そもそも十年前に職人社秀平組を結社したのは、
同じ会社内で憎しみあったり、いがみあったりすることに
我慢できなかったから。

仕事とは、お互いが認めあったり、追求して高めあったりするもの。
そういう思いで我々は安定を捨てて、飛び出したのだった。

もっとも嫌なことは、人と争うこと。それに尽きる。



この事件が起きてから6ヶ月が経ち、この経営者から自分が受けている、
あまりにも非人間的かつ非社会的な行為の一部始終を、
記さずにはいられない。

事は、2010年の11月、から始まった。

高山の観光の中心、
上三之町、古い町並みにある船坂酒造という造り酒屋の屋敷を、

地元、有巣(ありす)という飲食、旅館経営者が買い入れて、
店内を大きく改装したのだが・・・・。(店を代表する銘柄=深山菊)

船坂酒造を買い取った有巣社長は、
その孫にあたる店長といつも一緒で、この二人からの
      自分への仕事依頼の相談は、ざっとこんな話からはじまった。

以下、感情をまじえず、現在に至る経緯を記す。

今回の改装工事の中で、店内にある土蔵の内装が気に入らない。
飛騨高山にはVIPな人間を受け入れる場がない。

それで、もう一度作り直すにあたって、
この船坂の土蔵を、日本酒BARにしたい。

ついては、多少の金がかかってでも、
市長や知事級のVIPを招いて、恥ずかしくない形にしてほしい。

その際、2階は使えなくてもいいから、
    この階段を撤去し、1階をひとつの空間として、
          お前の思う最高な空間を考えて施工してもらいたい。

細かいことを注文つけるつもりはない。
全てを任せるから、一流のものを作ってもらいたい。
できるなら、インテリアも任せたいのだが。

わかりました。

ここは飛騨高山の中心である事、
そして、高山も最近では、本物思考が薄れつつある中で、
素晴らしい事だと思います。

この街並みの為にも、喜んで地元の素材を使ったイメージを考えて、
提案をさせてもらいたいと思いますので、よろしくお願いします。

12月下旬、
   土蔵の内部模型と、実際の塗り壁サンプル。
            展開図をつくり、見積書を持って説明に行く。

見積書とサンプルを見た有巣社長と店長は、
これで良い、楽しみな事になった。

とにかく、酒BARとしてVIPを迎えるに、
   ふさわしいものを作ってくれるのなら、
             この見積り金額をまけろ、
           
というようなケチなことを、言うつもりはない。
                  了承したから、これで進めなさい。

そして、
この土蔵には名前がないので考えてほしい
その上、看板をサービスのひとつとしてやってくれないか、

というので、こちらも僕の考えられる範囲でいいのなら、と快く了承する。

工事中・・・・

我々の作業の進行状況を、社長は店に訪れる来客に、
これは、職人社秀平組の挾土秀平にやらせているのだと。
何度も何度も自慢げに見せては話し、仕事の状況確認をしている。

基本的に連絡の一切は店長が窓口で工事中の間、とても良好な雰囲気。

長い間、この店にふさわしい名前をやっと考え出したと、
          《 宵小菊 》と命名して 店長に説明して手渡した。

店を代表する酒=深山菊に対して、
小菊と付けるのは=造り酒屋の小さなBARであること。

そして、( こぎく)という潔さと、響きの良さ、

それに、酔う=宵い(明け方まで語り飲み明かしましょう)
                      という意を提案した。

数日後、作業も終盤を迎えて土蔵の仕上がり具合を見にいくと
店内の向こうにいた社長が、自分に大きな声でこう言った。

『おい、あんな中国のような名前はダメだ、
               俺は、3文字は嫌いだ、2文字にしろ!』

考えに考えた精一杯の名前だった。

しかしやはり施主に納得して貰わなければと、
2文字の名前を、もう一度時間をかけて考え、
≪ 緋粋 狸々 彩紅 寒紅 紅紫 笹紅 猩紅 ≫
                     7つの案を店長に渡し、

(できるだけ土地の歴史や願いのある名前。響きを大事にしたい事)

それから後、店長に工事の完成を報告すると、
店長は社長も大変気に入り、全く問題なしということで、

自分は、ありがとうございますと頭を下げ
店長も確かに工事を受け取りましたと、握手を交わしたのが、
                      3月10日の事であった。

数日後、店長より連絡がある。

社長が挨拶を受けていないというので来てくださいという。

こっちも喜んでうかがいますと、3月18日再び出向いた。
そうして、船坂酒造の2階の応接室の席につき、
このたびは本当に、ありがとうございました、と、お礼を言うと、

突然だった、社長が、あのカウンターは何だ!!という厳しい口調!?

ハアっと意味が解らない。

いいか!壁の仕上げについては問題ない、
             しかし、あれでは料理が出せない!

いいか!この土蔵の中で、
料理を作って出す許可を取ることはできないが、
店内で作って出すことはできるし、

この先、土蔵内で料理をした場合、
料理人が直接客に手が届かないことを、お前はどう考えているんだ!!

だいたい、割烹料理というのはなあ
板場から差し出すことができなければ、何の意味もない。

いったい、どうしてくれるのだ!! ・・・・と、怒っている。

こっちは、ビックリ、あぜんとした。

私はまず、
日本酒BARを作りたいということに対して作ったのであり、

割烹料理を出すとは、
今、驚きの初耳で、一度も聞いたことはありません、と答え、

また古い酒絞りの台に、
カウンターバーをつけたいという趣旨は工事前から説明してあり、
そのカウンターバーの寸法も最小限の幅にしていることから、
これ以上は、どうしようもないと説明して

その前に、
  この状態を社長、店長とも、毎日何度もみているはずであり・・・・

                    と話しても知らぬ存ぜぬ態度。

隣にいる店長は、眼をまばたきさせてダンマリ。

さらに社長は、
お前は左官だが、これが設計士なら3流だぞ!

そして同行していた現場管理人に、だいたい、お前の会社も、
こんな左官を使っていたら、潰れてしまうぞ!!
              などと意味のわからない暴言を吐いている

自分は、あまりの突然の言いがかりに、
どうしても料理を直接手渡したいのなら、
あのカウンターバーは取り外しができますので、
               はずしましょうか?というしかなかった。

すると社長は、蔵の名前が決定しない、
          どうしてくれるのだ!と、全く違う話にすり替わる。

2文字の名前を出していますが?と、答えると、
これを見ろ!と、メモを取り出し、
おれはこうして、従業員から名前のアンケートをとっているが、
どれも気に入らない、

俺の中で、この心にきっちりとはまる名前でなければダメだ!

いいか、名前というのは、店の運命を決めるくらい大事なもので、
子供の名前くらいに重要で、字画から全てを考え、
            長い間使うほどにいいものでなければならない。

いいか!俺の心にピッタリくるものでなければならない!
いいか!俺はお前を許さん!

はあっと、・・・・《 許さん 》とは・・・・どういう事ですか?

その後、2度ほど話し合いの場についたが、
     こんな調子の信じられない会話の連続。まともな話にならない。

お前は意外と有名だから、
お前の名前は自由に使わせてもらうのが条件だとか・・・

若い店長も、まずいと顔を強張らせながらも、
あなたの態度も悪いだの、
頭を下げて、謝罪してくださいだの
自分を、正当化し、こっちが上でそっちが下ですから!という始末。

こんな調子の、あまりに理不尽な、理解に苦しい、いきなりのやりとりに、

話すたびに、

怒りを抑えきれず頭が真っ白になり、
              思い出せない局面が多い。

理性を失わないうちに、
こっちまで暴言を吐きそうで、たまらず席を立つしかなかった。

しばらくして、店長から電話がある。
なぜ、謝罪にきてくれないのですか?
もし、お金を払った場合は、これまでの経緯を水に流して頂きたいという。

もう、イイカゲン敬語も使えなくなっていた自分は、
あのな?、そんな事はちゃんと金を払ってから言え!と、答えると

お金を入金した場合、看板の文字を書いてもらえますか?
そして、秀平さんの名前は使わせて貰えるんですよね・・・・・・

バカバカしくなって、もう話す気にもなくなり電話を切った。

電気工事、解体工事、大工工事、漆職人、塗装工事、左官工事、
他ガラス・・・・・占めて428万円。

工事が完成してから半年、有巣側からの入金は、いまだ一円もない。

それから、地元の人にこの件を相談すると
「やっぱり」とか「お前もそうか」という人が何人もいた。
まだまだあるが、みっともないのがダラダラ続くので、ここまでにする。

独立前に、安曇野で発見した奇跡のうさぎ。
これは、土蔵を依頼した家主に職人が、
この家の子孫繁栄を願って贈った感謝のしるし。

それから百数十年、うさぎを贈られた家主は
折れた耳と、取れてしまった波しぶきの玉を
釘でとめ、大事に守っている。

ここには、争いとはまったく無縁な、

           《ありがとう》と《ありがとう》しか存在しない。