一日の仕事が終わって

事務所の二階で若い衆とできる限り、
      その時々の仕事や人間のことを、
              面白まじめに、話をして6:30。

それから2時間あまり、
        若い衆が飯を食ったか、
              そのまま残っていたのか知らない。


8:30、事務所に戻ってみると、
           オレンジ色の投光器を灯し

外にあるブロック塀の練習場に向かって、
              壁塗りをしている若い衆。

いわゆる修行なのだから、
こうした努力をするのは、当たり前かもしれないが

自分はいつもこの光景をみるとき、

いつかを信じて励む若い者の純情と、苛立ちと、不安・・・

折れない心を奮い立たせて、突きつけられているようで
        技能者[職人]に未来はあるのだろうか?
              っと、痛々しさや、哀しさを覚えてしまう。

いまや多くの人達がこの意味に、ピンとこないだろうと思う・・・・

・・・・・練習はどこまでいっても
            練習程度でしかないということ。

本来、技能を身に焼きつけてゆくのは、
           実践の中での体験の日々。

怒られたり、誉められたり
  ドキドキヒヤヒヤと神経を使い果たして、疲れ、
           現場で備わってゆくものだからである。

桶に練った、水と土と砂と藁の、
    サクサク、ザクザク、ドロドロした
          材料を、コテにとって平らに塗る自主練習。

≪壁を厚みをもって、平らに塗りあげる≫
これが左官にとって一番の基本であり、かつ、最もむずかしい。

自分の体と同等か、
それ以上の大きさの壁を素早く塗り付け

手の感覚だけで、
  柔らかく微妙にふっくらと凹凸なく、
             同じ肌合いで全体を整えていく。

同じ平らでも、
工業製品のボードを貼り合わせた平らな壁とは
        比較にならないくらい、その部屋を、
                やさしく穏やかに包み込み
                 
            その空気はなんとも、目に柔らかいものである。

皮肉をいえば、

そうした、微妙な空気感や、穏やかさを感受する心と

いわずもがな、こうでなきゃならぬ
   といった最低限度の美意識もうすれて、
       べニアも塗り壁もさして変わりなくなってきた
         この日本では、左官塗り壁もまた、
                忘れられようとしている現状がある。

特に、この10年、飛騨高山も、

軒並み、組み立て式の住宅が、ほとんどを占め、
           土地の大工も次々と廃業し

それに伴って、塗り壁は激減の一途、
いまや、この土地で左官工事のみで飯を食ってゆく事はできない状況だ。

それでも、若い衆がいま、
      目の前で懸命に練習をしている・・・・

まだまだ、下手くそだから、足元や靴は泥まみれになって
             振り向く、若い衆に、こう話しかけていた。

おい、お前達、がんばってるな!

こうして、
壁に向かい身体をつかって、叩き込む。

繰り返し積み重ねてゆくのは大切なことだし、
                その努力は素晴らしいぞ!

けれどなぁ、
  こんな泥状なものを大きく平らにするためには・・・・

なんていうかな?・・・ウン?・・・・

例えばな、といって、
俺は若い衆が塗ったベタベタの土に

斜めに顔を近づけて、
投光器に照らされて濡れて光る土の表面ギリギリに

左から右へと大股で一歩分、
  自分の舌をベロ?っとだして舐めあげるジェスチャーをした後。

いいかぁ、なんていうかなあ、

コテを、こう動かすといいとか理屈ではなくて、
              もちろんそれも大事だが、

その前に、
お前達の中に、

いまのベロっと舐めるような映像的なイメージをもって
         そんな映像と一緒にコテを扱ってゆくような・・・・・

           ・・・・解るか?・・・・

それはたぶん、
おデコあたりの理性で塗るんではなくて、

どっちかっていうと
  後頭部のツムジのしたの感性で、
      塗っている意識をもっているというか

もっと言うと、お前達、座頭市って知ってるか?

座頭市が目を閉じて、
     首をかしげて白目をむき、 
             刀の入った杖の先で察知しているあの姿。

そう、あれこそが壁を塗るというイメージかもしれない。

     ・・・・なんとなく、解るだろ?・・・・

そうなると、いわば、
      左官の壁を塗る技能は、めくらだといえる。

目で追いながらも、
   ツムジのしたで、察知しながら平らを感じている、
        だからこそ、難しく、美しく、すごいことなんだ。

もっとイメージしていったら、
           左官は水の上を走っているようなことなんだ。

いいかぁ、
こんな説明じゃあ、全然説明になってないけど、
                 でも、なんか解るだろ!

そこがとにかく、大事なんだ、

意識していたらそのうちわかって来る!がんばれ、がんばれ!

若い衆は、ポカンっと口を開けて聞いている。

けれど、ニタっと笑って、
        誇り高そうで、
           真剣な眼差しで・・・・

その感覚を少しでも掴みたいと、また壁を塗りはじめた。

じゃあ、頑張れよ・・・・といって車に乗り込んだ。

運転の途中、
今さっきの自分の、とっさの会話に、
          しみじみとやっぱり左官は難しいと思う

壁を塗るとは、あんな言葉を連ねるしか、
             伝えようのない技能なんだ

そしてだからこそ、出来上がったものが、
          豊かなのだとあらためて
              言った自分に実感させられてしまう。

左官の技能は、大工や家具、指物師に比べて、
大工は人間に近く、左官は自然に近い大きな違いがあり
           どちらも緻密でありながら、まったく違う。

小林氏は言う
左官こそは、アバウトでランダムでノーブレブレムなもの

大雑把でバラツキがあって成り行きまかせな仕事だが、
         それを、微妙にまとめ上げて緻密にした時、
              えもいわれぬ表情を生み出すことが出来る。

去年11月
飛騨高山の観光の中心部にある、

造り酒屋を買った地元の経営者から
       土蔵の空間を全て任せたい、
             お前の思う一流の壁に塗り替えて欲しい。

                ・・・・・・そんな依頼を受けた。

工事全体は400万円を超え
若い者は、土蔵の壁を埃まみれになって削ぎ落とし、
山へ分け入り、赤土を掘り出して土を練って全身泥だらけ・・・・・

自分は、
この店にふさわしい壁を考えて生み出し、試作を重ね図面を書き、
工事は、棚を取り外し、階段を外し、柱を塗装し、
漆職人の作ったモダンなラインを走らせ、

酒絞り機を利用した小粋なカウンターテーブルや
照明器具を取り替え・・・・
休日を返上して、約束の期日に間に合わせた。

3月10日。
土蔵の空間は見事に出来上がり、
          店の店長に完成の挨拶をして握手を交わした。

ところがそれから後、

呼び出されると
それはないだろうと言うような展開に明け暮れて・・・・・

話をもらって半年が過ぎ、
       完成をみて3ヶ月、いまだ一円の入金もない。

その内容は。
あまりにあまりに、理不尽で。
            とても、とても書くに耐えない。

今日も灯りの下で若い衆が、夜の練習をしている姿に

いま、この時代への苛立ちと、

そして!
こんな理不尽が、まかり通る飛騨高山に、はりさけそうな思いでいる。