子供の頃の自分を思い出すとき
    情けないくらいに、泣いて、震える

臆病な人間だった事が、
         今でも強い記憶として残っている。

けれど、表向きは、元気でわんぱく、
         取っ組み合いのケンカは、頻繁にしていて

≪ あいつとやり合うのは、イヤだ! ≫
              と思われるくらい
        
       
        激しい気性も、持ちあわせていたように思う。


意識をしはじめたのは、
      小学3年生ぐらいだろうか?

自分がクラスの仲間と比べても、
         異状に震え、臆病だという事実に気づいた

当時、子供ごころに、
    だれにも悟られないよう、
        ひた隠しに隠していた、この心の内側。

そのひとつひとつを
       思い起こしてみると・・・・

              
あの頃の小学校は、私服での登校だった

とにかく地味で、
   目立たない服を着ていたかった自分は、

母親が、

新しい服を与えてくれても、
  ほんの少し、派手な柄がワンポイントあるだけで、
それが、怖くて恥ずかしくて、
        いっこうに身に着けようとはしない

結局、叱られた末に
   無理やり服を、着せられたまま、外に押し出されて

学校のグランドに
    一歩足を踏み入れたとたん、
      こぼれてくる涙さえ、また目立ってしまうから
                        
どうやって涙を止めたらいいかと、うずくまっていたり
という風で

いつも、同じ服ばかりを着つづけて、
       
親を悩ませ、
  ひじの部分が擦り切れると、
      ひじあてを付けられたら
           どうしようかといった思考の始末。

あたらしい服を着るまでには、

数日の葛藤の末、
    恐る恐る勇気を振りしぼり
          登校しているような子供だった。

中学2年生になって、
    みずから赤いトレーナーを買って、持ち帰ってきたとき、

両親は驚いて喜び、
    ≪ いいことだ、勇ましい ≫と、
             えらく誉められたものである。

でも、自分の中に宿っている、
      
自己嫌悪に陥るほどの臆病さは、
          消えるどころか、
              ますます過敏になっていた。

14歳ぐらい・・・

今でこそ言える話では、

まつりに、つきものの、
    獅子舞が、家の玄関にやって来ると、

歯をガタガタさせながら、近づいてくる
            様を、とても見ていられず、
         

背筋と、心が締めつけられるような、
         自分に起こる反応に、哀しくなった。

夏の花火大会の夜は、

その爆発音が、
   心臓に、痛いほどに伝わっておびえて、

自分の身体が獣のように、
   ピクピクと反射的に動いて、
          息が、詰まってしまうことを隠すため、

今日は用事があるからと、
      友人にウソをついて、
             

       ひとり部屋の中で、耳を押さえて、閉じこもっていたこと。

旅行に行くよっと言われても、
      喜ぶどころか、近くで遊んでいるほうがいいと
                      ガッカリさせて
両親は、どうしてこの子は
      こんなに臆病なのだろう、
           そんな会話の記憶が、今も残っている。

高校を出て、
 熊本への修業を経て、地元に戻ってからは、

自分が自分ではないほどに、荒れ狂い、
       カーステレオのエレキの音を

ボリュームが振りきれて、
      割れるほど聞いても、足りなかった時代。

まわりの人間が、
   自分に近寄ることも、許さぬ形相を漂わせて、

当時、人を人とも思わぬ素振りで、
        あごで使い、責めたてていながらも、

わずかな顔色の変化を見逃さず、
      相手の限界の、一歩手前で、引いていながら、

時には、不思議な感覚の中で、
        今、目の前の人と、話しているさなかに、

その人の死んだ顔が、
     頭の中に浮かんで、
        取りはらえないような、おびえを、
                  いつも抱いていた。

2001年の独立。

自分を必要としてくれる、相手に対して、
              答えられているのだろうか?

今、立ち向かおうとしている挑戦は、限度を超えていないか?

それとも、
  自分を使い果たすつもりなら、手が届くのか?

おびえと臆病は、
   野性的な感覚の中に、

自分の命を計って
     震えていたのかもしれない。

そして今も尚、
  臆病癖は、まったく消えず、
          そのまま残っている。

ここ最近の社会のニュースは、
     

自分が描いていた
    日本人だという、誇りの変化、
       生活のリズムも、原風景の変わりようも・・・・。

近頃、過剰に取りざたされた、大相撲の報道は、

触れてはいけないものに、
    触れているように感じられて、
     
本当は自分たちの、神事であり、
        強さと美しさを秘めた、
            喜びのショーであって、ショーではない豊かさ。

あいまい、である事の
       大きな含みを持った寛容さと、

多面的な美意識は、
     ただ強い、弱いという、結果の白黒ではない。

見方を変えれば、相撲界が壊れたのではなく、
    

受け入れる側の、
   我々が崩壊しはじめたような気さえしてしまう。

飛騨から東京へ向かう、在来線。

電車の停車駅から見ていた、車窓のなかに、
     

風にのる羽根が、
  どこからともなく、舞い落ちてゆく、その先を見ていたときだった。

その日だまりの中に、自分は、
       自分の老いた姿を、
           何度も、何度も、頭の中に描こうとしても、

おぼろげな色も、
     臭いも、まるで感じ取ることが出来なかった。

あるのは、稲刈りのあとの、切り株と、
            

          廃墟のように古びた、農機具小屋の静けさだけ。

この先の、時代の変わりようの中に、
        自分達の生き生きとした声の
                  想像がつかなかったのだ。

そのうちに、なんだか大相撲と、
        
我々職人が大動脈で
    繋がっているように思えだして、
           
その本能が、
   このまま日本だけで、
      じっとして、いいのだろうか!っと

また身体中に
   あの、おびえが走りだしていた。

名古屋から新幹線。

車窓から見る秋晴れに、光る海を眺めて・・・東京へ。

そこには、
   今まで関わりのなかった、
              
        新たな出会いの人が、自分を待ってくれている。

臆病であることの、その裏側には、
         穏やかでいたい、という願いがある。

穏やかであるために・・・・

今、自分に起き始めている、

強烈で深い震えは、
    もしかしたら、
       海の向こうに、あるのかもしれない

                   
                  ふっと、そんな事を考えていた。

そして、数日。

見あげる、真っ青な空には

異様に、きわだつ一塊の銀の雲に、心を奪われて。

      それは、巨大な船底のように・・・・
             海を渡るクジラのように・・・・

                  ゆっくりと流れ去っていた。

どんな方法で? その糸口は見つけられてはいないが

はじめて本気で、
   この世界のどこかで、
       自分達の仕事を、表現することを目指したい、

            いま、そんな震えと、おびえの中に俺はいる。