職人社秀平組を結社して10年目。

政治の混迷はもう慣れて、
        とりかえしのつかない時間が過ぎてしまった今となれば、

このままこの先、
    職人的なものづくりは、
      否応なしに日常から消えてゆく運命を、覚悟しているものの、

なにやら日本人が日本人ではなくなってしまったのか?
                         と思うほどに、

我々職人世界から見る
         時代変化の加速度は、あまりに激しい。


実は今年のはじめから、
   これまでこんなにも仕事がない毎日を、
            過ごしたことがなかった状況が続いていた。

およそ2カ月半という時間・・・
       不安な日々のなかで、
          その間、自分が何を考えていたのか?
                  それが思いだせないくらいである。

ところが、一年以上まえから、
        打ち合わせをしていた仕事や、

突然、なんとか施工してほしいという突貫の仕事が、
 一挙に集中しだして、この2月中ごろ?3月いっぱいにかけて、

京都と、シンガポールの吉兆の2物件、
     そして東京がらみの仕事が4物件、
               それに加えて3つの取材が、
ほぼ同時進行という事態におちいり、一転の大忙し。

我々の塗り壁は、
   試作を積み重ねて、用意周到な準備を怠れないぶん、

この1ヶ月半というものは、
 失敗を許さない時代の中で、異様に神経をとがらせ、
       はりつめた日々を過ごしつづけていたが・・・・

今、ようやく切迫した状態から、解放されたところである。

春のおとずれ。

3月のおわりの飛騨は、三寒四温とはいうものの、
             まだあちらこちらの日陰に、

泥を隠れみののようにして固くしまった雪が、
                大気を冷やしている。

昨日の日暮れには、
   雨の東京、銀座の歩道を黒いバッグを頭に、
                ただ濡れて歩いていた。

そして一夜があけて。

いま飛騨の生あたたかい午後の黄砂の風に吹かれて、

枯れ草の山村をしばらく歩くと、
  草の芽の固く鋭い先端がうすら赤く、
      はなれて2本突きあげているのが、
             なぜか目に焼きついて離れない。

車に乗り込んで、
そんな風景のつづく道を走っていると、

坂道の途中にある古民家をひとりの老人が、
    筆を持ち、道端に座りこんで写生をしている姿を、

ハンドルを左にまわしながら脇目にして
     数十メートル過ぎたところで、
         なぜか気にかかって車を止めた。

そして
 その老人の背後に向かって歩いてゆき、
     なにを描いているのかと、声をかけると、

老人は
「 さっきまで、お前がずっと見ていた、
        あの同じ家を描いているのだ。」

    と、自分にふり向き、
      黄色い歯をむき出しにして、声なく笑っている。

今日は何もしない、何も考えなくてもいい日・・・・。

いつものように 陽が落ちる時間帯になると、
       自分は高台を切り開いた農地の路上にむかう。

そこには【 お前は俺だ 】と
          決めている鉄塔のひとつがあって、

その淋しげな冷たさと
       静けさをしばらく眺めて過ごすのである。

そのうちに・・・・・。
いつのまにか空は
 東風(こち)に運ばれてきた、分厚い黒雲におおわれていて。

なんだか、
昨日までのはりつめていた日々と似た感覚がよみがえってしまい、

どうにもまだ、
  心と眼の張りつめた感覚がゆるまず、
      自分が2重にズレているのがおさまらない。

もう終わったのだから、
      身体の力を抜いていいんだと自分に何度も伝えて、

あの右眼から起きる亀裂への畏れがよみがえり
  
また右眼のかゆみがくる前に、
  早く心を静めなければと、頭を左右に振りはらっている。

風はさらに強くなりだした

この朝からの激しい気象は、
  長い冬から春へのせめぎ合いなのか、
       夜になると、細かい雨が降りはじめている。

明日は時間に関係なく、

自然にまかせて目覚めていい日。今日は深く眠っていい夜。

・・・・12:00を過ぎていたように思う。

眠りのなかで、かすかな意識の記憶が残ったまま、
                熱い身体と額と首筋に、

うっすらと帯びた汗の痛みに眼をさます、
 重々しい夢の中で、割れた爪先がつけた長い傷があるようだ。

・・・乾いた口。

眼の球だけで部屋の窓を見ると、
     小刻みに揺れるガラスについた、
              黒い水滴が光っている。

起き上がってまた車で外へでた。

ぬれたアスファルトの広い駐車場に車を止めると、

いちだんと乱れた風が
   枝々を折るほどにしならせ葉を切りちぎり、
   
    落ちて踏みつぶされた枯色の椿の花が
                 走る雨に濡れている
                        

乾いた車の中から見る、春の嵐の激しさ・・・・

      いま、目の前を吹き流れてゆくゴミと、
                  切れて舞う木の葉。

また、2重の世界に引き込まれて、
   春雷が不規則に空を白く震わせつづけている・・・・
                
           ひとりの夜 うごめく春が苦しい。