9月19日。栃木県益子町にて・・・・

この益子町で、町をあげての祭典・土祭(ヒジサイ)が
                計画されて開かれようとしているなか。
今回、
この土祭の、野外のメインステージとなる壁面を依頼され、
                その施工にとりかかっていた・・・・。

この壁の制作の話が持ち上がって、完成するまでに、
自分が益子町に足を踏み入れたのは、計5回になる。

1度目は、顔合わせと現地確認。
2度目は、仕上げの提案と作業の段取り。
3度目は、幅13メートル高さ3・5メートルの一枚壁の施工
4度目は、舞台となる床面の三和土(たたき)仕上げ(施工)。
5度目は、オープニングの祭典、そしてセミナーの開催。

益子行きは、
いずれも行きか帰りのどちらかで東京に宿をとり、
                 出入りをしていたのだが・・・・・。

そんな4度目の益子からの帰りの事。

まずまずの完成の安堵感からくる疲れを引きずり、
                    東京行きの電車に乗り込んだ。


作業はいつも晴天に恵まれて、
制作方法は一般参加も受け付けた、
     ワークショップ形式である事や
        益子の土をそのまま生かすという条件の中で、

トラブルもなく順調に進んだが、
その分の気疲れに加えて、
  顔は強い日差しの中で日に焼けて黒くなり、

いつものトレーナーとジーンズは、
土と汗にまみれて手の皮膚や靴は
白くささくれてしまって、

電車内では、あまり近付きたくはない、
             汚れた作業員といった風貌である。

ひとつの仕事を終えたあとのバックの重さ。
   電車の車窓に映る清濁の自分の影と、流れるもの…。

車窓の流れるものの、その中に、
たくさんの人達とのふれあいの跡を思い起こして浮かべ、
虚ろな時を過ごしながら揺られていると、
             徐々に日暮れてくる夕焼けが、

今日は、やけに紫がかって、
  妙に運命的な薄気味悪ささえ漂わせる色模様をしている。


やがて日は落ちて、
電車内を見渡すと・・・矢沢のポスターが2枚。

それを何気なく、ながめていた。

真っ白なシャツ、TVで何度か見た、娘子との共演の写真。

東京へ着き、
しばらく歩くと最近いたるところで見かける矢沢永吉の、
ロックンロールの大看板が、ここにもある・・・・
と、立ち止まってしばらく見上げている。

実はここのところ、
自分の矢沢永吉について、考えさせられる場面がしばしば重なり、
普通なら待ちかねていた「コバルトの空」の新曲も、
すぐ買い入れに走るのだが、
         今回は、まだ敢えて手に入れていなかった。

そんな東京の夜、
汚れた服のまま、見知らぬ地下の居酒屋で一人酒を飲み
その日はすぐに床についたものの、
       いつまでたっても寝付くことができない。

最近よくある眠れない夜は1時間、2時間、
      と深まってゆくごとに、自分がままならなくなり

とうとう、外へ出て、都内をおろおろとあてもなく、
       繁華街や路地裏をさまよい歩き始めた・・・・。

途中、ロックンロールの看板がまた目に入り・・・・・

これまでの人生にあった苦しさや悲しさを、
        矢沢から直接救われた訳ではないが、

しかし、
いつもいつも自分の苦しさを乗りこえてきた過程の中では、
その存在と、矢沢永吉の声を響かせて、
           自分の魂をかきたてて来たことを思う。

自分を信じる自分に酔い、ぶれず貫く姿は、
まわりの常識なんて、そのエネルギーがゆえに破壊し、
        突き進む、孤高の・・・・野生の・・・・・・

ストイックなケモノのようであれ、
           と代弁してくれているようだ!

何者をも寄せつけない、常に独立独歩の生き方。

汗と、つばの、しぶきを放つ、せきららな叫び。

だれも相並び立つことの許されない、
 激しく、切なく、エロスまで感じさせる、一属一種の美意識。

自分のファンのあり方は、
著作の「成り上がり」も「アーユーハッピー」も、いまだに読んではいないし、曲のタイトルだってすらすらと言えるほどには記憶していない。

けれど、ステージに立つ矢沢から受けとる五感を総合したもの、何者も入りこむ余地のない、その特別なムードを、異様に放つ世界を誰よりもゾクゾクと感じ、それを自分流に発酵させる事だった。

楽曲の質。枯れて尚、味わいを増す声帯と表情、
       矢沢流のステップとリズム、歌唱力、詩と作曲。

この10年、劣るどころか、益々進化している姿を見続けてきて、
                   自分もそうでありたいと
心から、賞賛と陶酔の気持ちが高まってくる。
もっと、ついづいを許さぬ、凄みのあるステージを見たい!

・・・・そのうちに、あと、足りないものはセットだ!

単なるペイントや、演劇やTVなどに見る、
いわゆる・・・のセットではなく、また照明のみの工夫ではなく

本物の素材を使った存在の前に、矢沢の存在はきっと堂々と響きあう。

自分のつくる肌合いに金を使ったなら・・・、
または素材の表面の起伏に光をあてたなら・・・

決して負けない。  
・・・・次々と浮かぶ案、
      いつしかそれが夢となって膨らんでいた・・・。

もちろん夢だから叶わなくて当然であり、
   夢であったから笑いながらも本気でラブコールをしてきた。

しかし今は、ただ軽く騒いでいたような、
      滑稽さと気恥ずかしさにもさいなまれて・・・・・

そんなことを考えながら、朝方4時ころ宿に戻ってTVをつけると、
また偶然にも
画面には矢沢が流れていて番組はすぐに終わってしまった。                  なんだか今日は複雑な気持ちが残る。

それから数日後の18日。 5度目の益子へ再び向かう。

19日。 土祭(ヒジサイ)は、新しいイベントとして、
町長を中心とした神事を皮切りに開かれて
町のあちらこちらには、手作りの展示物が点在し、
           町全体が皆、新鮮な顔つきをしている。

実は、この日、東京ドームでは、
待望の矢沢永吉、還暦のコンサートの開幕があり、
自分のバックの中には、何とか手に入れた、
            そのチケットを忍ばせていた。

町はよくやってくれたと、
自分をあたたかく、迎え入れてくれていたが、
もし、無理をいえば、
ドームのコンサートに向かう事も、おそらく出来ただろう・・・・・

しかし、自分は真っ赤に焼ける夕日から、
          すっかり夜空に変わるまで・・・・

舞台の土の床と、
土祭(ヒジサイ)のメインステージの壁の前に立ち、
日暮れとともに行われた太鼓のアトラクションを
           自然に見届ける気持になっていた。

その演奏はスピーカーが良かったのか?
それとも土壁が跳ね返す反響なのか?

・・・・わからない。

しかし伝わってくる鼓動は、
体に食い込むかのように響き渡り、
この2つがあいまって、美しく迫力のあるもので、
一度、鳥肌が立った後、
 不意に一瞬、ぐっとまぶたが熱くなった事を覚えている・・・。

益子の野外ステージの闇は暗く、
だからなおさら、ライトアップされた舞台の壁は、
            眼が覚めるくらいに美しく・・・・

少し遠近感が判らなくなるほどに鮮明に浮き立って見えていた。

一方、あとで知ったのだが、その時同時に東京ドームでは、
大盛況のコンサートの中で、我が子との共演があり、
他のロックアーチィストが、
    なんと?同じステージに立ち花を添えたのだときく?

それを聞いてあらためて。  
ひとつの夢は、このまま夢のままに・・・。 

そして矢沢永吉は、もうすでに、十分に満足し、
  ハッピーな方向に、向かいだしたのだと思えないでもない。

そう考える時。
もちろん、いつまでもファンであることに変りはないが、

自分には、この土祭(ヒジサイ)のステージと、
         60歳のロックンロールツアーの皮切りは

区切りといえば、良い区切りのタイミングかもしれず、
  夢を見てちょうど10年が経った十分な時が流れたと言える。

いずれにしても、届くことのなかった一人騒ぎ、
             何かが動いた訳でもない。

さまよった夜。
自分をここで切り替えて、・・・そろそろ潮どき。

どうやら、ひとつの夢は、
    ここらで卒業という形に変えて・・・・
         心の奥に飾っておこうと思っている。