去年の年末に行った、東京勝どきでの個展【 土と水陽 】
そして年が明けてすぐ、東京銀座にある兜屋画廊で、
    【 泥の心象 】と題して2回目の個展を行った時のことである。

この2つの展覧会には、延べにして、
およそ1000人を超える人達が訪れてくれたのだが、その間、自分は、
                  ほとんどの時間を会場内で過ごし、

様々な人達が、≪ 自分の壁の表現≫や≪ 色合い ≫を、
いったいどんなふうに感じてゆくのかを、この目で確かめてみたい。

それは、訪れる人たちの表情をこの目でじかに観察することが、

≪ 自分の左官 ≫と≪ 時代の反応 ≫を計る
              よい機会だと考えてのことであった


個展の案内は、わずかなDMと小さな記事を一度載せてもらった程度であったが、年齢性別に関係なく、幅広い人達が足を運んでくれたように思う。

しかし、そんな個展を開いて数日がたつと、
自分の興味は展示している≪ 私の表現 ≫をどう見ているか、
             どんなふうに評価してくれるかではなく、

来場者の鑑賞のしかた、その人物のたたずまいに移ってゆき、

きっとあの人はこんな感性をもっているのではないか?
・・・と、いつの間にかその人物像を想像している毎日へと変わっていた。

会場内の展示は、25枚の作品のひとつひとつに、
小さな詩のような散文をそえて、そこに静かなBGMを流した、
             どこにでもあるシンプルな設営の中で・・・。

歳の頃50歳前後の女性がやってきた。
女性は、もの静かに軽く会釈をし、
            自分の目の前を過ぎて場内に入ってゆく。

そしてすぐ左手から並ぶ壁の作品の前に立ち、
         まず3分近くの長い時間を静止してしばらく眺めて。

そのうちに、バックの中からめがねを取り出すと、
40?50?まで近づいて立ち、しばらく眺めた後すっと口を結んで、
小さな詩を読み。

そしてまた、かるく眺めて、
       後ろ足で2?3歩さがって、もう一度じっくりと眺めている。

それはまるで遠い風景を見ているような表情で立ち、
次の右隣りに並ぶ作品の前へとその動作をくりかえして
                  場内を移動しているのである。

自分は黙ったまま距離をおいて、視線を悟られないように見ているのだが、

その姿は、何かを心の内に探しているかのような、
      その女性の中に刻まれている遠い記憶を
           呼びさましているかのような表情を浮かべている。

自分は、そのたたずまいの美しさに、
          不思議な安心感が自分に生まれていて

その女性が場内を出てゆくとき、思わずこちらが

「 ありがとうございました。 」と、
       
        深々と頭を下げたい気持ちにさせられてしまうのである。

そんな個展を終えて2カ月がたち、
印象に残った人物の記憶は、今もなお強く自分に焼きついている。

場内の空間のまん中に、
    ただ2時間以上も呆然と立ちつづけていた若者がいたこと。

兜屋画廊では、
    感情をふるわせて涙を浮かべている人、
       ポロポロと泣いて話しかけてきた人がいたこと・・・・

会場にいた自分は、
  こうした人たちの鑑賞の姿や、
      心を震わせて涙している姿を目の当たりにしているうちに、

なんだかその震えている振動のぶんだけ、
   自分が狙い定めて誘導しているのではないかと
                罪悪のように思えてきて、

それが妙な痛さとなって、しみ込んでくるような圧迫感に、
会場に詰めているだけなのに、息苦しさに疲れて仕方がなかった。

そんな個展もあと残り2日となって・・・・。

平日のほどよい静けさとは一転した、にぎやかな土曜日の午後。

突然、7?8人の作業服を着た同業者らしき集団がなだれ込むように現れると、それぞれが、それぞれに右に左に慌ただしく動きながら・・・・
指をさしながら話す、その声がこっちにまで聞こえてくる。

そのうちに、唐突に自分に話しかけてくる者もいる。

その時、どうにも耐えきれない、初めての葛藤にいたたまれなくなった。

無防備にさらされた自分のまわりに急に不安が渦巻いて、
   その場にいられず、しばらく外へ出てしまったのである。

そして最終日、
23歳くらいの2人連れの女性が2組、
いかにも悪びれない様子で、楽しそうにやって来た。

1組は作品に顔がつくほどの位置で、今にも手を触れそうな様子に
自分の神経が、これ以上ないほど張りつめている・・・・。

もう1組は、ステキ、ステキと興奮気味で
  2組とも、「 お話しさせてもらっていいですか? 」
                と、自分のもとに近づいて来た。

そしてあの壁はどういうふうに仕上げてあるのか聞かせて下さいという。

どうしてここへ来たのか?と聞くと、

1組は、左官の訓練校の2年目で、
    先生から是非見るようにと教えてもらったとあっけらかんとして。

1組は、私もこんな壁が出来るよう目指しているというのである。

そんなやりとりを見かねた画廊の主人が、
話の途中で自分の間に割って入ってくれたことで、
                  その場は救われたのだが・・・・。

そのときの、どうしたらいいのか、わからない息苦しさは、
                       忘れられなかった。

この3月の終わり、そんなことを思い出しながら。
   次の仕事の打ち合わせに東京へ向かっていた時だった。
   
新幹線の自分の座席から数えて3列前の席に、
             赤子を連れた母親が座っていて

横浜の手前で眠っていた自分の目が覚めたのは、
         赤子の泣き声に起こされたからであった。

赤子をあやす母親だったが、
        その泣き声はいっこうに止まず、不規則に続いく、

そのうちに泣き声が、どんどんと耳につくようになって、
              自分が破裂しそうな感覚にまた、
                   耐えきれなくなって席を立った。

なにかをあんなに強く訴えているのだが、
         なにを訴えているのかわからない、
                 理解のできない激しい感情の中で、

こちらの思いを、伝えるすべもない。言葉も通じない。

怒ることも逃げ出すことも許されない、手出しできない
               まるではりつけのような不安感と恐怖。

なにも自分は子供を嫌いなわけではない。

しかし自分の中に膨れあがって耐えきれなかったあの感情は、
          あの個展の息苦しさとまったく同じであった。