数日前、私の事務所に、
  老舗の改装に伴って塗り壁の依頼をしたいという夫婦が
                     北陸方面から訪ねてきた。

私は、仕事の依頼を受ける時、必ずこう言う。

どうか是非一度、

私の事務所にある100以上に渡って作って来た、
         塗り壁のサンプルの肌合いや色合いを
                  その目で直接見てほしいのです。


訪ねてきた二人は、
   しばらくの間、様々なサンプルを眺めて、
       小声で話し、時には指をさしたりしていて・・・・

                   私はその様子を黙ってみている。

二人の目線や表情に、

どの色に反応し、
   どの肌合いにひきつけられ、
         どこに無反応であったか?                    
                  を、さりげなく注視しているのだ。

それから、いろんな雑談に大半の時間を費やして・・・・
    最終的に少し相手の抱いている思いや、イメージを、
            なんとなく聞かせてもらう程度にしておき・・・

そして、こう言って別れる。

次回からは、自分がイメージして出来たものを持って
   あなたの所へ訪ねていきますから、しばらく時間を下さい・・・・・

わざわざ私に仕事を望んで、時間を作り、
             足を運んでくれたこの二人に対して

やはり、頼んで良かったと喜んで受け取ってもらえるような結果にしたい。

何とかして応えたい。

いつも問い直しているのは、
   自分の一方的な感覚や表現を押し付けてはいないかということ、

あの二人の、目線や表情を思い出しては何度も推理をめぐらせ、
            ひとつの物語を連想しながら、だからこの色。  
そう、だからこの肌合い・・・
         その考えを幾通りかにしぼってゆく

では、よろしくお願いします、と言って帰ってゆこうとしている二人を、
地元飛騨にある、小さな土蔵へ案内してから別れることにした。

土蔵は、地元飛騨の鎮守の森の境内の、
             池の中に建てられた、江戸期のもので、

黄味を帯びた土色の外壁に、
 白い漆喰と黒い漆喰がほどよく折り混ぜられた外観をして、
  15年前に、当時とかわらぬ素材を使って、復元したんです、と話す。

11月の晴れた午後、
   陽の光が斜めに差し込み、
    柔らかな土肌の壁を切るような、屋根のラインが黒影を落とすと、

小さな池の中に静かに建っていた土蔵は、
              いっそうくっきりと眩しく映っていた。

すると、ゆっくり境内を歩きながら、ときには立ち止まったまま、
             何か遠い物を見るような穏やかな表情をして、

また味わうようにして、
         時を忘れたかのように眺めている二人の姿があった。

しかし最近ではこんな事もある。

本物の土壁を作りたいと求め訪ねてきても、
         もっと赤く、もっと華やかにできないか?
                    傷がつかない方法はないか?

たとえば、ひとつの建築設計の仕様に中にも、
        んん??と、躊躇してしまうような、
                大胆な新しさとも違う色彩の要求に、

どうにもイメージできず、消化できない場面に直面する事もある。

その昔、東の果ての夢の国ジパングと呼ばれ、
               謎めいて憧れだった日本は、

< 枯れる >< 濁る >< 渋み >< 老ける >
                        などに価値を見出し

繊細で、絶妙で、議論してもしつくせない
  < わび >だとか、< さび >といった独特の感性を育ててきた。

それらは死生感にまで奥深く絡みあって、
         削ぎ切った中に、膨大な思いを潜めた、無限の広がり。

奥深い精神性は物を扱うしぐさや、
       指先の動きひとつにまでゆきわたり、溢れていた。

たとえば、着物の帯の絶妙な色合い。

それを誉めている母と祖母との会話に出てくる色の名前ひとつとっても、

< 灰色 >と< ねずみ色 >
         のほとんど変わらぬ色合いから、呼び名を違えて、

鼠色(ねずいろ)・銀鼠(ぎんねず)・梅鼠(うめねず)・
深川鼠(ふかがわねずみ)・利休鼠(りきゅうねずみ)・
藍鼠(あいねず)・錆鼠(さびねず)・相思鼠(そうしねず)・
濃鼠(こねず)・薄鼠(うすねずみ)・葡萄鼠(ぶどうねずみ)

といったふうに、情景や風景を思わせて、
               それを更に言葉豊かに言いまわす。

私は思う。

これらの言葉は、たぶん、机上の知識として学習するものじゃなくて、
知らないうちに埋め込まれなければ、とうてい使いこなせないもの。

時代に合わせて、
     デザインや色彩感覚が進化して行くとしても、

そこには必ず、毎日の生活の中で、
       無意識に蓄積された日本的な美意識が、
                    潜んでいるんじゃないか?

そして、たぶん、その一番根っこにあたるものが、

風景や街並みとして存在し、
         我々の感覚全てを遠く決めているに違いない。

いま、自分が恐れに近い違和感を覚えて、
  最も不安感に、さいなまれてしまう物のひとつに、地方の風景がある。

長い時間と歴史の中で、生まれて馴染んできた景色のバランス。

色合いや風合いは
どれも一度うしなうと、今や、それを作る技能ごと取り戻すことは難しい。

山合いの田園が広がる農村に、
     突然建築された1軒の欧米輸入住宅の出現は、
          その風景全てをだいなしにしているように感じられ

いぶし瓦で統一された海辺の集落に、
          パステル調のレンガの店が3?4軒つらなって並び、

プラスチックの看板の反射が、
          虚ろに眺めている車窓を、突然寸断する。

この飛騨の伝統的建造物の保全区域といえども、
            残念ながらその色合いは、
              工業的なものが半分を占めてしまったのは、

                          なぜなんだろう。

安易な町おこしのデザインが、もともとあった町並みから、
最後の気品さえ剥ぎ取って、とりかえしのつかない事になっているようだ。

いつだったか、都市の風景はすなわち、
      そこに住む者の人間レベルを如実に表すと聞いた事がある。

そしてパリにしろ、ロンドンにしろ、
  ニューヨークにしろ、ファッションの最先端にありながら、
       その風景を変えることへの抵抗は、驚くほど強いとも聞く。

あの土蔵の風景を味わうようにして眺めていた二人の姿・・・・。

その心の内側を想像するだけでも美しい物があり、

しっとりとした、本物の風景に重なって佇んでいた二人の姿は
                      もっと美しく人と風景が、

いかに、ひとつになって響き合っているかが解る。

教育とか、経済ばかりが取りざたされる中、
  あらためて自分達をとりまく風景を考えることは、それ以上に重要で、

このままで、これから育ってゆく子供たちは、
       いったいどんな感性と感情を持ち合わせてゆくのだろうか?

日本人が世界の中で独自性をもって存在してゆくには、
            一番根っこにある風景を考えなければ、
                       ありえないと私は思う。