『私達は、この震災の危機からどう生きるのか?

価値観や倫理。
  そこから人間は何を学ぶことが出来るのか、という問題について。


今回、多くの人が感じた事があった

私たち世界は
  あの未曾有の非常時でも礼節を重んじ、
    冷静で自己犠牲の精神に溢れ行動した日本人の、その姿に驚き

それは共通な意見として
たとえ、地球の反対側にいたとしても、

日本の人々の冷静で勇敢な対応には、

日本との摩擦を抱えた国も、
       経済的に貧しい国も、
            その枠を超えて支援し、

            強い共感を覚えることができたという事だ。

日本の人々の痛み、苦しみを、私達世界は分かち合うことが出来る。

それだけではなく、
日本人が見せた素晴らしい人間性や、功績を
まるで自分の事にように、誇りに思うことができるという事だ。

今回の原発も含めた災害を、世界がどう受け止めたか?
自然と人類の関係をどのように考えるべきなのだろうか?

『日本の人々が行動であらわした、美徳や精神は
人間にとって、世界にとって大きな意味を持っているのではということ。

  それが、再生、復活、希望につながる一助になればと思います。』

これはサンデル教授が、同時中継の公開授業の番組で、
           最後に締めくくりとして、述べていた言葉である。

授業は答えの出ない哲学的なものだったから、
               簡単に理解できるものではなかったが

そんな議論の展開のなかで、
アメリカの女性が、日本人のみせた美徳の精神に、
     私は、それが私自身のことのように誇りに思えていた、
                        という発言があった。

2月の終わり。

自分はフランスにいて、

パリの街を統一しながら守り、暮らしている人々の姿や
           いやがおうでも伝わってくる歴史と空気。
          
そこに生きた先人の、息づかいまで感じられる街並みに
       この国の人達が、自分の事のようにうれしくて、
                それがやがて、尊敬に変わりだすと

なんどもなんども、泣けてきてしまう自分の気持ちが、
           不思議であったことを思い出していた。

そして、この震災で失ってしまったものの衝撃と、
          あのパリの存在感とが同じようなものに思えていた。

数日前だった。
内閣総理大臣が復興構想会議なるものを立ち上げたという報道で

その内容は、
災害に強い街をつくる
更なる想定以上の備えの必要性に
有識者の知恵を借り、新しい街を生み出していただきたいと述べて。

さらに、自分の主観をこう付け加えた・・・・

今後の津波対応のひとつとして、
山々を削り、切り開き、
そこにエコな街づくりを進めたら良いのではないか・・
                 と、発言しているのである。

連日の番組では、様々な街づくりや建築の専門家が、
港には防災を兼ねた、もっと強じんな建築物が必要だの、
              どうのこうのと議論が飛び交う。

東北地方は、厳しく、深く、そして哀しく、

貧しさを耐え忍んであったからこそ、
              生まれた美しさや、

この国の色濃さを潜めているような、エキスが詰まった土地柄。

単純に山を削る、という発想を聞くとき、

なんだかまた、畏れに近い戦慄が身体に走り、

眼には見えない、われわれの大切な東北の深い闇まで
         復興のあり方で、奪ってしまうように思えてならない。

今回、身をもってわかった事は、

自然を想定する事は、出来ないと言う事がわかったということ。

自然の中には、人間が触れてはいけないものが、あるということ。

自然の計り知れない力には、対抗するんじゃなくて、
      素早く察知し、如何にして逃げるしかないということ。

そして、計り知れない円循をなす
      自然を壊しすぎないことが、
         自分達、人間と自然のあり方なのだと、思い知らされ、

この国の、我々の、
歴史や受け継がれて守ってきた大切なものも、命も、
      一瞬で消え去ったそれらを、できる限りの力で、
               取り戻していかなければならない。

そのうえで、復興という意味をよく考え、
   鈍いと言われないような実践をして
     世界の中で、日本の持つ価値観や精神性を示してほしいと願う。

阪神淡路大震災後の、目覚ましい復興も
    表面的なものを選び、急ぎすぎてしまった結果に
               虚しさを訴える声も少なくはない
                
            

       

さだかではないが、岩手だったか?

漁村に住んでいた老大工が、
  自分の所有する地にいち早くもどり、
            自力で住宅を作ったことに、

危険だといって、また、法律違反として
           撤去命令しているような映像を見るとき、
    
いえば、命に対して、生きることを許さず、
     生かされているだけで、死んでいるようにも思えてしまう。

このまま、復興がスピードと安全性と、経済性を優先して進んでゆくとき、

この震災は同時に、《手で作ること》の死、
            《時間をかけて作ること》の死といえる

なんだか自分には、

数値化出来ない職人の舞台は、表面的な飾り程度でしかなくなり

復興の形が、職人時代のいったんの区切りとなるように思えてならない。
         
総理の言う、新しい国へと転換してしまう発言に
        強い反発をしてくれる、人物はいるのだろうか?

被災地に行く勇気も、行動も示していない自分には、

              なにも言う権利はないけれど・・・

生きるということ。

大きな大きな時代が、流れだしているなかで、

自分は、独立後から9年を賭け、倒産と夢の同時進行で進めてきた、
               洋館の内部が、奇跡のような完成をみた。

考古学者でもある、行きつけの居酒屋の大将は

歴史の中には答えがある

縄文が、2500年程度の四大文明に対して、一万年という時代を築いたのは
自然に必要以上の働きかけをしないで、
自然を受け入れて平和に暮らしたことにあると説き・・・・・

師からは、一遍の詩が届き、こう書かれていた。

都市以前の
近代以前の

穏やかな自然といってよい、風景のままに
大地は揺れ、海は傾き
自然はゆりもどす

なんどでも
なんどでも

不思議は津波があったということではなく
そこに、都市があったということ。

桜の満開まで何日もかかりそうな
       飛騨は、例年になく冷え込んでいて、

自然は謎に満ちて、春のおとずれを、ただ待つばかり。

山々は、まだガランとした冬枯れのまま、肌寒い日々が続いている。