東急文化村で開いた個展の設営をしたのは6月2日。
設営は10人がかりで、職人社秀平組総出といった、
大掛かりなものであった。

準備が整ってすぐ、
自分には、次のとても大きな課題が課せられていた。

職人衆を集めて打ち合わせを行い、
じゃあ、この文化村ギャラリーから、細かな指示連絡をするから、
くれぐれも頼む!!といって飛騨へ帰る皆を見送っていた。

6月19日夕刻から20日朝にかけて、
銀座四丁目WAKOのウィンドディスプレイの制作と設置という、

人生でも、そうそうにはない大きなチャレンジが、
すぐ先に待ち構えていたのである。


東京での仕事を受注するようになって、およそ7年。

その間、
銀座、有楽町あたりの仕事が多かったぶん、
WAKOのウィンドウは、なんとなく目にして通り過ぎていた。
他のウィンドディスプレイとは、
      格段に中味が違うというのは、言うまでもなく、

     なるほど、別格というか、歴史と品格が、意地でも漂っている。

数回の和光との打合せの中で、
    いざ自分が作るという現実に直面すると、

和光デザイン部、アートディレクターの慎重かつ真剣な立ち居振る舞いや、

その指示のもと、このウインドウの制作に、
  30年の人生をかけて手掛けてきている業者社長の、
         このウィンドウにかける情熱とプライドが、
                   ビリビリと強烈に伝わってくる。

そして、その社長が言う。

このWAKOのウィンドウは、世界の窓ですから・・・・。
    和光はあくまで、和光ですから・・・・。

私は30年間、年8回、このウィンドウを手掛けてきて、
あなたのような外からの作家を使うのは、これが6人目となります。

和光のウィンドウは、
    あくまで和光が決めることで、
         どんなにお金を積まれても、
                その人物の実績とも関係なく、

いつも和光というディスプレイを目指しています。 と、誇り高く言う。

自分は、そういうスタイルこそが本物だと思えるぶん、
そんな話にムッとするどころか、思いは十二分に解るし、これ以上は言わないでくれっ と顔には出さないが、ビビってしまうくらいであった。

6月7日、調布にある社長の作業所で、塗り壁下地の確認打ち合わせを行い、11日にその下地を高山に到着させるという。

文化村ギャラリーは13日が最終日で、
高山の職人衆に写真のやり取りをしながら指示を出し、
 14日の早朝、東京を始発し高山へ向かう。

朝一番、目覚めた時からすぐ、
             小さなパンを食べながら心の中で呟いている。

いよいよ始まる・・・。

一刻も早く取りかからなければならない。  

指折り数えれば残り5日。

今回だけは、ひとつの失敗も許されない。

高山の職人衆は、指示通り動いてくれているだろうか?

お前の仕上がりのイメージは、本当に正しいか?

和光に恥ずかしくない見栄えに応えなければならない。

なんだか一気に張りつめてきて、
        全身の皮膚が立ってくるような不安な気持ちに包まれて。

バッグを片手に品川までタクシーを拾おうと歩き出すと、
                       突然、吐き気が襲い、

道端で一度もどして、
  数歩あるいてすぐまたもどし、
    嗚咽が止まらなくなって口が開けず、
          タクシーの運転手に品川っと、
                  ひとこと言うのがやっとであった。

高山に戻ってすぐ、電話で指示をしてきた作業の経過や、
              準備をさせておいた材料のチェックをする。

左官は、下塗り、中塗り、上塗りと塗り重ねて作られる性質上、
  ひとつの失敗が命取りになってしまう。

それに、列島は梅雨に入ったようで、
雨模様は仕事の展開をさらに遅くさせてしまう可能性もある。

残り5日をきっていた。

10人掛かりで仕事を進める・・・・
     すなわち、10人全員にひとつの失敗も許すわけにはいかない。

職人衆を信用出来ず、見張るような精神状況になっている自分。
朝食は取るものの、相変わらず仕事に取り掛かろうとすると、
                仕事を始める前に必ずもどしてしまう。

たぶん、
今日一日の不安と危機管理が頭の中いっぱいに巡っているのだろう。

完成が不十分で、皆に頭を下げている夢を見ていた。
こんなプレッシャーのかかる仕事、
            請けなきゃよかったと愚痴までこぼれる始末。

バックミラー越しに見る自分の顔は、ドス黒い肌と深く入ったシワ、
          皮膚の皮一枚下に黒い血が流れているような数日間。

作業は19日の午前10:30まで続き、
そのまま4tトラックに積み込んで、職人衆は、一路、銀座へ出発した。

東京銀座、夜21:00、
この日、ワールドカップ、日本対オランダ戦が行われる中、
  いよいよウィンドウに、我々の壁とマネキンが持ち込まれる時がきた。

飾られる塗り壁は、
正面のメインのウィンドウでは3分割に、
    隣りのサブウィンドウは、2分割となっているのだが、

そのひとつひとつが大きく重量もあるから、取り付ける、
                  といっても、簡単なものではない。

現場に張りつく社長に、
今日はお願いしますと、精一杯、謙虚に軽く会釈をした後、

自分は、正面のウィンドウに持ち込まれてくる一枚目を、
   交差点のぎりぎりの位置でしゃがんで見守っていた。

実は、この正面の左端に持ち込まれる壁、
この一枚目に、最も大きな不安要素を抱いていたのだった。

この一枚目は、BLUEただ一色なのだが、
雨模様の天候の中、制作倉庫の一番奥に設置し作られた、
              薄暗い環境の中で仕上げた部分なのである。

人工照明の中でつくったものは、
        時に大きなムラを見逃している場合があるのだ。
自然光にさらしたとき・・・・
           ≪ もしそうなっていたら、おしまいだ! ≫

黙って両手で口をふさぎ、
      おそろしくて気配を消して見ているしかない自分・・・・。

やがて6?7人で持ち込まれたその一枚目が置かれた時、
  微妙な光と影を帯びて、透き通ったような濃いブルーが、
                   少しのにごりもなく立っていた。

「 いける! 」確信した!
あとの4枚は、自然光の中できっちりと確認出来ていたからだった!
身体中に震えるものが走って立ち上がり、まじまじと見ようとしたが、
           どんなに目を凝らしてもにじんで仕方がなかった。

・・・最高だといっているのではない・・・。

この銀座和光のスクランブル交差点で、
確実な65点を、絶対の100%取る難しさ、

それに震え、解放され、ただ・・ただ一点の曇りもない感謝が
                心の底からあふれ出て、とめどもない。

自分の実力とか、達成感とか、そんな、ちっちゃな事ではなく、
星ひとつない、ツヤのない東京の夜空に、ただ感謝していて・・・・。

東京ありがとう・・・ただそれだけ・・・。  

臭い話になってきたと思う人は、思うかもしれない。・・・しかし違う。

東京ありがとうとしか、言いようがなかったのである。

この65点は、自分が自分でないほどに超えているから、
   何か解らない空気のようなものに対して、感謝しているのであって、
           自分の【 事 】とか、【 物 】の事では
                   なくなっていたのだと思われる。

社長が近づいてきて・・・・ウム、とうなずき、きれいだよ!
こういう大型のディスプレイは久しぶりだから、
迫力もあるねえ、と言う。  そして、こう話し続けた。

和光は、これをあなたがやったと主張する事はありません。
       なぜなら、≪それが和光ですから≫、と、にこやかに言う。

自分は、そんな事は気にしていないから、「 はい 」と言って笑っていると、あなたは、この和光の仕事で、もしかすると足が出たかもしれない。

しかし、
こうして自分がやったんだ!ということを誇りとし、また自ら人に言い、
もっとすごい仕事に繋がるよう、和光を、おおいに良い形で使っていいんだよ、と何度も繰り返していた。

深夜になって、和光のアートディレクターも、全体を仕切りながら、
ジュエリーやウィンドウの細かい所ひとつに、気をそそいでいる。
この和光のディレクターは、自分より5歳くらい若いが、良く考え、あきらめず、素晴らしいセンスを、やはり備えているのがよく解る。

朝6:00、すべての作業が終了した。

翌日の夕刻、あれからどこへ出かける事もなく、
ひたすら横になっていると、銀座の兜屋画廊の女主人から、
           一緒にウィンドウを見に行きましょうと誘われる。

画廊の主人は、自分の事のように喜んで、
ウィンドウの前で眺め。こんどは対角線になる交差点の向こうから。次には、こっちの歩道側からと何度も眺めて、よかったわね、と繰り返し、

道向こうに、ウィンドウを眺める事が出来る喫茶店があるからと、
           2人はその2階で、コーヒーをしばらく飲んだ。

ではそろそろ帰りましょう・・・・と、
新橋方面に歩きだすと、画廊の主人は、あらっ!と
 サックスの路上パフォーマンスをしている男に、親しげに声をかけた。

そして、いくらかのお金をパッと渡すと、
秀平さん、これ、なかなかいいのよ!リクエストしなさい、と言う…。

すると演奏者は、これは名曲だから、と
        1曲目をダニーボーイだと言って吹き始めた。

それから続けて2曲・・・・・。ただ、黙って聞いて・・・・

    その音色が空に消えてゆく、銀座和光がいま、ここに終わった。