
ここの砂利の、ある一種類が磁力を帯びていているのだった、

                        それにビックリ!!

俺が面白がって、
  四つんばいになって見せると、
教授がこうしろとばかり、仰向けに転がって見せる。

こんな調子で、2人は一日中・・・・・・
ブルゴーニュの片田舎の山や海を駆けまわり、

かわした言葉は、ア・ハア! 、ウウ 、オオ・・・。・・・・だけ。

そこには、ただただ、お互いに、ズレていようが、
   合致していようが、それすらも解らない、
   心と身体の体験があった。

ある意味で、これこそが習慣や宗教をこえた、
新しい概念だったかもしれない。

日が暮れだしていた。

教授は、エルキーの港町を全貌できる半島の先で、両手をひらき、オオ!

そうして、

武貞さんを迎えるために駅へ直行する。
夕刻間際に、教授が微妙に時間配分しているのが、
                手に取るようにわかった。

そんな車中で、俺が教授に話しかけた、
      Takesadaと発音して、あとはジェスチャーで、

武貞さんにあったら、私も貴方も、
きっと、耳を塞ぐくらいに口をパクパクして
今日の話をする事だろう・・・・・

2人は、ここで大笑いをして、また沈黙。
・・・2人での食事もまた沈黙。

夜9:05、武貞さんを迎えて、

三人に戻った時、通訳を通してすぐ
『 教授!今朝のライスの意味って、わかってた!? 』と、聞いてみた

すると教授は

『 ライスが、どうかしたんだな?だけは、
解ったけど、砂団子をライスで固めているとは思わなかった、
だから今、感動しているところだ 』という。

・・・・・・・・・・・・・・・・話はどめどもない。

それにしても、
パリ国立鉱物大学とは、日本でいう東大級の学校らしい。
                  そんな教授と、こんな俺の一日。

教授は、岩石、宗教、自然観、環境、民俗、
いろんなところからの視線と疑問と好奇心をもち、
              それをわかりやすく表現できる人

何か、あの、小林さんとダブるような感覚さえ覚える素晴らしい人である。

この一日。

フランスの《知的石器人》と《飛騨縄文人》の
               タイムスリップのような一日。

しかし、こんな一日、
      ひとつひとつ必死。真っ向勝負で、もうごめん。

・・・・フランスの旅

生涯忘れられない、とんでもない一日を過ごしたものだと思う。