空の果てから
まだ一度も空気に触れたことのない
無重力の粒でも降っているのだろうか?



長く眠った部屋の窓

この眼の中が、
明るく灯ってしまったように
晴天も夕陽のひかりも透きとおり
形のない
大きな鏡と鏡の間にさまよい

止まらぬ頭が、
けだるい身体を引きずり歩く

千の葉、揺れる、
その先までが鮮明に
重なる風の軌道に、空が縛られ
見とれていながら恐ろしく

いつもの道の、いつもの土手まで

風景の皮は一枚めくられ

仰向けになった心が
淡いめまいにつかまれている

手を上げてひらくと
ひかりの輪郭をもって際立つ影の手に

いまここの、
命の濃さと薄さを、おぼろに匂い
       首をかしげて、ながめている

私は
この指が動いていることに
何が動かしているのか、わからず
これまで与えられてきたものと
この先に残されているものを計れず

固く割れた皺の中

無重力の粒は、降りやまず
千の葉は、ゆがんで輝き
          いよいよ澄みわたると

・・・さなぎの身体。

私は、私にとまどい

溶けそうな自分を
  厚い外皮にくるんで
         こぼれぬよう
     

     ただ、眠っているしかないのです。

( この詩について・・・・ )

ちょうど去年の今頃、文化村の個展と
銀座四丁目の和光の仕事をほぼ同時に終えて

東京のホテルで数日間、眠りつづけていた。

飛騨に戻ってから
数日がすぎてなお、強くなってしまう脱力感。
そして、その脱力感からくる無気力と罪悪感。

身体は十分回復しているはずなのに
動けない、気持ちに力がないのである

苛立ちとあせりの日々。

ある日、
いつもの道、流れる車窓の風景を
助手席の倒したシートから眺めていた。

ゆっくりとまわる空、樹々、ひかり、すべてが鮮明で
拡大した視界、遠い視力。

こまかい部分も、遠くも不思議なほどクリアに見える。

これまでの自分とは明らかに違う。

ポカンとして、
チカラがなくて、
美しさに取り囲まれた

なにかこのまま召されてしまうような不安とあせり

その後、小林さんに、この自分の身体の畏れを話したら、

「それでいいんだよ。
        お前は、いま、さなぎになったのだ」と言う。

卵から青虫になり、
それから、いつかの蝶になるには
一度、さなぎのように仮死状態を経なければならない。

固い皮膚の中は、

ドロドロのカオスとなって溶けるからこそ、
       まったく違う変態を遂げられるのだと。

いまはすべての不思議を受けとめ
再生の時を待って、ただ眠り続けるしかないのだ。・・・と。